第69話 世界の在り方
筑波さんをなんとか落ち着かせた俺たちは、逃げるようにその場を去った。
筑波さんは寂しそうな顔をしていたが、こればかりは仕方ない。鮮華に何やら目的がある以上、いつまでも筑波さんに捕まっているわけにもいかない。
だが、あまりにも落ち込んでいる様子だったため、別れ際に「また来るよ」とだけ残した。
これが冥土の土産にならないといいが……なんて不吉なことを考えながら。
俺たちはその後も以前世話になった人たちの元へ訪れた。
漁師の石田さんと鈴木さん。
彼らにはよく釣りを教えてもらっては、彼らが釣った魚を食べさせてもらった。
今回もちょうど漁から戻ってきたらしく、昼食ついでに魚を捌いてくれた。この新鮮な刺身が美味いのなんの。
バイクショップの店長、川崎さん。
俺たちは売り物の古びたバイクに勝手に跨っては、髭面で強面な彼によく怒られた。
だが、成長した俺たちを見ると急に泣き出してごつい体で抱き寄せた。
昔抱いていたイメージとは大きくかけ離れていたが、実際は昔からずっと良い人だったんだ。怒られたのも俺たちの安全を考えてのことだったんだろう。
免許取ったらここでバイクを買おうと思った。
この町唯一の小学校の校長。通称たぬき先生。
その愛称の通りたぬきのような丸いシルエットで、鮮華が通っていた頃から変わらず校長先生として勤めていた。
俺とは直接的な関係はないが、生徒でもない俺に対しても温厚で優しい初老の先生だ。
小さな校舎を案内し、いつでも遊びにおいでと優しく微笑んでくれた。
馴染みのある人たちと一通り再会を果たした俺たちは、浜辺で海を眺めていた。
いつの間にか日は傾いていて、地平線の向こうにオレンジ色の太陽が沈んでいくのがはっきりと見渡せる絶景スポットだ。
こうして並んでいると青春を謳歌する恋人みたいだな、なんて考えていると──
「こうしていると恋人のようだね」
「やめろ」
同じこと言うな。僕らはいつも以心伝心ってか。勘弁してくれ。
「そう恥ずかしがらなくてもいいじゃないか。今は僕らしか居ないんだ」
「そういう問題じゃなくてだな」
思考回路が鮮華と同じってところが恥ずかしいんだ。俺も随分と恋愛脳に毒されたらしい。
俺は話を逸らすために、今日一日ずっと抱いていた疑問をぶつけた。
「今日はなんでこの町に来たんだ?」
筑波さんの元で聞きそびれた話だ。
鮮華はこの町の人に会うためだと言っていたが、どうして会いたかったのだろう。その疑問がずっと頭の中を渦巻いていた。
寄せては返す波を眺めながら鮮華は静かに答える。
「この世界のことを知りたかったからだよ」
「この世界のこと?」
反芻すると鮮華は静かに頷いた。
水面に反射する陽の光に目を細めながら、鮮華は話を続けた。
「テセウスの船って知っているかい?」
「また難しい話かよ。知らねえよ」
「パラドックスの話さ。テセウスが所有する船を保存するため改修に改修を重ねた結果、パーツは全て元あったものとは別のものに入れ替わってしまった。この時、改修後の船は果たしてテセウスの船と呼べるのかってね」
「なんだそれ」
つまり過去にあったテセウスが所有する船と、パーツが全て入れ替わった船は同じものかって話か。
テセウスが所有してるならテセウスの船であることには変わりないが、船だけを見りゃそれはもう同じ形の別物だ。クローンの話に近しいものがある。正解はこうだ、なんて言える話じゃないな。
所有者を主体と見るか船そのものを主体と見るかで話が変わる。パラドックスと言うより国語の問題に近しい。
鮮華がこの難題の解を求めているとも思えないため、俺は早々に思考を切り上げて本題を促す。
「で、それが何か関係あるのか?」
「僕は思うんだ。この世界が二周目だとして、果たして一度壊れた一周目と同じ世界だと言えるのかなって」
なるほど。言われてみればそうだ。
この世界が物語であり、フィクションであることには変わりない。この世界で生きている人も建物も全て一周目と変わらない。
だが、鮮華が以前因果律の話をした時と同じで、この世界は見た目だけだと一周目と何も変わらないが、その実全く違うルートを辿っている。
今こうして鮮華と海を眺めているのだって、一周目ではなかった出来事だ。
この世界は本当に一周目と同じ、あのクソッタレな作者が作った物語の世界なのか?
