「セドリック様。ルガー夫人がおみえになられています」

「ああ、ルガー夫人の使者がまた訪ねてきたのか」

「いいえ、ルガー夫人ご本人がおみえです」


その日キリの良いところまで仕事を終わらせて、遅めのランチを食べていた俺は、食べやすく野菜や肉を挟んだサンドイッチを、危うく喉に詰まらせるところだった。


「―――ッカッ。ケホッ」


間一髪で、空気が通る方の穴に入りかけた肉片を外に吐き出すことに成功する。

カミールはそうなるのを予想でもしていたかのように、流れるような動作でハーブの香りのついた水のグラスを差し出してくれた。

優秀過ぎて怖い。

この調子でこいつといたら、俺はそのうち、一人では何もすることができなくなるんじゃないだろうか。


「ルガー夫人、ご本人が、来ているだって?」

「はい、そう申し上げました」

「一体どうして……」



 貴族がお互いの屋敷を行き来する時、前触れに手紙を出すのが当然のマナーだ。

 親戚やよほど仲の良い友人以外で、アポイントなしで屋敷を訪れるなんて……。

 しかもそれが独身男女間でされるとなると、その間柄は、よほど親密でなければならない。

 つまり婚約者同士か、お付き合い中の男女でもないと、あり得ないということだ。


「いくらお手紙で会いたいといっても、セドリック様がすぐその場でお断りされるから、しびれを切らしていらしたのではないですか」

「……お礼など、必要ない、気にしないでいただきたいだけなんだが……」

 そういう俺に、カミールがわざとらしく目を細めて、ジトリと見てくる。


いや、分かっている。

さすがに俺にだって、ルガー夫人がこれほど熱心にお礼をしたがるのが、ただのお礼ではなくて、会うための口実であることが分かる。

ルガー夫人を助けたあの夜会以来、社交界では俺たち2人の動向が噂の的らしい。

もちろん俺達だけでなく、今シーズン他にも何組かくっついたり別れたりで噂になっている連中もいるのだが。


しかしその中でも特に、子爵家の若き未亡人と、歴史ある伯爵家の跡取りという組み合わせは面白いらしく、仕事関係で会った者にも、仕事そっちのけで、ルガー夫人とどうなっているのかを聞かれる始末だ。

その度に、ただお困りのところを助けただけで、その後一度も会ったことすらないと返答していたのだが……。


「セドリック様。まずはお会いになって、お話でもされてみたらいかがですか。断る理由が見当たりません。今日は午後、特にアポイントはありませんよ」

 完全に俺のスケジュールを把握しているカミールに、誤魔化しはきかない。


 俺だって、ルガー夫人は素敵な人だとは思う。

 悲しい事にハウケ家から止められてもいないから、会うのを断る理由なんてない。

 王都にいる間は自由になる時間も多い。


「セドリック様が、お化粧が厚くて伯爵夫人の地位だけを狙っているようなご令嬢を苦手とされているのは存じ上げております。しかしルガー夫人はとても自然な装いですし、なによりご自身が子爵家を継ぐご身分だ。伯爵夫人の地位狙いというわけでもなさそうです」


 そう。

 その通りなので、俺は反論できず、ただ黙るしかない。


「失礼ながら、ユリア様はセドリック様とのご結婚を露程も考えていないご様子だ。他に目を向けるとしたら、今後ルガー夫人以上の方はあらわれないかもしれませんよ」


 ついにとどめをさされ、息の根を止められた俺は観念して、一度お茶するくらいはしてみるかと、ルガー夫人と会うための準備をすることになったのだった。





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