第12話 君は僕の、女神さまだよ
プラテル伯爵の王都屋敷で、ケヴィンと一緒に赤ちゃんを育てる日々が始まった。
例えオムツが濡れていることに気が付いても、絶対にアメリヤから交換を申し出ることはない。
どれだけ赤ちゃんが泣き叫んで、喉が渇いていそうでも、オムツが気持ち悪そうでも、暑そうでも、寒そうでも、アメリヤから声を掛けることはない。
だけど、オムツの取り替え方を聞かれたら答えるし、ミルクのあげかたも、ゲップのしかたも、何度でも何度でも何度でも教えてあげる。
最初の頃は泣き叫ぶ赤ちゃんに対して、現実逃避をするように耳を塞いでいたケヴィンだったけど、いくら待ってもアメリヤが絶対に自分からは手を出さないことが分かったら、少しずつ自分から提案をしてくるようになった。
「おい、泣きすぎて死にそうだぞ。」
「そうですね。」
「お前、可哀そうだと思わないのか?」
「可哀そうなので、ケヴィン様がなんとかしてあげてください。」
「僕は素人なんだ。僕に任せていたら死んでしまうぞ。」
「どんな親だって、最初の子が生まれた時は素人です。素人だからってなにもしなかったら、全人類今頃死滅していますよ。」
ケヴィンは本当に手ごわかった。
得意げに大工仕事をしていた時とは大違いで、赤ちゃんから出来る限り、必死になって逃げ回っている。
本気で赤ちゃんが死にそうなので、ケヴィンにバレないように、思わずアメリヤがミルクを飲ませてしまうこともあった。
ある日の朝、プラテル屋敷の使用人たちが、戸惑ったようにオロオロしながら、アメリヤの元に赤ちゃんを連れてきた。
「あの、ケヴィン様は体調がすぐれないとのことで、寝込んでおられます。」
「・・・・そう。」
体調が悪いのなら、赤ちゃんの世話を頼むわけにはいかない。風邪だとしたら、赤ちゃんにうつしたら大変だ。アメリヤは使用人から、赤ちゃんを受け取った。
次の日も、その次の日もそのまた次の日も、ケヴィンは体調が悪いと言って、寝室から出てくることはなかった。
―――もう、孤児院に帰ってしまおうか。どうせアメリヤと赤ちゃんが屋敷にいるうちは、ケヴィンの体調不良が治る日がくることは、ないだろう。
なんてことを言ってたら、孤児院なんてやっていけないのよね。
仮病使う子供なんて、今まで何万人も見てきたっての(そんなにはいない)。
ここ数日のアメリヤのお世話で、すっかり肌艶の良くなった赤ちゃんがすやすやと揺りかごで眠っている隙に、アメリヤは屋敷の庭の方へと周った。
一番日当たりが良い、2階のど真ん中の部屋がケヴィンの部屋だ。
窓が開けられ、レースのカーテンが気持ちよさげに優雅に揺れている。
なにやらちょうどよく凹凸がある高価そうな柱をつたって、アメリヤはするすると2階まで登っていった。
ケヴィンは居心地の良さそうなローチェアに寄りかかって、本を読みながらオヤツのクッキーを食べているところだった。
「元気じゃないですか、ケヴィン様。」
「ア、アメリヤ!?どうして2階に!?」
「足場もいっぱいあるし、登るの楽勝でしたよ。」
驚いたケヴィンが、飲もうと思っていただろう紅茶を、本にこぼして動揺している。
高そうな本なのに、実にもったいない。
「それよりケヴィン様。元気じゃないですか。じゃあ赤ちゃんの面倒、見て下さいよ。」
「イヤだ。」
「・・・・どうしてそこまで、赤ちゃんの世話を嫌がるんですか。」
大工仕事や畑仕事は素直にやってくれて、むしろ自慢げにしているケヴィン。
これほどまでに赤ちゃんのお世話から逃げ回っているのは、なぜだろう。アメリヤは不思議に思っていた。
「どうしてって・・・・。赤ちゃんが生まれたらユリアが、レオのことしか考えなくなって、僕のことなんて見向きもしてくれなくなって・・・・。」
「そうなんですか。」
「だから、うるさい!仕事に集中できないあっちへ行ってくれ!って言ったら、ゴメンなさい、静かにしているからお仕事頑張ってねって、ユリアが言ってくれて。」
「うん?」
「出ていけ!離縁するって言ったら、そんなこと言わないで、ケヴィン、愛してるって、必死になって言ってくれるから、安心していたら。」
「・・・・。」
「離縁されたんだ。」
アホですか。
と、言いたい。本当に、あなたアホですね。クズですね。やっちゃいましたね。領民として恥ずかしいですと、言いたい。
なんだってそんな、優しいユリア様を試すようなことをしてしまったんですか。
見向きもしてくれない、じゃあ、ないんですよ。
あなたが。あなたのほうが、ユリア様とレオ様を、守らないといけなかったんですよ。
だけど、そんな正論は今じゃなくても言える。
今必要な言葉はそれじゃないことを、アメリヤは知っていた。アメリヤだけが知っていた。
「その気持ち、ちょっとだけ分かります。」
「・・・・え、アメリヤが?こんなアホなことをした僕の気持ちが?」
自分でもアホなことをしたという自覚があったらしい。
「分かります。人って心の中心にね、生まれつき大きな穴があるんですよ。」
