第2話 親しい女性がいるみたいよ
レオが生れてから1年が過ぎた。
ぷくぷくほっぺはそのままだけれど、大分体が引き締まって、立ち歩きをするようになってきた。
家族とその他の人の区別がつくようになってきたようで、家族と子守り以外の人が抱っこしようとすると泣くようになった。
他人が近づくと不安そうなのに、ユリアが抱っこをするとニッコリと幸せそうに笑うレオを見て、増々愛おしさがつのっていく。
・・・生れた当初はケヴィンそっくりでダークブロンドだった髪の毛は、髪の毛の量が増えるにつれて少し濃くなって、ユリアのブルネットの髪色のほうが近くなってきた。
レオが家族と思っているのは、ユリアと、ユリアの両親と、そして意外と面倒を見てくれるセドリック。・・・・・・当然ながらケヴィンは含まれていない。
ケヴィンはあの話し合いの日以来一度も会いに来ていなかった。
でももし今会いに来たら、知らない人としてレオが泣き叫んで、余計にケヴィンがふてくされてしまうだろう。
それを思うと、会いに来なくて良かったのかもしれないと、少しだけ思ってしまう。
――――もう少し、もう少しだけレオが大きくなって、知らない人相手に泣かなくなったら、ケヴィンに会わせよう。
ケヴィンは手続きが面倒くさいようで、離縁の話が進まないのだけが唯一の救いだった。
その日ユリアは、久しぶりに友人の家のお茶会に参加していた。
結婚前に何度か一緒にお茶会をしていた姉妹の妹のほうが婚約すると言うので、親しい友人達だけで集まってのお祝いのお茶会をすることになったのだ。
子どもが参加する会ではないので、レオは家でお留守番だ。
セドリックがエスコートをしようか?と聞いてくれたけれど、未婚ならばともかく、いくら従兄と言えど、既婚女性が夫以外の男性にエスコートされるとあらぬ噂が立つかもしれないので、一人で行けると断った。
「ユリア!こっちよ。」
「カトレア。元気そうね。」
同じころに子供が生まれたカトレアとは、今でもたまに会っている。
子どもを完全に乳母や子守りに任せっきりにして身軽に社交界に参加する貴族も多いが、それはほとんどが上位貴族だ。
男爵家や子爵家は、王都では裕福な庶民と変わらないくらいの大きさの屋敷に住んでいるし、子育てに関しても意外と自分で子供を育てている。
伯爵家くらいでもお世話は使用人で、一緒に遊んだり、絵本を読んだりなど、自ら教育をほどこす親がほとんどだ。
カトレアもユリアと同じく伯爵家に嫁いだが、今は社交を控えめにして子供のために時間を割いている。
でも最近は少しずつお茶会などを開くようになっているそうだ。
今度お互いの子どもを連れて、一緒に遊ばせようと約束している。
ユリアはスルスルとテーブルの合間をすり抜けて、カトレアや、学園時代の友人たちのほうへと向かう。
そのテーブルには、学園時代にいつも一緒にいた4人組の、ユリア以外の3人が既に揃っていた。
勉強ができて完璧に見えるのに、実は冗談好きでお茶目なマヤ。ダンスが得意で美人だけど、気取ったところのないウェラ。優しくて皆を包み込んでくれるようなカトレア。・・・・ユリアはこの友人たちの中で、しっかり者の頼れるお姉さんのようだと言われていた。
今日のお茶会の主役である、婚約が決まったオリビアのお姉さんのモニカとも、クラスメイトだった。
ああ、ほんの数年前の学園時代が、遠い遠い昔のことのように懐かしい。
このテーブルにいる4人全員が既に結婚していて、今日のお茶会には一人で参加しているようだ。
ユリアは少しホッとした。
「ユリア。意外と元気で・・・あの、えーっと。」
「ケヴィンは・・・その。」
挨拶が終わり、お互いの近況でも話しましょうか・・・・となった時、マヤとウェラが何かを言いかけて口をつぐんでしまう。
きっとユリアがケヴィンと上手くいっていないことを知っているのだろう。
ユリアは気を遣わせて申し訳ない気持ちになった。
