第24話 母親のいう事が聞けないの!?

 ケヴィンは時間のある時にふらりと孤児院に来ては、アメリヤと交代して赤ちゃんのお世話をしてくれたり、子ども達と遊んだり、時には力仕事なんかもしてくれるようになった。






「はーーーーーーーーーーーーーーーあ。」

「どうしたんだよ、アメリヤ。大きなため息ついちゃって。」



 2階にある自室の窓から外を見下ろしていたアメリヤが、とんでもなく長く大きなため息をついたので、ちょうど子ども達の仕事先のことで相談に来ていたビートが、驚いたような、呆れたような声を掛ける。


窓の下には、小さな子供達が集めた畑の作物を、まとめて運んであげているケヴィンの姿があった。


もう格好よすぎる。アメリヤの心は完全に、恋する乙女だった。





―――伯爵様で、背が高くて、運動神経抜群で、強くて、巻き毛が可愛くて、美形で。どう考えても初めから、私なんかが釣り合うような相手じゃないのよね。




「プラテル伯爵家との仕事の契約がもうすぐ終わるの。」

「・・・・知っているよ。」




「あーあ。私ももう28歳かー。完全に、婚期逃したかも。27歳まで無給で孤児院で働いていたのもバカだったし、最後に1年間も甘ったれ伯爵の世話をしていたのが本当に痛いわ。」



 こんな生活を送るのも、あとわずか。これから先のことなんて、全く何一つ考えていない。

 まずはプラテル前伯爵夫人から、とびっきり成功報酬を弾んでもらうよう交渉しなければ。


―――27歳の女性の貴重な1年間と、そして心まで奪われてしまったのだから。成功報酬くらいは思いっきり請求してやろう。





「アメリヤさぁ・・・・あと3年。いや、あと2年、結婚を待つつもりない?」

「待ってどうするのよ、ビート。2年後に30歳になったところで、誰が私をもらってくれるっていうの?もう結婚のことは考えないようにするわ。何か事業でも始めようかしら。」



「俺さ、今15歳なんだけど・・・・。」

「え?」







 バタン!!!







 ビートがなにかを言いかけている途中、ノックもしないで、勢いよくアメリヤの部屋のドアを開かれた。



「・・・・プラテル前伯爵夫人?」

「お久しぶりね、アメリヤさん。あなたにお話があるの。ああ、ご紹介するわ。こちらはクラリッサ・ボルクリッサ子爵令嬢。ケヴィンの婚約者よ。」

 

 夫人の登場のインパクトが強すぎて気が付かなかったが、言われてみれば大きく膨らんだ夫人のドレスの裾の向こうに、線の細いおしとやかそうなご令嬢が控えていた。




「クラリッサと申します。あなたがアメリヤさんですのね。」



 か弱そうな見た目とは違って、意外と気の強そうな瞳と声だった。









*****








「どうぞお茶です。」



 ビートが招かざる客にお茶を出してくれる。

 茶葉は商談用の高級茶だし、お茶受けはスコーンにマルレードジャムを添えている。考えられる中で最高級のおもてなしだ。



―――一応、貴族相手ですものね。



 お茶を運んだビートは、なにかもの言いたげな表情をしながら部屋を出て行った。




「それで私に、なんのご用事でしょうか。」

「そうそう、それなのだけれど。アメリヤさん、これまでどうもありがとうございました。あなたのおかげで伯爵領の経営も持ち直したし、ケヴィンもすっかり見違えるようになったと、社交界でも評判になり始めているのよ。」

「はあ、そうですか。」




 勢いよく乗り込んできた時は、一体なにを言われるのかと身構えていたが、夫人の口から出た言葉は、意外なことに褒め殺しだった。


 「そうなの。それでね、ほんの少しだけ早いけれど、もう契約を終わっていただいてもいいのよ。あなたは十分やってくれたわ。成功報酬として、1000万ダリル持ってきました。」