「へ?アナ?」
いきなり何の関係があるのか分からない話を語り始めたアメリヤに、不思議そうな顔をするケヴィン。
「そう穴。家族の愛情が入るための穴が、誰にでも心の中心にあるんです。生れた時から安心できる、泣いても喚いても漏らしても、優しく抱っこしてくれて、見捨てずにオムツをかえてくれる家族の愛情が入る穴。そんな暖かな家族がいたら満たされていて、満たされている人だったらあることにすら気が付かない穴が、人にはあるんです。」
「・・・・。」
「だけど親から棄てられたり、家族から疎まれたり、世話をされなかった子供の心には、ぽっかりと穴が空いたままなんです。孤児院にはそんな子がいっぱいくるんですよ。」
「それと僕となんの関係が・・・・。」
「そういう子はね、その穴を埋めようと、愛情をもらおうと、必死になってかき集めるんです。すごくいい子にして、必死になってお手伝いをしてくれて、褒められようとする子もいるし、悪い事をして、怒られて、でもまだ怒ってくれる、僕は諦められてないんだって、ホッとする子もいる。」
貴族なんてお金持ちで、なんでも好きな事ができて、煌びやかで、夢の世界のようで、幸せいっぱいなんだと思っていた。
なんでケヴィン様が、孤児院に連れてこられる、捨てられたばかりの子ども達と同じ目をしているのかなんて、アメリヤには分からない。
貴族は自分で子育てしないで、使用人任せだという噂を聞いたことがあるから、そのせいかもしれない。
それともケヴィンに大変なことも、辛い事も、なにもかも取り除いてやらせなかった、あの不器用で子育てに向いていない母親のせいかもしれない。
そんなことはアメリヤには分からない。
でも一つ、確かに分かることがある。
ケヴィンに今、かけてあげるべき言葉。
「私は絶対に、見捨てませんよ。」
アメリヤがそう言うと、ケヴィンはハッと顔を上げて、そうしてもう、泣きそうだった。
もう30歳過ぎた伯爵が、泣きそうな顔で、縋りつくようにアメリヤを見ていた。
「1年間だけですけど。契約期間中は、絶対に、見捨てません。ケヴィン様が泣こうが、喚こうが、漏らそうが、アホなことしようが、仮病で引きこもろうが、絶対に、見捨てません。絶対に1年間勤めあげて、ケヴィン様を自立させてみせます。そして600万ダリルと成功報酬を手に入れてみせます。だから、安心してください。」
「・・・・1年間だけなの?」
「そう、1年間。それでケヴィン様を、立派に自立させてみせますから。」
この1年間を勤めあげたら、もう大丈夫な気がする。
もう孤児院から離れても、大丈夫な気が、許されるような気が、アメリヤはしていた。
その後は、きっとすっきりさっぱりと、新しい自分の為の人生を歩める。
「アメリヤにも、その穴が空いているの?」
「そうですね。まあ私も親に棄てられたくちですので。」
アメリヤの心にも、大きな穴が空いていた。
だからみんなに褒められるように、他の子の面倒を必死にみていた。
褒められて、アメリヤはすごいねって、必要とされることが嬉しかった。
逆に他の子を見捨てただろうって、責められることが怖かった。
「だけどね、ケヴィン様。その穴を埋める方法って、誰かの愛情をかき集める以外にもあるって、気づいたんですよ。」
「・・・・・なに?どうするの?」
そうやって、孤児院に連れてこられる子ども達の面倒を、本当はイヤなのに、必死になってみているうちにアメリヤが気がついたこと。
「私の愛情を必死に求めてくれる子たちに向き合って、抱っこしてあげて、一緒に遊んで、その子の心の穴に私の方が愛情を注いで満たしてあげるとね。不思議と自分の穴も、少しずつ塞がっていくんです。」
だからアメリヤは孤児院で子供たちの面倒を見続けた。
子ども達を見捨てられない、優しい聖母アメリヤなんていない。
ただただ自分の穴を埋めたくて、必死になって子供たちの穴を埋めていただけの、ただのアメリヤがいるだけだ。
「ケヴィン様。赤ちゃんを抱っこしてあげてください。泣いても喚いても、抱っこしてあげてください。オムツを汚しても、よだれが汚くても、優しく笑いかけてあげてください。赤ちゃんの心の穴を、満たして埋めてあげてください。そうしたら、絶対に、ケヴィン様の穴も埋まります。今まで何十人もの子供たちをみてきた私が言うんですから、とりあえず騙されたと思って、やってみてください。」
「・・・・だからアメリヤは、今までずっと何十人もの子供たちの面倒をみてこれたの?」
「はい、そうです。私は世間で言われている、聖母なんかじゃないんですよ。ガッカリしたでしょう?」
いつものように、ずうずうしいおばちゃんみたいに、アメリヤは笑って言った。
「そんなことない。君は僕の、女神さまだよ。」
ケヴィンがなにか呟いたけど、とても小さな声だったので、その言葉はアメリヤの耳には、届かなかった。
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