第68話 デートイベントは突然に

「鮮華、相談がある」

『珍しいね。明日は槍が降りそうだ』


 そんな電話から始まった火曜日。体育祭の振替休日だ。

 体育祭での活躍、さらにはMVPに選ばれ、当初の目的は達成された。

 だが……だからこそと言うべきか。

 陸奥や武道、先輩たちと接しているうちに俺は迷っていた。

 その答えを見つけるため、俺は鮮華を頼ることにしたんだ。



「待たせたね」


 駅前で鮮華を待っていると、予定時間ぴったりに彼女は現れた。

 デニムのパンツに刺繍の入った白いブラウス。ゆったりとしたシルエットにも関わらず、どうも鮮華のわがままボディは主張が激しい。

 今時わがままボディとか言わない? いいんだよ伝われば。

 いつも制服ばかり見ていたせいで、この格好は新鮮だった。


「似合うな」

「それはどうも。張り切った甲斐があったよ」

「普通に話があるだけなんだが」

「いいじゃないか。一周目でもこうして二人で出かけることはなかったんだから」


 彼女は少し不貞腐れたように「他の子とは出かけていたようだけど」と付け足す。

 悪かったな。流石に全員とデートイベントを起こす余裕はなかったんだよ。

 抱えた問題を早いところ吐き出したくて、俺は周囲を見渡して手頃な店を探す。


「じゃあ適当な店で」

「さて、行こうか」


 ファミレスに向かおうとした俺の腕を強引に引く。どこへ行こうと言うのかね。


「せっかくのデートなんだ。少し遠出をしよう」

「いやデートじゃないが」

「つれないね。僕も君のヒロインなんだ。少しは優しくしてくれないかい?」


 どちらかと言うとサポートキャラに近い気がするんだが、こうなってしまった鮮華は人の話を聞かないことも知っている。

 まあ、いつも世話になっていることだし、たまには彼女のわがままに付き合うのも悪くないかもしれない。

 そんなことより、鮮華が腕に引っ付いているせいで柔らかいものが当たっている。それに、ブラウスの首元が緩いせいで俺の位置からだとちょうど双丘の渓谷が見えて目のやり場に困るんだ。


「見たいなら好きなだけ見るといい。僕は気にしないよ」

「……いややめとく」


 え、いいんですか!? と飛びつきたい本能を理性で抑え込む。ここで負けたら鮮華の思うつぼだ。

 わかっててやってるってことは、何か裏があるってことだ。最悪渓谷から毒針が出てくる可能性まである。クノイチですか?

