第3話 その席は、決して安くない

 食べかけの食器を傍らに、先輩から煽られたロスカがムキになって語りだす。


「へ、へへん! 俺はな、今完成間近の巨大単線輸送列車に使う基幹部品の製造を任されているんだ! 火喰い蜘蛛の牙が持つ熱向性を利用した、最新式のエンジン! 冷却さえ続けられたら、この大陸を何週だってできる超高性能! どうだ、おどろいたか?」


 得意げに鼻息を荒げるロスカを見て、先輩が私の耳元でぼそりとつぶやいた。


「……うむ。確かにちんちくりんかもしれん」

「ですよね。さすがに話も盛りすぎ感ありますし」

「そういう年ごろなんだ。そっとしといてやれ」

「わかりました先輩。ロスカ……かわいそうに」

「お、お前たち全部聞こえているからな! ちっ、今に見てろよ……!」


 ロスカはお粥を口にかき込むと、お代をテーブルに置いてポールからマフラーをむしり取り、勢いよく店を飛び出していく。バタンと閉じた扉の掛け看板が、カランと最後に音を立てた。


「……ちょっとからかいすぎちまったか?」


 苦笑を浮かべながら、先輩がテーブルに散らばった小銭を拾い集める。


「いいですよ別に。どうせまた明日も来るでしょうし」

「……うわ、小銭きっちり端数まであるぜ。変なところで律儀だな、あの少年は。粗野なんだか、几帳面なのか。ま、それにしても、輸送列車ねぇ。冬の物流が良くなりゃぁ、米の仕入れ値もちったあ安くなると思うんだが」


 先輩は引き出しから取り出した請求書の束に目を落とし、ため息をつく。


「でもその開発が原因で、竜が登るための鉄塔の多くは溶かされてレールにされました」

「竜運からしたら、確かに目の敵だろうなぁ……」


 困り顔の先輩に、私はキッチンのふちに掛けた手をギュっと握りしめた。

 新しい輸送列車が完成すれば、この街はもっと豊かになるだろう。

 それは痛いほど分かっている。年々減少を続けていた操竜士の数では、いずれ増え続ける工場とこの街の人口を支えられなくなっていたことも理解している。

 でも、もっと何か別の方法を見つけてくれてもよかったんじゃないかって、毎日考えずにいられない。せっかく苦手な勉強をして手にいれたライセンスも、結局半年しか意味をなさなかったのだから。


「でも、どうすればいいのか、私も分かりません。はぁ、もっと頭が良かったら」

「難しいよな。あっちを立てればこっちが立たない。どっちも幸せにってのは……なぁ」


 先輩はロスカの食器を片付けながら、壁にかかったコルクボードに横顔を向ける。そこには先輩がまだ竜操をしていた頃の写真と、私が初めてベルと一緒に空を飛んだ日の写真がピンでとめられていた。

 経験豊富な先輩をも悩ます問題だ。私に解決できるはずもない。

 ジジ、と鉱石ランプの音だけが、静かになった店内にむなしく響く。すっかりと曇ってしまった窓ガラスからは外の様子がうかがえず、まるでこの店ごと世界から切り離されてしまったかのような感覚に襲われた。

 パチン、とストーブの中で石炭が小さく爆ぜる。

 しんみりとした空気をぶち壊すかの如く、店の扉が唐突に鈴を鳴らした。見れば、青年が中の様子を窺うように扉の隙間からのぞき込んでいる。


「うーさぶさぶ。お店、今やってますか?」

「は、はい! いらっしゃいませ、コルミアのお粥屋へようこそ!」


 私が慌てて笑いかけると、スーツに身を包んだ男は帽子を脱ぎ、きりっとした表情のままカウンター席に腰掛けた。


「ご注文はいかがいたしましょうか」

「うーんそうだなぁ。コルミア粥も食べたいし、ナップベリーの甘いお粥も捨てがたい……」


 客が悩んでいると先輩が隣へやってきて、自然な所作でその肩を抱き寄せる。


「お客さんはこの店、初めてかい? あたしはニア。この店の店長をやっている者だ。耳寄りな情報なんだが、実はこのお粥屋にはハーフって選択枝があるんだ。ほら、あそこの壁に掛かってる食器が見えるだろう? さすがに二杯分の料金は取らねぇが、単品よりもやや高くなる。でも一気に二つの味が楽しめるんだ。どうだい、朝から景気づけに、一発やっとくかい?」


 私の場所からは二人の様子がよく見えた。うん、先輩のナイスバディのナイスな部分が、客の肩に当たっている。いや違う。当たっているんじゃない。当てられているのだ。

 目が点になった客は、声を出すこともできずにコクコクとただ頷くだけだった。同意を確認した先輩は、嬉々としながら声を上げる。


「ありがとうございまーす! リオ、ハーフのご注文で! 味はコルミアとナップベリー!」

「はーい!」


 私はカウンターの壁にかかった長方形の銀皿を手に取ると、中央にご飯を山盛りによそう。上から仕切り板を中央に差し込み、お客のもとへと配膳した。

 カウンター越しに先輩が身を乗り出し、とろりとしたお粥のスープを色気たっぷりに注いでいく。極めつけに小声で「スープのお代わりがしたくなったら、いつでも言ってね」と耳元で伝えれば、男の顔は見るも無残なほどだらしないものへと変わってしまった。

 落ちたな、と私はもはや感情を失った目で哀れな男の横顔を眺める。


 これが先輩のやり方だった。「割高な米を使った朝食・昼食のみの店が生き残るためには、なりふり構っていられない」と先輩は口癖のように繰り返す。

 でも私は知っている。先輩は好んでこの手法を取っていると。

 もちろんこの店ではおさわりはご法度だし、過剰なサービスも最初だけ。その上先輩はちゃんと客を見極めて行動に移す。

 だから今まで、トラブルといったトラブルに遭遇したことは一度もない。どこまでもグレーなお粥屋である。

 しかし残念なことに、虜になる客は後を絶たなかった。工場ではカウンター席をめぐって熾烈な争いが繰り広げられているともうわさで聞く。


「ニアちゃん、お替わり~」

「はいよ、片方だけ? それとも両方? なんだよ、まだ片方残ってんじゃねぇか。まぁまぁ、グイッといっちゃいなよ、グイッと」

「えへへ、ニアちゃんがそう言うんだったら仕方ないなぁ。じゃあ、両方で!」

「まいどありっ!」


 この店で数日働けば、当たり前になる光景だ。ちょうど出勤のピークタイムが近づいているのか、雲った窓の向こうで人通りが増え始めていた。

 立て続けに扉の鈴が鳴る。

 私は姿勢を正し笑顔を振りまいた。こんな店でも、お財布の生命線なのでちゃんと真面目に働かなければ。


「いらっしゃいませ! コルミアのお粥屋へようこそ!」


 こうして今日も、私の慌ただしい一日が始まった。

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