そう聞かれて肯定できるほどの根拠はない。もちろん、否定も同じことだ。
「あー、ややこしい。そんなこと考えたってわかるかよ」
俺は思考を放棄した。
この世界が一周目と同じだろうと違おうと、俺たちはこの世界で確かに生きている。それでいいだろ。
だが、鮮華は俺の方を真っ直ぐ見て「大事なことだよ」と告げる。
「この世界が一周目と同じなら、僕たちは何をしようと一周目と同じ道を辿ることになる」
「いやいや。一周目では紗衣が何人もの人を殺すことになったが、それは紗衣がこの世界について知ってたからだろ。でも二周目のあいつはなにも」
「二周目でもこの世界について知っている人物がいるだろう?」
「あ、ああ……」
桐崎、か。
この二周目では紗衣が第四の壁の向こう側の存在を知らない代わりに桐崎がそれを知っていた。
「人が変わっただけで、実際には一周目と何も変わってはいないよ。桐崎さんをどうにかしないことには、ね」
「……桐崎が人を殺すってのか?」
「どうだろうね」と鮮華は再び沈む夕陽に目を向ける。
いやいやまさか……とは言い切れない。
紗衣だって、人を殺すような奴じゃなかった。誰にでも優しくて明るいただの女の子だったんだ。
桐崎がその力を手に入れて、何も起こらないと言い切るのは難しい。
「ああクソ。どうすりゃいいんだよ」
「幸せにするしかないんだよ」
簡単に言ってくれる。今のところただの一人さえその目標を達成出来てないんだ。
だと言うのに、今俺のことを否定している桐崎に歩み寄って、彼女を幸せにする方法なんて何も思い浮かばない。
思考でパンクしそうな頭を掻いて、俺はため息をついた。
「それが出来りゃ苦悩してねえっての」
「だからこそ僕らがいるんだよ」
鮮華は俺の手にそっと触れる。こうして彼女に触れられると安心感を抱く自分が居る。
「僕や武道君、三枝先生だってそうだ。この二周目の世界なら、もっと多くの人が君の味方をしてくれる。僕らを頼るといい。そのために僕らが居るんだ」
「……お前はヒロインだろ」
「そうかもしれないね」
鮮華はクスッと笑う。いつもの貼り付けたような笑顔じゃない。ちゃんとした、心からの笑顔。
「僕は灯君が幸せならそれでいいよ。だから、今は他の女の子……いや、この世界で君と関わる全ての人を幸せにすることを考えよう」
「規模増えすぎだろ」
「きっとそれがこの物語を終わらせるヒントだよ」
鮮華はゆっくりと立ち上がり、ぱんぱんと砂を叩き落とす。
やっぱり分かんねえ奴だ。俺には見えていない世界が見えているんじゃないかと勘繰りたくなるほど、彼女の思考は俺の二つ三つ先を行く。
俺には鮮華の考えが分からない。結局彼女がこの場所に来た目的も不明瞭なまま。
だけど、一つだけ確信できることもある。
「ほら。まずは三雲さんのことだろう? 帰り道にでも彼女を救う方法を考えよう。僕と一緒に」
凛々しく優しい鮮華は、頼りになる。
その差し出された手で俺を導いてくれる。
「ああ。そうだな」
俺は鮮華の手を握った。
鮮華となら、この世界で俺と関わった全員を幸せにするなんて夢物語を現実に出来そうな気がしてくる。
そう思わせるような、小さくとも力強い手だった。
「因みにさっきの件だが、結局ここに来た理由になってない気がするんだが」
「誰にも邪魔をされない場所でデートしたかっただけだからね」
「お前なぁ……」
鮮華は悪びれた様子もなくくすりと笑う。
本当にこいつを頼っていいのか不安になった。
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