第4話 風と籠
「お疲れさまでした」
店じまいを終えた昼過ぎの午後。退店前に先輩に声をかけると、「おう」とだけ返事が返ってきた。先輩の意識は手元の伝票に集中している。邪魔をしては悪いだろう。
私は綺麗に拭き上げたステンドグラスに触れないよう入り口の扉に手をかける。
「今日も行くのか?」
振り返れば果物や調味料の在庫を数える先輩が、肩越しにこちらをのぞいている。
「はい。ベルも楽しみにしていますので」
「精が出るな」
私は軽く会釈をし、大通りへと足を踏み出した。
店内とは打って変わって明るい街路。降り注ぐ日光が目に染みる。
(久しぶりの晴れの日だ。ベルもきっと喜ぶね!)
石畳を歩く速度が次第に早くなる。
南北へ延びる大通りを東に折れて進むと、中央広場が目の前に広がった。今は公園となっている一角には今でも、天まで伸びる錆びだらけの鉄塔が立っている。
広場では子供たちがきゃあきゃあと歓声を上げて遊んでいるが、フェンスと有刺鉄線に囲まれた塔の近くに寄りつく者は誰もいない。
かつてここには、塔に登るため何匹もの竜が列をなしていた。ちょうど竜が整列していた場所の、擦り切れ丸くなりピカピカと輝く床石だけがそんな過去をただ静かに物語っている。
「お姉ちゃーん、ボールとって!」
「およ?」
言われて目を落とすと、足元にボールが転がっていた。どうやら私に言っているらしい。ボールを拾い上げ、大きく振りかぶる。
「よーし、いくぞー! それっ!」
力いっぱい投げたボールは悲しいかな、子供たちがいる場所とはまるで違うあらぬ方向へ。
「お姉ちゃんへたくそ―!」
「どこ投げてるのー」
「あはは……ごめん……」
運動神経は悪くないはずだが、球技だけはなぜか昔から苦手だ。身振り手振りで謝ると、子供たちはもうそんなこと気にしていない様子で、笑い声を上げながら遊び始める。
(崖登りや木登りだったら得意なんだけどなぁ……)
私は空を見上げ、太陽に手をかざした。視界に映るのは街の屋根と渓谷の岸壁と、透き通るような青空に赤茶けた塔。今日みたいな日に鉄塔に登れたら、どれほど気持ちがいいだろう。
「そんなこと考えても仕方ないんだけどね……」
自嘲気味に笑うと、私は再び歩き出した。ここからだともう目的地が見えてくる。大きな螺旋階段と、空いっぱいに張り巡らされた支柱。そこからぶら下がる、巨大な鳥かごのような建造物たち。
竜運商会の竜舎である。階段を幹、かごを生い茂る葉に見立て、ドラゴンツリーと名付けられたが、私たちは単に竜舎と呼んでいた。
階段を上った先でポケットからカギを取り出し、古びた錠前を開ける。
大きな鉄の扉を開けば、ブリッジの先に鉄のパイプを組んだだけの簡素な檻が現れた。
風がよく通るように設計された竜かごの中央には、私の相棒であるベル――正式には風竜種のリベリウスが横たわっている。当の本人は長い尻尾と翼で頭を隠し、睡眠中のご様子。
(いや、違う)
尻尾の先がプルプル震えているのを、私は見逃さないぞ。いたずらっ子め。
「おや? ベルはお昼寝中かな? そっかそっか、じゃあ今日はお散歩は無しかー」
ブリッジを通り抜けベルの周囲をゆっくりと歩きながら、わざと聞こえるようにもったいぶってみた。カツンカツンと甲高い靴音が響き渡る。声に合わせてオロオロと動く尻尾は、まるで動揺を隠しきれていない。
もう一押しだ。
「とっても残念だなー、こんなに天気がいいのになー」
バッ、と不意打ちで振り返れば、翼の隙間からこちらを覗く、くりくりとした空色の瞳とばっちり目が合った。
しまった、と口を開けたベルに私はもう我慢できなかった。かわいすぎるだろこの生き物は。固まってしまった竜に向かって、私は両手を広げて思いっきりダイブした。
「こらー! 寝てるふりしてたなー! このこのー!」
ベルがくすぐったがるポイントを把握しつくしている私は、長い首にしがみつくと耳の後ろと角の生え際に手を伸ばす。弱点めがけ、わさわさと両手で責め立ててやった。
「グォ、グォ!」
私はじたばた暴れるベルと一緒に金網の上を転がる。檻を吊り下げるワイヤーがぎしぎしと音を立て、檻はゆらゆらとゆりかごのように揺れた。
「あはははは! ずっとお散歩楽しみにしてたくせに、私をだまそうだなんて生意気だぞー!」
ペしぺしと頭を叩かれても、ベルは嬉しそうに喉を鳴らす。
すると突然、隣の巨大な竜かごからガシャンと激しい金属音が響いた。見れば鉄柵の向こう側で黒い鱗に真っ赤なお腹、深紅の瞳を持った竜がこちらを威嚇している。
「うわ、アーくん今日もご機嫌斜め……」
アーくんは私が付けたあだ名で、本当の名前はアーテリウス。アーくんは全盛期、商会でも一、二を争うほどの体長を誇る立派な成竜だった。
ちょっと気性は荒いけど、商会にとってはなくてはならない存在。大きな機械や精錬した鉄を幾度も運び、国の発展に貢献した。アー君が鉄塔を登るときは、塔が折れやしないかとひやひやと誰もが見守ったものだ。
「……だいぶ小さくなっちゃったね」
私はベルのあごの下を撫でながら、ポツリとこぼした。
アー君の体は、いつの間にか幼竜のベルより小さくなってしまっている。
翼を広げると街全体に影を落とした翼も、今では竜かごのはしにすら届かない。空を飛べないストレスからか、私にすら毎日吠えるようになってしまった。
あ、でも思い返してみれば今まで一度も背中に乗せてもらったことない……。
単純に私がもともと信用されてないだけかも。
(退散、退散)
私は竜かごに取り付けてあるハンドルを慌てて回す。ワイヤーが伸び、私とベルの入ったかごは徐々に地面に向かって降りていった。見上げると、アー君が柵の間から鼻を出してこちらを睨んでいる。
「うわー、まだこっち見てる」
ベルもちょっと怯えているのか、私の背にすり寄ってきた。
そのまましばらく手を動かし続ければ鉄柵を揺らす振動と共に、かごが地面との接触を告げる。
私は顔を突き出すベルの口に銜(はみ)を装着し、そこから伸びた手綱を手に握った。片手で隣にあるもう一つのレバーを操作すれば、錆びた金属音と共にハッチが外側へとゆっくりと倒れていく。
私はベルの鼻頭を軽く撫で、手綱を引いて外に出た。
振り返り見上げれば、天空にぶら下がる巨大なシャンデリアのように、竜かごたちが風に揺れていた。
全盛期は絶えずかごとワイヤーが上下し人々の活気にあふれていたこの竜舎。
でも今は、かごとかごがぶつかり合う音だけが寂しく反響している。中にはまだ竜たちがいるというのに、私の目にはそれが巨大な廃墟のように映った。
「……いこっか」
「ガウ」
私たちは人目を避けるように裏道を通り、街の外へと向かった。
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