第6話 夜の来訪者
ベルを竜舎へ戻して鍵を閉め、竜舎を後にした私は居住区に向かって歩き始めた。
すっかり暗くなった空の下、鼻歌を歌いながら腕を振る。しばらく進むと、私は竜運会館の前に差し掛かった。
すでにほとんどの機能を失った会館は、明かり一つついておらず、のっぺりとした黒い塊の様で少し不気味だ。普段ここへ寄り付く人はおらず、竜運に関連した設備の管理をするエリザさんがたまにやって来るぐらい。それもほとんど、太陽が出ているうちに帰ってしまう。
だからこんな夜更けに会館前に立つ人影を見た私は、一瞬幽霊か何かじゃないかと疑ってしまった。
恐る恐る近づいてみると、その人物は会館の門扉の前で、手持ちタイプの鉱石灯をぶら下げ建物を見上げている。
(足は……ちゃんとあるね。よし。幽霊じゃない)
ほっと胸を撫で下ろし、私は目線を徐々に上げていく。よれたスラックスパンツ、ダボついた上着にあご髭ときて最後、明かりに照らされた横顔にハッとした。
以前より髭が長く伸びており、気づくのが少し遅れたが、間違いない。心臓が小さく跳ね、私は会館前までの短い距離をその人物目掛けて駆け寄った。
「館長? 館長ですよね⁉ 急に行方不明になって、みんな心配してたんですよ!」
ゆったりとした動作で振り返る大柄な男性。精悍な彫りの深い顔立ちに、着崩しっぱなしで型が付いてしまったフライトジャケット。垂れ下がった目尻には少し皺が増えていたが、その立ち姿は間違いなく竜運商会のエルメス館長だった。
「ん? おお! リオじゃないか! ははっ、大きくなったなぁ! 今年でいくつになった?」
館長は鉱石灯を胸元まで持ち上げると顔を輝かせ、髭面を私に寄せてくる。
「十六です。館長こそ、背が縮んだんじゃないですか?」
「そんなはずあるか! リオの背が伸びたんだよ! まったく、前は俺の胸元ぐらいの背丈だった娘が、こんな立派な女性に成長するなんて……ぐすっ、おじさん泣いちゃう」
館長はわざとらしく涙ぐむふりをして見せる。このおちゃらけた男が街を離れて、もうずいぶん経つ。私はぷいと顔を横に背けつつ、頬を膨らまして館長を睨みつけた。
「どこほっつき歩いてたんですか。副館長のエリザさん、竜運商会が正式に休止するまでの間、ずっと大変そうでしたよ!」
「あー……はは。それは申し訳ないことをしたな……。俺はずっとベゼルダルにいたんだ。遊びじゃないぞ、商会のためだ。海を越えて、見分を広げていたんだ」
館長は少しばつが悪そうに後ろ頭をかきむしる。ベゼルダルと聞いた私の頭には、機械でひしめく国のイメージが浮かんでくる。
「ベゼルダルって輸送列車を開発した国ですよね? 竜運は衰退してるって聞きましたけど」
「逆転の発想だよ、リオ。反面教師ってやつさ。コルミアに無くて向こうにあるものはたくさんある。物流についてもいろいろ勉強になったよ。何が足りなくて、何ができるかを歴史から学ぶのは大切だ」
「さすが館長。できる男は違いますね!」
柄にもなくまじめに語る館長へすり寄ると、軽いおふざけで脇腹を肘で小突いた。
「ったく、そうやって大人をからかうんじゃない」
両手を腰に当てる館長はまんざらでもない様子で笑い顔だ。
すると、胸元に引っ提げていたメッセンジャーバックがもぞもぞと動いた。
「ピィ!」
バッグの蓋を押し開け飛び出したのは、小さなエメラルド色の角付き頭。
「おお、起こしてしまったか」
「ソリウス! 久しぶり! 元気にしてた?」
「ピ!」
ぐっと近づいてみると、ソリウスは私の鼻先をざらついた舌でちろりと舐める。
手乗りサイズのこの小さな竜が、かつて私を乗せて鉄塔を駆け上がったなど、言われなければ誰も信じてくれないだろう。
「こんなに小さくなるなんて。ソリウス、ずっと食べてないんですね」
「……あっちの国には、竜が登れる鉄塔はないんだ。仕方がない。大きくったって、飛べなきゃ場所を取るだけからな」
「だめですよ、ちゃんとご飯食べさせてあげなきゃ。いくら竜が食べなくても大丈夫だからって、こんなに小さくなったら元に戻るまで何年もかかります。せめてちょっとだけでもいい空気を食べさせてあげないと」
「ほぉ、言うようになったな! だがリベリウスはどうなんだ? そんなこと言ってソリウスよりも小さくなってたら人のこと言えないぞ?」
私は誇らしげに胸を張って親指を立てて見せた。
「ふふん、よくぞ聞いてくれました! 私は鉄塔に登れなくなってからも毎日、雨の日も風の日も雪の日も、館長と違って渓谷の上までちゃんとお散歩してあげてますから。体だってちょっとは大きくなってるんですよ」
大きくなっている、という部分はちょっと盛った。手帳の入った鞄を気持ち程度後ろに隠す。
