二人の若者がちょっとした怪異を求めて街を散策するとりとめのない話

むらのとみのり

兎追いし

 古都市の外れにある下宿に南方三郎みなかたさぶろうが入って半年になるが、寂れてはいても小綺麗で飯もうまいこの下宿のことは、割と気にいっていた。


「よう、三郎君。いるかい?」


 そう言ってノックもせずに入ってきたのは、同じ下宿仲間の俵頑徹たわらがんてつ

 名前は厳ついが、スラリとしまった眼鏡の男前で、三郎より年はひとつ上で専攻も異なるが同期の学生だ。

 すなわち一浪したわけだが、そんな事を気にするのは入学当初の一部の学生だけで、少なくとも当人たちは気にかける様子もない。


「なんです? 夜食なら買ってこないと有りませんよ。といってもこの時間ではコンビニしか有りませんが」


 頑徹に比べるといささかひょろりとした優男の三郎がぞんざいに答えると、頑徹は面倒くさそうに首を振る。


「あんな定価でしか物を売らない店に用はない。それよりも君、これを見給え」


 いささか古風な口調の頑徹が取り出したスマホの画面を覗き込む。

 口調は古風でも、スマホぐらいは持っているのだなと三郎は感心したものだが、それよりも今はスマホだ。

 小さな画面に映し出されているのは、夜景に映えるビルの影からこちらを覗き見る巨大なうさぎの動画だった。

 先程SNSに誰かがアップしたものらしい。


「映画の宣伝ですか?」

「いや、今さっきこれを見たのだと書いてある」

「じゃあ、フェイクでしょう。信じるのはあなたぐらいですよ」

「なるほどわれもこれ一件だとそう考えただろう。だがこれはどうだ?」


 と別の書き込みを見せる。

 こちらには今と同じうさぎが、別の角度から映されていた。


「よくできた映像ですね。どこかのCGをやる学生のいたずらでしょうか」

「君も頑なだな、ではこれならどうだ?」


 今度は動画サイトを表示した。

 こちらはテレビのニュースをアップしたものらしい。


「これだって、よくできているフェイク動画だと言えば、言えるでしょう」

「だから君のところに来たのだ。吾の部屋にはテレビがないし、今はちょうど夜の十時。ニュースが始まる時間だ」

「なるほど、ではこいつが本物なら、僕が夜食をおごり、そうでないならあなたがおごりというわけですね」

「そのとおり、では電源を……」


 ポチリとリモコンを操作すると、画面いっぱいにうさぎの映像が映し出され、アナウンサーが真面目な顔で中継しているところだった。


『つい先程、古都市の中心部で巨大なうさぎの姿を見たという報告が、SNSを中心に広がっており……』


 ついでインタビューの様子などを流し始めた。

 二人が黙ってテレビを見ていると、突然中継の映像が乱れ、画面の端に件のうさぎらしきものが一瞬写り込んだ。


「どうかね?」


 と尋ねる頑徹に三郎はゆっくりうなずいて、


「つまりテレビ局もグルになったステマでしょう。きっと数日後に新作映画が発表されますよ」

「君も頑固だな。そもそも、君の実家はこうした怪異の大家だというではないか」

「誰に聞いたんです?」

「ここの女将だ」

「あの人も、見かけ通り口が軽い」

「そうした専門家の目から見て、あれは偽物だというのかね?」

「そんなことはわかりませんよ。いいですか、現代の妖怪怪異などと言われるもののうち、言い伝えや物語に同定されうるものはほとんどいないのです。大抵は作り話か、あるいはすでに死滅したかのどちらかで、もし現代に生きる妖怪がいれば、それは現代に新しく生まれたものなんですよ」

「なるほど、そういうものか」

「だからあれを僕が知らなくても偽物である証拠にはならないし、よしんば本物だとして、僕がそれを認定する権利を持ち合わせているわけでも有りません。ですから僕としては可能性としてフェイクである、というのがもっとも妥当な発言だと考えるまでです。現時点ではね」

