シュレディンガーのユキ

エリ

第1話

 その日も私は死にたかった。バイトを終え送迎の車を降り、8畳1Kのアパートへ帰る。さして飲んでもいるわけでもないのに、寒さと酔いを言い訳に着替えただけで、メイクも落とさないまま布団を被り、元カレとのトーク画面を開く。

「おうちに帰りたいよ」

返事は無い。既読も付かない


 付くはずが無いのだ。彼は3年前に死んだのだから。自殺だった。少なくとも、私は共通の知人からそう聞いていた。世の中が未曾有のウイルスに侵されて、人々の日々の営みが破壊され、芸能人の自殺のニュースが目立つようになった頃だった。葬儀にも参列出来ず、集まって友を亡くした悲しみを分かち合うことも叶わなかった。それらしい儀式的なものと言えば、この夏に一度、彼の勤めていたBARで一緒に働いていた友人に誘ってもらって行った、うだる蒸し暑さの中の墓参りだけだ。


 私は辛さや孤独に耐えられなくなると、この絶対に返事をくれる事のない友人にメッセージを送る。幽霊の返事を期待している訳ではない。見ず知らずの彼の家族に、土足で読まれる事の無いように願いながら、今夜もメッセージを送る。そうしてひとしきり、彼との思い出や死や自分の最期の深淵を覗いて、現実に帰る。


 ふと、何故か今夜ふと、SNSで彼のメールアドレスのファジーネーブル(柑橘系のカクテルの名前)をもじったユーザー名を検索してみた。自分でも何故急にそんなことをしようと思ったのかは分からない。元より自分にストーカー気質な所があるのは認めている。しかし、10年程前に一緒に暮らしていた頃に相互フォローしたメインのアカウント以外、今日までその存在を気にしたことも無かった。検索結果の欄には、3つのユーザーが並んでいた。1番上は英語ユーザーのようだった。2番目は特記することもない初期アイコン。スクロールするほどもない検索結果の中に、それはあった。


「曖昧な林檎@fuzzy〜」


 曖昧な林檎?不思議な単語に手が止まる。彼の言葉を思い出す。

「ファジーネーブルのfuzzyっていうのは、曖昧なって意味。ピーチリキュールをオレンジで割るんだけど、どっちとも取れる曖昧な味って名付けられたんだって。はっきりしない感じが気に入ってるんだよね。」

気になって呟きを読もうと開いてみると、そこには一昨日の投稿があった。

「めりーくりすます。」

 どこかのバーのカウンターのような所で撮られた、ウイスキーのロックらしい画像に、平仮名の間の抜けた一文。一瞬、まさかと思った。

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