 ・・・・1000万ダリル、大金だ。

 毎月貰っている給料もほとんど使わずとってあるので、いきなり小さな家を買って当面の生活をできるくらいのお金を手に入れてしまうことになる。



それにしても一体、どこからこんな大金を一括で用意したのだろう。


 プラテル領の経済状況には常に目を通しているけれど、前夫人にこれほどのお金を用意したことは、少なくともアメリヤがプラテル領で働きだしてからはない。





「ボルクリッサ子爵にご用意いただいたのよ。子爵もアメリヤさんには感謝されていて、よくやってくれたって。」

「ああ・・・・なるほど。」

「そういう訳だから。・・・・確かアメリヤさんは契約が終わったら、他領へ行ってみたいんでしたっけ?ターニャ国へ行くのも良いかもしれませんね。仲の良いお友達もいるみたいですし。」




 ターニャ国へ行く。

 前プラテル伯爵夫人は、とにかくアメリヤに遠くへ行ってほしいだけで、深く考えずに言ったのだろうけれど、それはとても良い案に思えた。


 王都のプラテル屋敷に通うようになるまで、プラテル領どころか孤児院周辺の街からすらほとんど出た事のなかったアメリヤにとって、ウェステリア国の他の領へ行くのも、ターニャ国へ行くのも大して変わらない。



 アニータ様やコルドバ公爵様のように、感情豊かで気さくな人たちがいる国なら、今すぐでなくても、いつか行ってみたいものだ。





「そうと決まれば急いだほうが良いわ。20代後半の1か月は大切なんだから。あなたはもう十分働いてくれたから・・・・。」

「分かりました。ターニャ国に行ってみます。」

「あ・・・・あら、そう?」




 前伯爵夫人がなにやら必死になって言葉を重ねているのを、止める。



「大丈夫ですよ、夫人。ちゃんと出て行きますから。なんの心配もありませんよ。」


 プラテル前伯爵夫人を安心させるように、その目を見つめる。

 


―――分かっていますから。私の役目は、ケヴィン様が独り立ちできるようにお手伝いするところまでです。



「・・・・そう、ありがとう。本当に。あなたには心から感謝をしているわ。」


 安心したのか肩の力が抜けた夫人は、今度はきちんとアメリヤの目を見てお礼を言ってきた。



「あなた不思議な人ね。見ていて安心するわ。」

「それはどうもありがとうございます。」




「じゃあ悪いのだけど、ケヴィンがなにか言いだす前に、早速旅支度を・・・・。」



「アメリヤ。その人の言う事を聞く必要はないよ。」

「ケヴィン!?・・・・お、お母様に対してその人ですって!?」



 急に静かな落ち着いた男性の声が聞こえて、見れば扉の前にケヴィンが立っていた。ビートもいる。そういえば、ケヴィンは今日も孤児院に手伝いに来てくれていたのだった。多分ビートが呼んできたのだろう。



「お母様。ボルクリッサ子爵令嬢とのお話は、正式にお断りしたはずです。」

「何を言っているの。こうして支度金もいただいているし、家と家との契約なのよ。子どもの我儘でどうこうなるものではないの。」



―――子どもの我儘ですって?



 夫人とケヴィンとの会話を初めて聞いたアメリヤは驚いた。30過ぎの息子に対して、子どもの我儘とは。想像以上だ。

 しかも夫人に悪気がある様子は一切ない。




 ケヴィンは落ち着いた表情で、母親を眺めていた。立ち上がってワナワナと小刻みに震えて興奮している母親を。



「現在の伯爵家の当主は僕ですよ。家同士の契約だと言うなら、プラテル家の決定をくだすのは僕です。」

「あのねケヴィン。家督を譲ったのは、あなたに成長してほしくて、やらせてあげてみただけなの。あなたは立派にやり遂げたわ。私たちもまだまだ元気だし、私たちがまた当主になりますから。」