「それは残念だ」と全く残念そうじゃないテンションでボヤく鮮華に連れられ、俺たちは電車に乗り込んだ。



 電車に揺られること二時間ほど。向かった先は海沿いの小さな町だった。

 海が太陽光を反射してキラキラと光り、車窓からでも長閑で穏やかな雰囲気が伝わっていた。

 ここは知っている。昔、俺の祖父が住んでいた場所だ。

 そして、鮮華と出会った場所でもある。


 小さな無人駅で降りて空気を吸う。

 懐かしい匂いだ。俺はこの空気が好きだった。

 磯の香りと言うのか、住宅ひしめく都会では感じられない空気感。懐かしく、落ち着く。


「懐かしいだろう?」

「そうだな。何年ぶりだろうな」


 小学六年生の頃に祖父が亡くなるまでは、妹の明と二人で毎年この町に来ていた。夏休みと冬休みの二回。父方の実家に帰省する形で。

 何も無い町でやることもなかった俺は、明を連れてよく外で遊んでいた。

 俺が今住んでいる街は海がない。だから、珍しかったんだろうな。

 どこまでも広大に広がる海水。風に乗って漂う潮の匂い。この温かい空気が好きだった。

 そうして外で遊ぶうちに出会ったのが鮮華だ。


 堤防越しに海を眺めながらゆっくりと歩く。

 何も無い田舎町。本当に何もないが、この雰囲気は悪くない。


「よくこうして一緒に歩いていたね。明ちゃんと三人で」

「歩くってより駆け回ってたの方が正しいけどな」

「走ってみるかい?」


 鮮華の足取りが軽やかになる。タンタンと小気味よく響くスニーカーの音。


「ほら、おいでよ」


 にここと自然な笑顔を見せ、こちらを振り返る。もうそんな歳でもないだろうに。

 だが、鮮華の表情を見ていると、なんだか俺まで気分が上がってくる。

 いつもの貼り付けたような笑顔じゃない。懐かしいような、新鮮なような、明るい無垢な笑顔。

 本当に楽しそうだ。


「仕方ないな」


 そう言って肩を竦めて見せるが、悪い気はしない。

 こんな顔で笑う鮮華を見るのはいつぶりだろう。

 一周目で何度か見せていたその笑顔は、海水を反射した光に照らされて余計に輝いて見える。

 普段は凛々しく澄ましたような表情を崩さない鮮華がこうして笑っていると、そのギャップで胸を打たれそうだ。

 そうだよ。ギャップってのはこうして使うんだよ。

 あと、昔よりも随分成長した体のせいでやはり目のやり場に困る。すごい揺れですね。耐震設計大丈夫ですか?