「では、行って確かめるのが筋だな。なんせ夜食がかかっているのだし、あの辺りまでいけば、一晩中店も開いている。申し分ないじゃないか」


 南方三郎は、相手の言葉には直接返事をせずに立ち上がると、壁にかけたジャケットを羽織った。

 二人して外に出ると、夜は随分冷える。

 少し首をすくめて、三郎は自転車にまたがる。

 自転車に乗れない頑徹は、走るつもりのようだ。

 いつものことなので、気にせずに三郎が漕ぎ始めると、頑徹も同じ速度で走り出す。


「それで君、うさぎの妖怪とはどういうものだ?」

「さて、なんでしょうね。さっき新たに生まれると言いましたが、その根っこには古い伝承や噂などがあることも多いものです」

「ふむ……うさぎといえば、因幡の白兎を思い浮かべるな。ワニに毛をむしられる、間抜けなやつだ。いや、サメだったかな?」

「ワニかサメかは諸説ありますね。因幡の白兎といえば大国主の国造りでしょうが、動画に写っていたうさぎは別に毛をむしられてはいなかったでしょう」

「そうだったかな? ではなんだろう、月のうさぎかな。あれは中国や日本だけの話かね?」

「インドにおいても、サンスクリット語で月のことを『兎を持つもの』などと言ったりしますね」

「ふむ、では仏教とともに伝わったのだろうか」

「日本で言えば、今昔物語の説話が有名でしょう。飢えた老人に自らの身を差し出した兎を帝釈天が月へ登らせた、とありますね」

「それはお釈迦様じゃなかったか?」

「そいつは漫画の話でしょう」

「そうだったかな」

「似た話はアステカにもあります。飢えたケツァルコアトル神を救うために兎がその身を差し出し、感謝した神が兎を月に送った、というような話だったはずです」

「地球の反対側で、兎が同じことをしたわけか、ウサギのほうが先にグローバル化の波に飲まれていたと見える」

「でなければ、人間の発想力は思いの外単純なのでしょうよ」

「それにしても、どうしてそんなに兎は自己犠牲精神が旺盛なのかね?」

「さて、逆に西洋では兎は凶暴な動物として扱われてますね」

「農作物を食い荒らすからな。しかも首を食いちぎる」

「それは映画の話でしょう」

「ゲームではなかったかな?」


 二人がたわいない会話をかわすうちに、地下鉄の駅につく。

 そこから少し乗り継いで市内に出ると、彼ら同様ニュースを見た物好きが溢れていた。


「呆れたものだな、何だこの人混みは」


 自分のことを棚に上げる頑徹を無視して、三郎は人混みとは反対側に歩き出す。


「どうした、そちらになにかあるのかね?」

「人が多いと疲れるんですよ、それよりも夜食に何を食べます?」

「うさぎの話をしたからジビエと行きたいところだが、こんな時間にやっているビストロなんぞ、あったかな?」

「さあ、僕はしりませんね。それよりもうさぎといえば餅でしょう。この近くに和風の喫茶があったので、そこで腹いっぱい安倍川でも食べたいですね」

「吾は甘いものはどうもな。君とて酒飲みだろうに両刀かね」

「好き嫌いは性格に良くないですよ」

「別に性格が良くなりたいと思ったことはないが、それよりもまずは兎を探そうじゃないか」

「だったら、腹をすかせてうろつくべきですね。あちらから飛び込んでくる」

「なるほど、それは合理的だ。吾は合理的な話が大好きでね。君も知ってるだろう」

「妖怪怪異は非合理の塊じゃあないですか」

「それは君、一昔前までの、実在しないと思われていた頃の話だ。ここ数年、色んな所で妖怪怪異に接する機会が増えているだろう。皆、どこかで見たという。きっと現代になって蘇ったに違いない。だからここらで吾も一つ実物を拝むことで、確証を得たいと思っていたのだよ」

「それはあまり合理的な判断とは言いかねるのでは? 見たものが全て真実とは限らないでしょう」

「吾はそうは考えない、目にしたものだけが真実だ。唯物論的だな」

「おおよそ、妖怪怪異の世界とは相容れないと思いますね。儒者とコミュニストは怪力乱神を語らぬものでしょう」

「相容れぬと見えないかな?」


 頑徹は少し残念そうな顔で尋ねると、三郎は首を振る。


「さて、そればっかりは見てみないとわかりませんね」

「曖昧な話は、好かんのだがなあ。まあいい、君、歩こうじゃないか」


 そうして三郎と頑徹は、夜通し古都の街を歩き通したが、空が白む時間になっても、結局兎の妖怪には出会えなかった。


「ああ、もう夜が明けるな。空が明るい」


 頑徹の言葉に三郎が顔を上げると、真っ赤な星が目に飛び込んできた。


「ははあ、兎を見つけましたよ」


 と言って南の空を指差す。


「うん? あれはオリオン座じゃないのか?」

「その下にいるでしょう」

「オリオンの下といえばおおいぬ……、ああそれが追いかけるのは兎か。してみると吾らは狩人と猟犬、というわけか」


 そう言ってうなずいた頑徹の腹が、ギュウとなった。


「三郎君、ちょうどあそこに牛丼屋がある。女神に射抜かれる前に、牛を捧げに行こうじゃないか」


 頑徹の誘いにうなずくと、二人は仲良く店に飛び込んだのだった。


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二人の若者がちょっとした怪異を求めて街を散策するとりとめのない話 むらのとみのり @muranoto

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