(記録を出してみろ、なんてことになったらちょっと苦しいけど)
しかし館長は私の言葉を鵜吞みにしたのか、これでもかと両目をかっ開く。様子を見る限り、相当驚いたようだった。
「なんだって‼」
静まり返った街路に、館長の野太い声がこだまする。私は口元に人差し指を当てながら、周囲に目線を送った。
幸い、苦情を訴えるために窓を開ける人はいないようだった。声のトーンを落としながら、私は眉をひそめつつ館長へ尋ねる。
「そんなに驚くことですか?」
「いや、びっくりだ。あのずぼらなリオがそんな律儀に通うなんて、信じられん。嘘をついているなら、今すぐに白状すれば許そう」
館長は私に詰め寄ってきた。興奮しすぎて気が付いていないのか、鉱石灯の光源が激しく揺れる。
私は一歩後ろに身を引きつつも、言葉に偽りはないと主張する。
「ほんとですよ! 今さっきも散歩に連れて行ってあげたばっかりですから!」
「こんな遅くまでか! どのあたりまで行ってたんだ」
腕を組み訝しがる館長。
(あ、これ信じてない顔だ)
私は先ほどまで滞在していた崖を正確に指さして見せた。
「ほら、あそこ、あのあたりです!」
「あんな場所まで……片道だけで数時間かかるじゃないか……」
下から明かりに照らされた館長の横顔からは、表情が読み取れない。
「ベルのためですから」
私はこちらを見つめるソリウスの目線に気が付き、やや気まずさを感じながら付け加える。
「そうやって崖の上に行く者は他にも?」
私が首を横に振れば、館長の長く伸びた影がわずかに肩を落とした。しんみりとした空気がふたりの間に流れる。
館長が再び鉱石灯を持ち上げた頃には、その顔はいつものにこやかな笑顔に戻っていた。
「また今度、都合がいい時にベルに会わせてくれ」
「何水臭いこと言ってるんですか。好きな時に見に行っていいんですよ館長。ベルだけじゃなく、アーく……アーテリウスも、最近機嫌悪くて突っかかってくるし。私は噛みつかれちゃうかもだけど、館長だったらお散歩でもなんでも、喜んでついてきてくれますよ!」
ワントーン声を明るくしたつもりだった。しかし館長はため息と共に表情を曇らせる。
「アーテリウスか……きっと私のことなんて、忘れているさ」
「そんなことありません! ね、ソリウス!」
困った私はバッグから顔を出すソリウスに助けを求めた。ずっとこっちを見ていたソリウスは、目が合うと嬉しそうに「ピィ!」とバッグから翼を広げる。
「ほら!」
苦し紛れの対応だったが、館長はぷっ、と口元を押さえ噴き出した。
「ははは。リオの話ぶりを聞いていると、まるで竜と会話しているみたいだ。ま、とりあえずなんだ。問題は山積みだが、私は今日のところは会館の空き部屋にでも泊まろうと思う。家はずいぶん前に引き払ってしまったからな」
「あ! じゃあ、朝ごはんは『コルミアのお粥屋』に来てくださいよ! 私今そこで働いてるんです!」
「ん? どこかで聞いたことあるな……もしかして、あの跳ねっ返りのニアの店か? 驚いた、まだ続いているとは」
「あー、館長、失礼ですよー! 先輩怒っちゃいますって! 館長がいない間に、結構評判になってるんですよ、先輩のお店」
お粥屋の方角を指し示すと、館長は目元を優しく緩める。
「そうか。リオたちも前に進んでいるんだな。偉いぞ」
グローブをはめた大きな手が伸びてきて、私の頭をゆっくりと撫でた。
私が努力をアピールすると、館長はどんなに忙しくても相手をしてくれた。父親がいると、こんな感じなのかな、なんて考えていると、にへらと頬が緩みかける。
が、慌てて目元に力を入れ、キリッとした表情を間一髪で取り戻した。
私はもう子供ではない。館長はごまかしの天才だ。
今までも同じ手で多くのことをうやむやにされてきた。私は過去から学べるのだ。
「コ、コホン。その前に、ソリウスやアーテリウスのお散歩です! あと、ちゃんと明日お粥屋に寄ってください。先輩の絶品粥、食べてもらいますから!」
「ピィ!」
「こらソリウス、便乗するなって! だがリオ。こんなことは言いたくないが、その散歩、ほどほどにした方がいいんじゃないか。飛べなくて辛いのは、ベルだけじゃないだろう?」
途端、館長の目つきが鋭くなる。この目だけは、ちょっとだけ苦手だった。
ふざけているときはとっつきやすい館長だが、この目をしているときは昔から底が知れない感じがして、ちょっと怖い。
「それは……」
答えに窮していると、館長はソリウスをバッグから取り出し、肩に乗せて私に見せた。
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