第7話 すれ違いと憧れ

「ほらリオ、小さな竜はいいぞ。部屋の中限定だが、ソリウスも好きなだけ飛ぶことができる」

「でもそれだと、鉄塔に登って、大空に翼を広げることはできないです……よね?」


 さっきは頑張っていることを褒めたのに、今度はやめた方がいいという。

 矛盾している、というより、なんだか話が噛み合ってない気がする。

 言いようのない不安が頭をもたげる前に、館長が畳み掛けてきた。


「リオ。時代は変わったんだ。あちらの国で見て来たものはすごかった。鉄の塊が街を走り、巨大な列車が竜よりも効率よく荷物を運ぶ。鉄塔がいらない機械仕掛けの竜なんてものも、計画されていたんだ。衝撃的だったよ。仕方がないことなんだ。竜運が衰退するのは」


 遠くを見つめるような壮年の目元には、光の加減のせいか、よく見ればクマが深く刻まれている。

 なだめるような声は穏やかだったが、ずっしりとした重みがあった。


「わかってくれ、リオ。いずれ技術の波はこの国にも訪れる。だから、リオがお粥屋で働いていると聞いて私は安心したんだ。もうどうしようもなくなったとしても、生計は立てられる。ベルだって体が小さくなったとしても、リオと一緒に過ごせるだけで幸せなんじゃないか? ん?」


 私は思わず俯いた。

 何も返すことができなかった。

 この国が将来どうなるかなんて、見当もつかない。

 館長の言う通り、ベルと平和に暮らすってのも悪くないかもしれない。

 でも、でも。

 釈然としない感情が胸の奥でぐるぐると渦を巻く。


「おいおいそんな顔するなって。あー、もう。わかったわかった! 俺が言い過ぎたよ。ったく、これはもっと後にちゃんとした形でお披露目しようと思ってたんだが……仕方ない。実はみんなにとっておきのサプライズを用意していたんだ。内緒だぞ?」

「サプライズ……?」


 髭面男はいつもの少しおちゃらけた表情へと戻り、私にウインクを飛ばしてきた。


「リオ、俺がコルミアに帰ってきたのは新米操竜士に長ったらしい説教をするためじゃないんだってことさ」


 言いながら館長はごそごそと足元の旅行鞄から封筒に閉じられた書類を取り出し、パシンと片手で叩いて見せる。


「竜の必要性を説く、ベゼルダルの教授が書いた論文だ。竜がいなくなったことによる周辺環境への弊害がまとめてある。これを市長に直談判しに行くんだ。今までと同じとまではいかないかもしれない。だがまたいつかどんな形であれ、俺は商会に仕事を取り戻したいと思っているんだ」


 夜空を見上げた館長の瞳は決意に満ちていた。

 ジンと、私の胸の奥に熱が宿る。

 初めて空を飛んだ時、幼い私を包んでくれた館長の腕の温もりを不意に思い出す。

 自然と頬がほころんだ。


「館長はやっぱりすごい……です。お一人で考えて、たとえ険しい道のりでも厭わず、遠い国からこんな良い知らせを持って帰れるなんて。私は結局何も……できませんでした。どうにかしないといけないと思いつつも、ただ、同じ毎日を繰り返すばっかりで……。でも! 館長がいれば百人力です! 私もなにかお手伝いさせてください! また空を飛べるのなら、なんだってします!」


 たどたどしい言葉を、館長は何も言わず、じっと聞いてくれた。期待に胸を高鳴らせ、私は熱い視線を送り続ける。

 しかし、それを受け取っているはずの館長は、あごに手を当てて黙り込んだ。突然嫌な静けさが私達を包み込む。

 そしてやっと返ってきたのは少し困ったような顔と、口元から漏れる苦笑だった。

 鉱石灯が時折響かせる小さな石の振動音が、街路にむなしく響き渡る。

 館長は冷たい空気をゆっくりと鼻から吸い込み、小さく肩を落とした。


「空を飛ぶ……ね。今までと同じような竜運を復活させるのは、やはり一筋縄では行かないだろう。さっきも言った通り、工業化の波はこの国にも迫っている。リオ、時代は変わろうとしている。だから今は、いろんな可能性を考えるべきだ。あまり鉄塔に登ることや、飛ぶことばかりにこだわるな。竜と過ごす方法は他にもいくらでもあるぞ。そういえば、ベゼルダルでは機械のペットが流行していたぞ。あれなんかいいんじゃないか? な、リオ。そんなふうに竜と人、俺たちは他の道を模索しても、良い頃合いだと思ってるよ」


 ガツンと殴られたような衝撃を感じた。一瞬目元がピクリと動いたが、なんとか張り付けた笑顔で取り繕う。


「そう、ですか……」


 抑えたつもりでも震える声だけは隠せなかった。まさか竜運商会の館長ともあろう人でさえ竜運を、竜と空を飛ぶことを諦めかけているなんて。

 じゃあいったい私は、今まで、何のために――。

 ショックを受けている私をよそに、館長は何かを思い出した様子でごそごそとポケットを漁ると、大きな赤い宝石で装飾された懐中時計を取り出した。


「ん。そろそろ時間も遅い。リオ、明日は休みかい?」


 言われて私ものろのろと自分の腕時計に目を落とす。吸光石がちりばめられた文字盤が、深夜の時刻を告げている。


「そ、そうですね! もうこんな時間。あ、そういえば明日の仕込みは私の番でした! じゃあまた館長、お休みなさいっ!」

「ああ、またな」


 背中で館長の声を受け止めた後、私は奥歯を噛み締め駆け出していた。

 1ブロックほど全力で走ったところで息が上がり、膝に手をつく。

 ちらと一度だけ振り返ってみたが館長の姿はもう街路にはなく、遠くで半開きの門だけが風に揺られていた。

 私は鉛のようになった体を持ち上げて、切れかけの街灯が点滅する石畳の上を家に向かって黙々と歩き始める。



 ――鉄塔に登ることや、飛ぶことばかりにこだわるな――



 頭の中に館長が放った言葉が、何度も何度も反響していた。


「あはは、仕方ないこと、なんだよね。全部。誰かが悪いわけじゃない。きっと、この時代のせい、なんだから」


 自分にそう言い聞かせるも、上手く感情が整理できなかった。

 大きくまばたきをすれば危うく涙がこぼれてしまいそうだ。

 翠玉の鱗を輝かせ、鉄塔を前に身を低くする大きな成竜。そしてその鞍へ颯爽と跨る館長はいつだって私の憧れだった。

 だからだろうか。館長は私と同じように、竜と空を飛ぶことを心から愛していると信じて疑わなかった。たとえ行方が分からなくとも、同じ空の下、思いは通じていると勝手に思い込んでいた。

 結局、私の独りよがり。憧れの人が運んでくれた希望は、私が望むものとは少し、違っていたみたい。

 そう思うと、無性に悲しかった。

 胸から背中まで開いた大きな穴を、夜の冷たい空気が通り抜けていくようだった。

 家に帰った後気分転換に少し熱めのシャワーを浴びても、それは変わらずじまいだった。


「こういう時は、そう! 早く寝るに限るね! あはは! たくさん寝て、元気な頭でまた今度考えよう!」


 私は空元気を振り回しながらベッドにもぐりこむと、布団を頭からかぶり、目をぎゅっとつぶる。ベッドに置いてあった竜のぬいぐるみを手探りで見つけると、冷え切った胸元に強く抱き寄せた。


 ようやく眠りにつけたのは、出勤時間の迫る明け方のことだった。

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