 二人して海沿いを駆けていると、鮮華が突然足を止める。


「灯君はムッツリだね」


 そう言って胸元に手を当てる鮮華。早乙女副会長のこと言えねえな。

 汐留の時もそうだったけど、女の子って結構男子の視線に気付くんですね。以後気をつけます。



 一頻り動いた俺たちは、堤防に座り込み海を眺めていた。

 昔はここに座っては地元の婆さんによく怒られたもんだ。

「そこから落ちたら戻れないよ!」ってガミガミと説教されて。

 当時はうるさいおばちゃんだと思っていたが、あの人が言っていたことは確かに正しかったのかもしれない。

 堤防から足元を見ると、消波ブロックがやたら低い位置にある。当時の俺らじゃ確かに戻って来れなさそうだ。

 鮮華も同じことを思い出していたのだろう。


「ここでよく筑波さんに怒られたものだね」


 と言って微笑んだ。


「だな。せっかく頑張って登ったのに、運悪く背後に現れて」

「これ! そこに座るんじゃないよ!」

「そうそう。そうやって……」


 聞き覚えのある懐かしい声に導かれるように、俺と鮮華は後ろを振り返る。

 俺たちの視線の先で、腰の曲がった厳格そうな老人がこちらを睨みつけるように立っていた。


「もしかして、筑波さん?」

「おや? お前さんは……?」


 妙な偶然もあったものだ。噂をすれば、と言うやつだ。

 腰は昔よりも随分曲がって、皺も増えている。声だって数年前に比べるとだいぶ枯れてしまっているが、間違いなく今話していた筑波さん本人だった。



「なんじゃ、懐かしいのぉ」


 筑波さんに案内され、俺たちは古びたリサイクルショップに来ていた。筑波さんの家であり、彼女が経営する小さな店だ。

 田舎の家特有のなんとも言えない匂い。ほんのりと線香の香りも漂っている。


「ご無沙汰しております」


 鮮華の丁寧な挨拶にがははと笑って応える筑波さん。この豪快な笑い方は昔と何も変わらない。


「あのやんちゃ坊主共がこんな立派に成長しおって」

「筑波さんも変わらず元気そうで何よりです」


 学校では教師に対しても変わらずラスボスみたいなタメ口で話すくせに今日はやたら丁寧だ。鮮華って敬語で話せたんだな。


「鮮華嬢も灯坊も大きくなってのぉ」

「そりゃ五年も経ってりゃ成長もしますよ」

「がはは、灯坊の生意気な態度は変わらんのぉ」


 筑波さんと話していると懐かしく思える。

「うるせえババア!」とか言って、よくゲンコツ食らってたなぁ。手が骨ばってるせいであれが痛いのなんの。


「それにしても……」


 筑波さんは鮮華の体を下から上に舐め回すように見る。


「鮮華嬢は話し方こそ丁寧になったが、体は随分わがままボデーじゃのぉ」

「ふふ。そんなに見られると恥ずかしいですよ」


 わがままボディってこの世代でも使うのか。やっぱ今後使うのはやめよう。鮮華より俺の方が恥ずかしい。


 俺たちにお茶を出してくれた筑波さんを含め、丸テーブルを囲んで三人向き合う形で座る。

 筑波さんは麦茶を啜ると口を開いた。


「なしてこんな町におるんじゃ?」


 確かに。俺にもわからん。

 なんで? と俺も鮮華に目線を送る。

 が、にこりと貼り付けた笑顔を見て失敗だったと気づく。


「デートです。私と灯君で」

「なんと! お付き合いしておったのか!」

「いや待て」


 言うと思った。あの笑顔はろくなことを考えていない時の顔だった。

 このやり取りどっかで見たことあるぞ。あれだ、進〇ゼミで習ったやつだ! じゃなくて、三雲がよく使ってたやつだ。

 穏やかで不気味な笑顔の鮮華と感動に体を震わせる筑波さん。つか一人称もいつもと違うな。これが猫かぶりスタイルか。

 と、鮮華のことは今はいい。とにかく事実無根なことは否定せねば。


「俺たちは付き合ってない」

「灯坊はこのわがままボデーを好き放題出来るのか。羨ましいのぉ」

「人の話を聞け変態ババア」

「誰がババアじゃ!」


 硬いものと硬いものとがぶつかる鈍い音が狭い部屋に響く。マジで痛えこれ。

 自分に不都合なことだけ聞こえないとかどんな耳してんだ。難聴系主人公かよ。


 鮮華はどこか楽しそうにくすくすと笑っている。

 多分こんなやり取りが懐かしいんだろう。

 俺も悪い気はしない。痛いけど。


「で、本当は何しに来たんだよ」


 話を元に戻すと、鮮華はにこりと微笑む。


「筑波さんに会いに来たの」

「なんと!」


 バイオレンス変態ババアに会うためだけにこんな町まで?

 とは言えなかった。筑波さんが目を潤ませて鮮華の手を握っていたからだ。


「わしの娘になりたいとは、嬉しいことを言ってくれる」

「筑波さんだけしゃないですけどね」


 鮮華は眉根を寄せる。ホント人の話聞かないなこの人。鮮華ですら困惑するんだ。相当会話のキャッチボールが出来ないことが窺える。

 だが、鮮華の困った顔は新鮮で面白い。

 少しだけ昔の鮮華に戻ったようで、なんだか懐かしさがある。


「この町でお世話になった人たちに会いたかったんです」

「なんでまたそんな」


 いや、少し違うな。筑波さんの応対に困っていると言うよりは、何か別のことで思い悩んでいるようだった。

 人の話を聞かずに感涙している筑波さんを放置して、鮮華は俺を一瞥した。


「僕の存在意義を明確にするためだよ」

「存在意義?」


 何を言ってるんだ。理由を聞いてもよくわからない。

 鮮華はヒロインとしてこの世界にいる。それがこの物語が決めた定めだ。

 それを今更、何を明確にしようと言うのだろうか。


 鮮華は俺の質問に答えようと口を開く。

 が、筑波さんの手をそっと押さえ、


「とりあえず、そろそろ泣き止んで頂けませんか?」


 と苦笑した。

 確かにこんな状況で話せる内容じゃない。

 何より泣き声がデカすぎて会話が出来ない。サイレンみたいな声を出すな。ボリューム調整出来ない古いラジオかよ。

 その場でそれ以上の話は聞き出せず、俺たちは筑波さんを宥めるだけで必死だった。

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