第2話
何処から出したか分からない椅子とテーブルに、これまた何処から持ち出されたかわからないポット。そんなポットの中にさらさらと紅茶の葉がスプーンから零れ落ちていき、お茶の葉の後を追うようにお湯が注がれていく。
山羊の手際よい準備は彼の目の前で行われた。
その手際の良さは芸術的で彼を飽きさせる事無く、そして待たせることもなかった。
「こちら本日のお茶であるアールグレイ。本日の本日のお茶菓子はクッキーでございます」
山羊はお茶とお菓子の紹介をしつつ椅子を引いた。
「こちらにお座りください」
彼は引かれた椅子に座る。
そして何気なく一口紅茶を飲んだ。程よい紅茶の香りと温度を舌で感じた。
クッキーを手に取ると焼き立てのように熱く、口に運ぶとさっくりとした触感と程よい甘さを感じた。
そして紅茶に口をつける。口の中に残った甘さが紅茶で洗い流され、さっぱりとした感覚を味わう。
不思議とクッキーにも紅茶にもどんどん手が伸びていった。
味わって食べていた彼だが、後ろに立ち動く気配のない山羊が気になった。
「……お前は座らないのか?」
「えぇ、メイドですので。お茶菓子は無くなり次第言ってくださいね。すぐにおかわりをお持ちいたしますから」
「……貰っておいて何なのだが、人種である俺をもてなしていていいのか?」
「えぇ、私、御持て成しのと仕えるのが趣味みたいなものですから」
「そうか。ならいいんだ」
本人が納得しているなら構わない。
彼はそんな視線を山羊に返すと、何をするための作業か分からないが忙しなく動く魔王に目を向けた。
山羊も彼に合わせるように魔王に視線を移した。彼が魔族に聞く。
「所で聞きたい事がある。魔王の作業とは一体なんなのか。ただただ慌しく動いているだけにしか見えないんだが」
「動画の準備をしているのです」
「動画?」
「はい、動画です」
彼が首を捻る。彼自身、動画というものに馴染みがなかった。いや、動画という言葉自体今始めて聞いたのだろう。そもそもこの世界にはインターネットというものがない。そんな彼に動画というものを理解しろというのは酷な話だ。
「そうですね……動画というのは異世界の文化でして、映像と呼ばれる姿見で人を写し、その映像を不特定多数に発信、見せることをいうのです。この動画には見る側と見せる側、いわば演劇でいう役者と客が居るという話です。魔王様はその役者をやる。つまり見せる側なのです」
「ほほう、映像とはまた高度な魔法だな。それを多数に見せるとは魔王は相当な術者なのか。流石は魔王と呼ばれるだけのことはある。所で異世界とはなんだ?聞きなれない言葉だが」
「異世界とは異なる世界と書きます。文字通り、私たちが暮らす世界とは異なる世界です。電気というエネルギーが覇権を握り、私は見た事がありませんが、なんでも飛行機という鉄の塊が空を飛び回る世界だそうです」
鉄の塊が空を飛ぶ、そのフレーズに彼は鼻を笑わせながら皮肉交じりに言う。鉄の塊を飛ばすだけなら魔法さえあればいくらでも飛ばせるのだから。
「鉄の塊が?なんだよ。その異世界という奴は魔法文化がこの世界よりも何倍も凄いという話か?」
「いえ、魔法という概念が空想とされ存在しない世界です。鉄の塊は電気という魔法とはまた違う強力なエネルギーで空を飛び回ると聞きます」
彼の顔が驚愕に染まり、視線を魔王から魔族へと向けた。魔族は彼の視線を気にしもせず魔王を眺めている。彼の思考には今の話が本当かどうかという考えが渦巻いている。彼らの住む世界は魔法で鉄の塊を飛ばすことは出来るが、その鉄の塊が飛び回るような世界ではない。言ってしまえば、魔法便りのこの世界より。異世界は魔法を使わずにその先を言っている。そう考えた。
「俄かに信じがたいな」
「何も私の話を信じる必要はありませんよ。今は魔王様の行動を見ていてください。ほら、始まりましたよ」
彼は視線を戻した。魔王は何処からか仮面を取り出していた。丁度目元が隠れ、口が出ている。仮面舞踏会に使われるであろう仮面だ。そんな今の場面に合わない仮面を魔王は恥ずかしげもなく顔に装着する。
「なぁ、今の状況で仮面をつける必要が何処にあるのか」
