第20話 また会ったね、お嬢さん

「子爵様が私のような者になんのお話があるのでしょうか。」



 できるだけ冷静に話そうと思ったアメリヤだったけれど、口から出た声は思いのほか厳しい響きをもっていた。


「とてもお得な話ですよ。」


 男は不気味に、ニヤリと笑った。

 その落ち着いた佇まいが、逆に妙に怖い。


「先ほどの商会長とのやり取り、拝見させていただきました。あなたは感情だけで動いていない。きちんと損得の計算ができる人だ。・・・・プラテル伯爵の出している3倍の報酬を約束しよう。私に仕える気はないですか。」



「ありません!」







*****







 怖い 怖い 怖い!




 高利貸しの書類を見た時も、一体どんな悪いやつなんだと思ったけれど、所詮は書類上の名前でしかなかった。

 でも実際に会って見たホーエンベルク子爵の目が忘れられない。



―――あれは他の人のことを人間だとも思っていない、食い物にしようとしている人の目だわ。


 暗い瞳を思い返すだけで、全身にゾワリと鳥肌がたつ。

 アメリヤが断ると、ホーエンベルク子爵は本気で驚いた様子だった。誰が詐欺まがいのことをするような人の仲間になりたいと思うのか。本当に3倍の給料さえ提示すれば、アメリヤがホーエンベルク子爵に仕えると思っていたのか。

 見くびらないでほしい。




 ジギスムント会長は、ただ紹介を頼まれただけのようで、まさかあんなことを言いだすとは思わなかったと謝ってくれた。

 しばらくホーエンベルク子爵を引き留めておくから、急いで帰りなさいと言って、護衛がわりのベルタと一緒に裏口から帰してくれた。


 ジギスムント会長は商売相手としては良さそうだったけど、ホーエンベルク子爵とつながりがあるのは確定しているので、しばらくは慎重に取引する必要がありそうだ。








プラテル屋敷に戻ると、ケヴィンが外まで出て出迎えてくれたいた。

玄関の前でなにやらソワソワしていて、近くまで辻馬車で帰ってきたアメリヤとベルタが歩いて来るのを見つけると、ほとんど走るようにして近づいてきた。



「ケヴィン様!?なぜ外に。」

「いや、さっきまでお客さんのお見送りをしていてね。それより聞いてくれアメリヤ!僕に婚約の打診がきたんだ。」

「・・・・え、そうなのですか。」



 帰ったらすぐに、ホーエンベルク子爵に勧誘された話をしなければと思っていたアメリヤだったけれど、先にケヴィンに話をされてしまって、言いそびれる。

 ケヴィンのほうも、アメリヤが帰ってきたら真っ先にこの話をしようと待ち構えていたのだろう。先を越されてしまった。




「ここで立ち話もなんだね。お茶にして話そう。ベルタ!アメリヤについていてくれてありがとう。」

「・・・・ありがとう、ベルタ。ちゃんと話すから、大丈夫。」


 なにか言いたげに、一瞬ついて来ようとしたベルタにそう言って、目で強く制する。

 ベルタからもホーエンベルク子爵の件を報告しようとしてくれたのだろうけれど、まずはおめでたい話に水を差したくない。


「分かりました。失礼します。」



 ベルタはそう言って一礼すると、いつもの自分の居場所である庭へと帰って行った。



 お茶をしようと言われてケヴィンに連れられ移動した先は、ティールームではなくいつもの執務室だった。

 休憩用のティーテーブルに、既に用意がされていた。

 ケヴィンとアメリヤが普段なにかを相談するのはいつもここなので、ここが一番、話をするのに落ち着くのだろう。





「それで、お相手は?どんなかたなのですか。」

「子爵家の娘だそうだ。元は商家で、2代前に爵位を買ったらしいけど、3代目からは社交界でも完全に受け入れられる傾向にあるし、離婚歴のある伯爵にはもったいない話だよ。」

「そうなのですか、おめでとうございます。」




 借金も返済計画がたち、ユフレープはまだ売り出したばかりだけれど、プラテル伯爵領のイメージは、以前より大分よくなってきている。

 そうなってみると、プラテル領は地の利もあるし、橋のおかげで経済的にも右肩上がり。その事にいち早く気が付いたということかもしれない。さすが元商家の家系だ。




「いやそれが、今回は会わずに断ろうかなと思って・・・・。」

「なぜですか!?そんなに良いお話なのに。」



 ケヴィンも先ほど言ったように、もったいないほどの良い話だ。

 これから先プラテル領が順調に栄えていけば、また縁談の一つや二つはくるかもしれないけれど、これ以上のお話があるかどうかは分からない。




「高利ではなくなったとはいえ、まだまだ借金もあるし、事業も軌道にのっていない。プラテル領はこれからという時期だ。縁談なんて、もう少し落ち着いてからでも遅くはないかなと。」