友人を安心させようと、無理やり笑顔を作る。
「あー、その。気にしないでって・・・言っても無理かしら。ケヴィンはちょっと、赤ちゃんのいる新しい生活に慣れていないみたいだけれど、きっと少しずつ・・・・。」
「そうじゃないの。」
心配ないよ、と友人たちに伝えようしたユリアを、普段はおっとりしているカトレアが珍しく強い口調で遮った。
カトレアは周囲に他の人がいないかすばやく目を走らせると、なにかを決意したように、真っ直ぐな強い瞳でユリアを見つめてきた。
「迷ったけれど、先に話しておいたほうがいいと思って。・・・どうせすぐにあなたの耳にも届いてしまうでしょうから。」
カトレアの言葉に、深くうなずくマヤとウェラ。
「や、やだカトレア、そんな真剣に。何を言われるのかしら、不安になっちゃう。」
あまりに真剣な様子のカトレアに、ユリアの胸が不安が広がる。
「ケヴィンね、あなたがご実家にいる間、よく屋敷にお友達を招いてお茶会やパーティーを開いているの。」
「・・・・・ええ、知っているわ。」
プラテル伯爵家の仕事のうち、ユリアのいるハウケ家でもできる仕事は、少しずつ取り寄せてユリアが目を通していた。
ただでさえ少ない資産を、ケヴィンがハウスパーティーに浪費していることは、知っている。
「そのお友達の中でもね、特に親しい女性のお友達と・・・少人数で。・・・いいえ、2人きりで、会って、食事をよく・・・・しているようなの。」
「・・・・・・・・・・そう。」
足と手が、先の方から急速に冷えて固まっていくような感覚がする。
――――私は今、どんな顔をしているんだろう。
冷静に見えていれば良いけど。
「最近は、その2人で一緒に、他の夜会やパーティーに顔を出すことも、あるみたい。」
「・・・・・・そうなのね。」
レオが生れてからほとんど社交界に顔を出さないユリアは知らなかったが、普通に社交をこなして、色んなパーティーに顔を出している両親やセドリックはこのことを知っているのだろうか。
――――知らないはずがない。
既婚男性が妻子を屋敷から追い出して、他の女性を伴ってパーティーに参加するなんて。次の日には社交界の隅から隅まで噂が行き届いていることだろう。
――――当然知っていて、何も言わないでいてくれたのだ。
言わない家族の優しさも、言ってくれる友人たちの優しさも、ユリアには辛かった。
「そのお相手の女性って、誰だか知っている?」
聞いてどうなるものでもないのに、つい気になって聞いてしまう。
「私たちの2つ下の学年にいた、アニータって分かる?」
「ええ、なんとなく。」
「その子よ。」
カトレアはあっさりと教えてくれた。
どうせすぐにユリアの耳に入るからだろう。
アニータと言えば珍しい黒髪で、目立っていたので覚えている。
年下なのにエキゾチックな雰囲気の艶がある美人だった。どこか外国の血が流れているのかもしれない。
学生時代もとてもモテていて、色んな男性と一緒にいるところを見かけたものだ。でもその男性たちと特に付き合っているわけでも遊んでいるわけでもなく、男性たちが勝手にアニータに尽くしているような様子だった。
甘えん坊なケヴィンとは意外な組み合わせだな、と意外と冷静にユリアは思った。
******
「ケヴィン!こっちだ。来てくれて嬉しいよ。」
「アルバート。こちらこそ。会えて嬉しいよ。」
その頃ケヴィンは、独身の頃から行きつけのクラブに顔を出していた。
「本当にさあ。皆結婚しちゃって、領地の勉強だとか夫人の付き合いだとか。子供の世話があるだとか言って付き合いが悪くなったよな!遊ぶ相手がいなくて困るよ。ケヴィンだけは変るなよ。」
「当然さ、アルバート。・・・・もうさー、領地の仕事も大変だし。妻やその家族のお小言にもうんざりだよ。こうやってたまにクラブに顔を出すのが唯一の息抜きさ。あー、解放された気分だ。」
