拾得

惑星ソラリスのラストの、びしょびし...

第1話

 暮れも押し迫った満月の夜のこと。

 おや。道に紙幣が落ちている。縦に半分に折られたそれを広げると一万円ではないか。この年の瀬に、天から粋なサプライズ。おれはほくほくとしてズボンのポケットから財布を取り出してしまおうとする。

 ふと、疑心。このご時世、こんなうまい話があるはずもない。何か、裏があるのではないか。

 例えば、あの散歩中の飼い主と大型犬。何食わぬ顔で反対側の道へ渡っていったのだが、犬のほうは何か、ガードレールの根元のにおいを嗅いでいる振りをして、一向に動こうとしないではないか。おれが一万円を財布にしまった瞬間、あの飼い主は、馬鹿みたいにデカいけむくじゃらをおれのほうへけしかけ、おれを襲わせ、あたふたとして転倒し泣いて喚くおれをみて、げらげら笑うつもりじゃああるまいか。

 あるいは、少し先の理髪店。あそこは夫婦でやっていて、おれもこの町に越して10年ほど、ふたつきに一度のペースで髪を切りに行っている。夫婦仲はすこぶる良好で人当たりも大層いいのだが、いかんせん接客業なのだ。ストレスが溜まるに違いない。おれがこのまま何食わぬ顔で歩き始めた瞬間、一階部分の駐車場スペースの陰からヌッと現れておれの姿を撮影せしめ、後日おれが髪を切りに行くたびにニヤニヤねちねちと何食わぬ日常会話に絡めてこの件を持ち出しては虐めてくるつもりではあるまいか。

 あるいは、すぐ隣のこの一軒家。デザイナーズ住宅というやつなのか、随分しゃれているが、こういうのを作るには金がかかるに違いあるまい。さてはこんな風に一万円札を置いておいて、通行人がポッケに突っ込んだ瞬間にバッと現れては警察沙汰を持ち出して脅迫し、金品をせしめるつもりでは。

 あるいは、道を挟んだ向こう側の木造二階建てアパート。もう随分ぼろぼろで、二階部分の部屋は何処も真っ暗なのだが、その闇に乗じておれの様子を伺っているやつ多数なのではあるまいか。

 ここは大人しく警察に届けるべきだろうか。いや警察も怪しい。そもそもこれ自体が、警察が年末年始特別警戒キャンペーンとかなんとか、そういった類のノルマをこなすための罠なんじゃあないか? おれが警察へ届けるため、来た道を戻り始めた矢先、あの十字路の角からニューナンブ片手に警官数多が大挙しておれの身柄を確保するに違いあるまい。

 あるいは検察も怪しいな。おれがSNSで政権を手厳しく糾弾しているのに腹を立てた総理か大臣か官房長官かの差し金で、おれの身柄を不当に拘束し、自白を強要せしめ、何らかの罪に問う腹積もりなのかも知らぬ。

 そもそもこれは本当に一万円札なのか? もしや極薄のGPSでも埋め込まれていて、持ち帰ったが最後、闇で集められた男たちに寝床を強襲され、被害を訴えようにも「落とした金をとりに来ただけだ」と強弁され、おれは泣き寝入りするのかも。

 

 男は何度も逡巡し、あたりの様子を伺い、やがてかぶりを振るとその一万円札をそっと地面に戻し、足早に家路を急ぐ。そして10メートルほど行ったところで立ち止まると、踵を返し、小走りで戻って、地面に置いた一万円札をダウンジャケットのポッケに捻じ込み、ほくほくと、ふたたび歩き出す。

 その時である。

 男の身体が、ちょうどその一万円札が入ったポッケを上にして、グンッ! と恐ろしい勢いで空に向かって釣り上げられる。凄まじい加速だ。男は僅か数秒で雲の切れ間に消えていく。

 男が消えた先には、満月とは違う、やや楕円形の銀色の浮遊物がひとつ。それが一瞬煌めくと、慣性を感じさせぬ非自然的直線的な加速で、夜の闇へ消えていった。

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