「そんな・・・・だとしても、会ってみるだけ会うことはできないのですか。会ってしまったらもう、断ることはできないのですか。」

「そんなことは・・・・ないけれど。」

「では是非会うだけ会ってみたらいかがでしょう。とても素敵なかたかもしれませんよ。」







「・・・・・・・・分かったよ。」




 一応会うことを了承したけれど、なんだか歯切れの悪いケヴィン。





―――あ、ホーエンベルク子爵のこと、伝えるの忘れたわ。







*****








ケヴィンはその後、お相手の子爵令嬢の屋敷へと招かれて、顔合わせをしたらしい。

 もちろんアメリヤがついていくはずもないので、ケヴィンから最低限の報告を受けただけだった。



 ケヴィンは最初、すぐに断るつもりだったらしい。でも断る理由もないくらい申し分のない令嬢で、やんわりと「もったいないお話です」と引こうとしたけれど断り切れず、たまにお会いしてお茶をする、いわゆる「お友達から」ということになったということだった。








*****








「ここのパン、美味しいですよね。」




 ある日の朝、アメリヤが孤児院からプラテル屋敷に行く途中で、王都のパン屋で買い物をしていると、誰かに声を掛けられた。

 この店は朝早くから、たまに立ち寄って、仕事の合間に食べる小さな甘いパンを買う事がある。美味しくて安いのだ。



 アメリヤに声を掛けてきたのは知らない青年だった。アメリヤと同じパンを大量に持っている。


「ええ、美味しくて、小さくて食べやすいので、たまに買うんです。」



 アメリヤもニコリと笑って応えた。

 同じパンを気に入っている同士、親近感を覚えたのかもしれない。




「そうそう。小さくて食べやすいから、仕事の合間に食べるんだ。店が朝早くから開いているから助かるよ。」

「まあ!私も一緒です。仕事の休憩時間に。」

「じゃあこの店、よく来るのかな?また会えたらいいね。」

「ええ、ではまた。」



 青年はとても感じが良かった。年は30歳前後だろうか。背が高くて、スラリとしていて、結構カッコいい。好青年だ。


―――なんのお仕事をしているのかしら。




 朝から良い人に会えて、気持ちよく一日をはじめられたアメリヤだった。





 3日後





「あ、また会ったね、お嬢さん。」

「あら、おはようございます。」



 先日会った好青年に、また会えた。

 3日前に話していた通り、青年もちょくちょくこのパン屋さんに通っているのだろう。


 朝早すぎて、店に来るお客さんは少なくすいている。軽く挨拶をして店ですれ違ったら、既に買い物を終えていたらしい青年は店の外へと出て行った。





「や。」

「わ!もうお仕事へ行かれたんじゃなかったんですか。」


アメリヤも買い物を済ませて店の外へと出ると、とっくに職場へ向かったと思っていた青年が、店の前にまだいた。



「ちょっと君に聞きたいことがあってさ。」

「私に聞きたいこと?」

「名前だよ。次に会ったら聞こうと思っていたんだ。俺の名前はステファン。君は?」

「アメリヤよ。」

「アメリヤ、素敵な名前だ。可憐な君にピッタリだよ。」

「そんなこと・・・・ステファンという名前も素敵ね。」

「ありがとう。じゃあまた!良い一日を。」

「ええ、またね。」






 ステファンはあっさりと、アメリヤとは逆方向へと去っていった。

 朝から爽やかな人だ。



―――また・・・・か。また会えると良いわね。




 深い意味はなく、ただ挨拶をしてちょっと言葉を交わす好青年の知り合いができて、少しの楽しみが増えたアメリヤだった。








「おはよう。ご機嫌だね、アメリヤ。どうしたの?」

「おはようございます、ケヴィン様。いつも寄るパン屋さんで、友達ができたんです。」

「へえ、お友達。」

「ええ。といっても、買い物しながら、ほんの一言二言しゃべるだけですけどね。」

「それは女性かい?」

「いえ?男性ですけど。」

「・・・・そっか。」




ケヴィンの執務室に到着すると、早速アメリヤ用に用意した机に座る。


 仕事にとりかかろうと机の上を整えていたアメリヤは、ケヴィンが無言でこちらを見ていたことに気が付いた。




「ケヴィン様?どうかしましたか。」

「いや。あ・・・・、そうだ。明日、例の令嬢と会う約束になってね。昼過ぎから出かけたいんだけど、大丈夫かな。」

「ええ、分かりました。お客様と会う予定はありませんので、大丈夫ですよ。」




 ケヴィンは子爵令嬢とうまくいっているらしい。

 仕事を休むのがそんなに気まずいのだろうか。なんだか落ち着かずにソワソワとしている。



―――最近は忙しくて働きづめなのだから、たまのお出かけぐらい、ゆっくりしてくればいいのに。




 しばらくしたらケヴィンも落ち着き、いつも通り、書類をめくる音や、文字を書くスラスラと心地よい音だけが、部屋に響くようになっていた。




 朝焼いたばかりのパンの入った袋からは、良い匂いが香ってくる。


 2人でこうやって仕事をするのにも、もうすっかり慣れた。

 気が付けばアメリヤがプラテル屋敷にやってきてから、もう10か月も経っていた。





―――ここでこうやって仕事をするのもあと2か月か。最初の頃はさっさと終われと思っていたけれど、こんなに時が過ぎるのが速く感じて、ちょっと名残惜しくなるなんて、思ってなかったな。








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