たまにもなにも、ケヴィンはほとんど毎日クラブに出入りしているし、妻の実家に顔を出したのは半年も前が最後なのだが。
「そう言ってくれるのはケヴィンだけだよ。本当にお前可愛いヤツだよな。」
そう言うとアルバートは、ケヴィンの巻き毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
友人たちが、弟気質のケヴィンを可愛がる時にするお約束の仕草だ。
「アルバートの婚約者はまだ学生だからね。結婚するのはまだちょっと先か。大変だぞー結婚すると。」
「まあな。親が決めた昔からの許嫁だから。もう頼む!時が止まってくれ!もっともっと俺を自由でいさせてくれ!!って感じさ。」
「あはははー。僕も早く自由になりたいよ。」
「おお、頑張れよ!」
アルバートは励ますようにケヴィンの肩をバシバシと叩いた。
「そんな事を言っていていいのかしら?ケヴィン、あなた本当に奥さんに愛想をつかされるわよ。」
楽し気に肩を組みあう二人に掛けられた、艶やかな声。
「アニータ!」
振り向くとそこには、華やかに着飾ったエキゾチックな雰囲気の美女がいた。
クラブ中の男の視線が集中する。
そんな美女が自分に声を掛けてくれるのが嬉しくて、ケヴィンの顔が輝く。
「ケヴィン、あなた本当に、ちゃんと奥さんやお子さんに会いに行っているんでしょうね?」
「あ、ああ、まあね。僕が仕事が忙しくてあんまり構ってあげられないから、ユリアも両親といたほうが寂しくないだろうし・・・。」
一瞬気まずげに目を逸らして言い訳めいたことを言うケヴィンだが、すぐに気持ちを切り替えたように、アニータの手を取って、アルバートとケヴィンの間の席に案内する。
「ユリアさんは本当にしっかり者で、お仕事も手伝ってくれているんでしょう?ケヴィンなんかにはもったいない素敵な人よ。」
「そんなことないよ。子どもが生まれてからは仕事もあんまり手伝ってくれないし、なんだか前みたいな華やかさもなくなっちゃってさ。とにかく息苦しいんだ。それにユリアの父親の目が本当に怖いんだ。・・・愛想をつかされるっていうなら本望だよ。一刻も早く別れたいくらいだ。」
なかなか離さないケヴィンの手を振り払って、アニータはため息をついた。
「本当にバカな子ね。」
「ふふふ。アニータみたいな自由な女性の方が僕には合っていると思うんだ。ねえ、ユリアと別れたら、僕と付き合ってくれる?」
可愛いと評判のとっておきの上目遣いで、3歳も年下のアニータを見つめるケヴィン。
「何度も言っているでしょう?私は外国の公爵家に嫁ぐ予定なの。今は家同士条件を調整中で暇だから、暇つぶしをしているだけ。昼間から遊べるようなヒマ人があなたたちくらいしかいないから一緒にいるだけよ。」
「ははは!言えてる!」
アニータの言葉に笑うアルバート。
ケヴィンはぷくりと頬を膨らませた。
「その公爵って10歳も年上のオジサンなんでしょう?絶対僕の方が良いって。」
「ねえ、もしかして本気で言っているの?・・・・ケヴィンあなたまずいわよ。」
これまで冗談だと思って、大人な態度で受け流していたアニータだが、ケヴィンの言葉に、まさか本気なのかと心配になってしまう。
「まあまあ、アニータ。こういうのもケヴィンの可愛いところなんだよ。ユリアもこんなケヴィンが可愛くて仕方ないんだって。」
アルバートが言いながら、ケヴィンの肩に腕を回す。
「だと・・・・いいけど。アルバート、あなたもあんまりケヴィンを唆さない方がいいわよ。」
「オッケー大丈夫!ケヴィンだっていい大人なんだから、分かってるさ。外ではなんだかんだ言っても家ではちゃんとやってるって。な!ケヴィン。」
「ああ、もちろん!」
この時ケヴィンが本当に全く何も分かっていないことを、アルバートもアニータも気が付いていなかった。
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