第9話 扉は開くもの


「おら、何にするんだ、早くしろ」


 カウンターを指先でトントン叩きながら、先輩が客を催促する。見ればおじいさんの顔は恐怖のせいかやや引きつっていた。


「なんだか今日のニアちゃん怖くない……?」

「こっちは忙しいんだよ!」

「え……客ワシひとりだけなんだけど……」


 助け舟を出さなければ収まりそうにない空気。私はメニュー表を片手に慌てて駆けつける。


「あーはいはいすみません! すみません! 先輩ちょっと私のせいで気が立っちゃってて。ご注文ですよね? 新メニューもありますし、定番のコルミア粥も人気ですよ」

「お、おう。じゃあ、コルミア粥で」

「かしこまりました! ほら、先輩、コルミア粥ですよ!」

「ふん!」


 先輩は調理器具の引き出しに手を突っこみガシャガシャと音を立てて漁りだす。


「あはは……。すみませんおじいさん、せっかく来ていただいたのに……」

「ああ。気にはしとらんが……。そっけないニアちゃんも、逆に新鮮でいい……」

「そ、そうですか……」


 偶然にも先輩は、おじいさんの新しい性癖の扉をこじ開けようとしていた。

 一方で先輩はそんなことを露と知らず、不機嫌そうに顔を上げながら店の扉を睨みつける。


「ん? 今日はあいつ来ねぇな」

「あいつって、ロスカのことですか?」

「ああ。いつも一番乗りでやって来るくせに、今日に限ってこねぇなんて」

「あれ? 先輩、ロスカのこと待ってたんですか?」


 首をかしげる私をよそに、先輩はお粥をおじいさんによそいつつ、ぼそりとつぶやく。


「いや、そういうわけじゃねぇけどよ」


 何かを目で訴えかけてくる先輩。私は吹きこぼれた汁がエプロンについていないか、背後の窓が汚れていないか、あせあせと確認する。

 変なところはないけどなぁ。先輩は時々こういう目線を飛ばして来るので、私はいつも反応に困ってしまうのだ。

 すると思いがけずカウンターの方から声が飛んできた。


「おぉ? ロスカってーと、あのロスカのことか?」


 見ればおじいさんがあごひげを触りながらにやにやと笑っている。


「なんだ、ロスカのこと知ってんのかよじいさん」

「ああ、あいつはこの前新しい仕事を任されてたからな。もしかすると仕事に慣れるために徹夜で頑張っとるのかもしれんのぉ」


 私はわずかに目を見開いた。以前、ロスカがムキになって語っていた様子が脳裏に浮かぶ。


「へぇ……。ロスカの話、嘘じゃなかったんだ。輸送列車の心臓部の製造を任されてるって」

「心臓部……? あっはっはっはっはっは! ヒーッヒーッ」


 おじいさんは私の言葉を聞くと途端に大声で笑いだした。机をバンバンと叩き、笑い転げている。先輩は眉をひそめながら口汚くたしなめた。


「おい、汚ねぇなじじい。米粒飛ばすな」

「いやはや、なるほどのぉ。ロスカも男の子じゃな。ニアちゃんやかわいいウエイトレスさんの前で、かっこつけたかったんじゃろう。わかる。わかるぞその気持ち」

「か、かっこつけたかった?」

「ああそうじゃ。あいつは今、確かに輸送列車に関わる仕事をしとるが、ねじ切りとバルブハンドルの修理しかやっとらんはずじゃぞ。残念ながら、機関部からはだいぶ遠いのぉ、ほっほ」


 わざとらしく眉を下げ、肩をすくめるおじいさん。

 私はあきれてものが言えなかった。自分の幼馴染が出世していると聞いて、ほんのちょっとだけ見直しいたというのに、まったく。


「もう、ロスカのやつ、調子いいんだから……」

「なんじゃ、お嬢ちゃんロスカが気になるのか?」


 顔を上げると、にやりと笑う顔が二つ並んでいる。

 私は誤解を解こうと慌てて両手をぶんぶん横に振った。


「い、いえ、ただの幼馴染ですから! く、腐れ縁なんです!」


 ほほう、と得心した様子のおじいさんは私に向かって人差し指を立てた。


「いいことを教えてやろうお嬢ちゃん。ロスカはな、工場区南ブロックの三番地、青い屋根の工場におるはずじゃ。窓からでものぞけば、働いとるところがみえるじゃろうて。わしの情報はちと古いからの。間違いがあるかもしれん。真実をその目で確かめてみるのはどうじゃ」

「い、いえ、そこまでしなくっても。どうせ、ロスカのことだし、別に……」

「三番街の、青屋根じゃ」

 おじいさんは念を押すように繰り返す。先輩もなぜか、その後ろで親指を立てていた。


(何、この状況)


 私は深くとため息をつきながら、仕方なく「覚えておきます」とだけ返す。それを聞き届けたふたりは、うんうんと頷き、やっと引き返してくれた。

 立て続けに扉の鈴が鳴る。ぞろぞろとお客が店内に転がり込んでくる。


「あ、いらっしゃいませ! コルミアのお粥屋へようこそ!」

 気がつけば今朝からの悩みはどこへやら。私はいつもの調子を取り戻し、あくせくと接客を続けたのだった。

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