「お母様たちには任せられませんね。あなたがたが当主だった6年間の記録をまとめ直してみましたが、酷い物でした。」

「ケヴィン!母親のいう事が聞けないの!?」




 ついに夫人が、金切り声で叫んだ。その顔は驚きに満ちていた。可愛い息子が自分の言う事を聞かないなんて、世界がひっくり返ってもあり得ないという顔だ。

 


「聞けません。僕にはプラテル領の領民たちの生活を支える責任がある。これまでもさんざん苦労をかけてきたのに、そんな僕を許して、頑張って働いて、協力してくれている領民たちを守る義務がある。」


「あなたどうしてしまったの?あんなに素直で良い子だったのに。領の財政を立て直したのは立派だけど・・・・誰がそんな、お母様に逆らうようなこと。ああ、やっぱり孤児院出の女なんて近づけるんじゃなかった。」


「お母様。いくらお母様でも、アメリヤを侮辱するなら許しません。」

「なんてこと!・・・・ねえ、ケヴィン。お母様が人を見る目があるのを知っているでしょう?このクラリッサ嬢は素晴らしい方だわ。お母様の言うことと、その平民の言うこと、どっちを聞くの?よく考えなさい。」



「どちらの言うことを聞くということはありません。意見は聞きますが、僕は僕で、自分で考えて判断します。」



 アメリヤは親子二人の喧嘩を、固唾をのんで見守っていた。

 

 ふと気が付くと、アメリヤの隣にクラリッサ嬢も並んで、立っていた。

 親子二人の喧嘩を眺めるために、位置的に自然と並んでしまったのだろう。




「そう。どうしてもお母様の言うことを聞けないというのなら、そんな子は知りません。親子の縁は切れたものと思いなさい。」

「分かりました。」

「ケヴィン!?」



言うことを聞けないなら、親子の縁を切る。それは脅しだ。人が人にできる最大限の。



 前プラテル伯爵夫人は、それに気が付いていないのだろうか。それとも気が付いていて、その言葉を使っているのだろうか。



「分かりました。アメリヤが、僕の心に穴が空いていると教えてくれたんですが、その理由が分かりました。僕は愛されて、可愛がられて育ってきたはずなのに、なんで穴が空いているんだろうって不思議だったんです。・・・・僕はお母様に、全く信頼されていなかったからなんですね。」

「そうじゃないわ。ただお母様はあなたのことが心配で・・・・。」



「分かりましたから。今日はお引き取りください。」





 ケヴィンのその言葉に、部屋にいた全員が、話が終わったのを理解した。ただ一人を除いて。


「ま、まだ話は・・・・。」

「おばさま。今日のところは帰りましょう?」



 アメリヤの隣で大人しく事の成り行きを眺めていたクラリッサ嬢が、すかさず夫人のところへ行って、その背に手を添えた。



「アメリヤさん、そのお金は返していただいていいかしら。うちが出した支度金の一部ですから。」

「え、あ!はい。どうぞ。」


 クラリッサ嬢は、アメリヤからお金の入ったトランクを受け取ると、呆然と佇むプラテル夫人の背に再び手を添えて、半ば強引に出口の方へと連れていく。

 テキパキと、無駄のない動きだ。


「ケヴィン様。突然押しかけてしまって申し訳ありませんでした。聞いていたお話と違ったものですから。・・・・今後あなたとは、商売相手として、良いお付き合いを続けさせていただきたいわ。よろしいかしら。」

「ええ、喜んで。」



 クラリッサ嬢の言葉に、ケヴィンは一瞬意外そうな顔をしたが、その意味を理解すると心から嬉しそうに、ニコリと微笑んだ。



 間近でその微笑みを見たクラリッサ嬢は、少しだけ顔を赤らめて、「・・・・自分が可愛いと思い込んでいる痛いオジサンだなんて、誰が言ったの。目がおかしいんじゃないかしら」とつぶやいた。


 アメリヤは心の中で、完全に同意した。



「それでは失礼いたします。ごきげんよう。」



 クラリッサ嬢は最後に振り返って見事な淑女の礼を披露すると、ビートに案内されて風のように颯爽と帰って行った。







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