「魔王様に問題が起きてからでは遅いので、私がインターネットのマナーという参考文献を上から下まで、穴が開くほど見返しました。その文献によると顔を隠すのはマナーだそうです。なんなら電子着ぐるみを着て、自分ではない自分を配信する方もいらっしゃいます。秘匿性を大事にする奥ゆかしい文化なのでしょうね」
彼は、どうせ見るのなら笑いを誘うような不気味な仮面ではなく、素顔がいいという考えを頭に思い浮かべるが、山羊に参考文献があるとまで言われると納得せざるを得ない。
「皆さん!おはようございます!こんにちは!こんばんは!皆さん元気ですか!僕は今日も元気です!今日も一動画をやらせていただこうと思います!このチャンネルの主、配信魔王です!」
「あれもマナーなのか?挨拶なのに長ったらしくて嫌になる」
「挨拶は大事。異世界の古い文献にもそう書かれています。ですので、最初に挨拶をして誠意を見せています。挨拶はどこの世界でも常識です。ですから、魔王様には挨拶はきっちりやることと私が指導をしておきました」
彼は首を捻る。挨拶をする事はいいことだ。しかし長ったらしくて飽きるのではないだろうかと。しかし彼自身異世界の文化を知っているわけではない。なんなら今日初めて知った知識だ。自分よりも異世界のことを隅々まで知り、また魔王の側近をしている魔族が言うのだ。あれがきっと正しい挨拶なのだろう。彼は一人納得をする。
「今日もエリザベスの観察日記を上げていきたいと思います!」
「……エリザベスってさぁ、あそこに見えるワニのことか?あのワニで人気が出るのか?」
「えぇ、異世界ではアニマルセラピーと呼ばれる精神回復方法があるくらいです。そのことからペットで癒される人が大勢いると考えられます。その為ペットの動きを配信する動画はとても人気なのです。また、ペットとの生活動画は何気ないものでいいのです。人気の方にダチョウと暮らしている方やヘビと暮らしている方などもありましたので、エリザベスは大人気間違いなしです」
なるほど。確かに自分が暮らしていた村で、家で飼っている馬を可愛いと撫で回す住人を見たことがある。と彼は一人納得をする。しかしワニは可愛い動きをするのだろうか。ワニの生態をよく知らない彼の頭には疑問がまた一つ浮かぶ。
魔王はエリザベスを抱えカメラに向けて喋っている。
「こちらが今日も可愛らしいエリザベスです!では写していきましょう!」
ワニのエリザベスが動く。その事実に少しワクワクしている彼がいた。色々と山羊に質問を投げかけていたが彼自身、動物の類は嫌いじゃない。むしろ彼は生き物が好きな方であり、詳しく知らないワニの生態をじっくりと観察できるこの機会を嬉しく思っていたりする。
魔王がエリザベスを地面に置いた。2分・3分と時間は過ぎて言ったが、エリザベスは動かない。
「なぁ、お宅のエリザベスちゃん動かないんだが」
「ワニですからね。獲物をじっと待っているという習性もあります。大きな動きをするときは限られているのでしょう」
動きがないエリザベスに不安になった魔王がエリザベスの名前を呼びながらペチペチと叩き始める。遊んでもらえると勘違いしたエリザベスはごろんと腹を上に向けた。ようやく動きがあったのだ。魔王は口元を歪ませるとまたエリザベスから離れて動画の続きを撮る。そこから3分4分と過ぎた。エリザベスは俄然魔王の行動待ちだ。
「なぁ、俺ワニを動画にしようという案からして間違っている気がするんだが。特にペットとして何気ないものを撮ろうとした場合は」
「えぇ、私もそう思っている所なのでご安心を」
「安心できる要素がどこにもないんだが!」
彼の声などお構いなしに魔王の動画作成は進んでいく。動かないエリザベスにおろおろしていた魔王だがころんと背が上に来るように回転をすると、顔の表情を明るくしてまた待つ体制に入る。
そこから更に時間が経とうとするが……
「いい加減に!しろよ!第一勇者と魔王がいるんだからその戦いを撮れよ!俺を撮れよ!」
彼の大きな声に中断させられたのだった。
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