第32話 アイツの人生

 運転席には見たことのない人が座っていた。


 バックスと同じか、それより少し低いくらいの男性。緑色の髪で、ロウニーと同じような三つ編みのおさげになっている。緑眼であるが、それ以上に気を取られるのは、右目を覆うようにおでこまで広がる酷い火傷の痕だ。


 永久指名手配の戦闘服を着こなし、足を組んでいる状態で結月たちを出迎えた。



「やあ、啓斗くんに結月くんだね。はじめまして。一方的には知ってるよ」



 ダルより低いが、バックスよりは高い声。ロウニーと同じくらいの高さの声だが、かすれ声ではない。


「俺は永久指名手配のブロス。担当は索敵とか、裏取りとか。コソコソ動くのが俺の役目。ああ、あと雑用とかね」


「「よろしくお願いします」」


 結月と啓斗の声が重なる。思わずそうなったことで、二人は目を合わせてくすりと笑った。


「にしても、俺らが滞在している間にこんなことが起こるなんてな」


 ブロスの声にはどこか哀愁が漂っていた。


 ロウニーが助手席、バックスと結月と啓斗は後部座席に座る。乗り込んだ全員がシートベルトを着けたのを確認したのか、ブロスが車のエンジンを掛けた。それとほぼ同時に、ロウニーが助手席側の窓を開け、タバコに火をつけ吸い始めた。


「ロウニー、ガキがいるんだぞ。ちょっとは遠慮したらどうだ」


 バックスが窘めるが、ロウニーは一切やめる様子を見せなかった。


「うるせえ。これが俺のやりたいことなんだよ」

「……ダルに続きロウニー、ウチのクソガキツートップめ」


 結月はよそ様のやり取りを聞くのは楽しかった。あれだけ戦い、敵だと思っていた相手の人間らしい面を見るとギャップを感じる。


 車が発進した。ブロスはこのやりとりに見切りをつけたようだ。




「ダルがどこにいるかとか、わかっているんですか?」


 啓斗の問いに答えたのはブロスだった。


「わからない。でもそれほど遠くには行ってないはずだし、ありとあらゆる監視カメラの映像をこちらは入手してるから、すぐに見つかるさ。問題は――」


「ダルがオルタナティブの姿になっているか否か」


 バックスがブロスの言葉を断ち切るように口を挟んだ。


「まぁ、そうだね。モノガタリの暴走でダルのオルタナティブが誘発されたのなら……モノガタリが持つ特殊効果と、更に強くなったダルの欲望でとんでもない怪物になっててもおかしくないからね」



 そのブロスの言葉を聞いて絶望が深まる。


 結月のトラウマは今も癒えておらず、あの戦闘での恐怖が心の内側を支配している。本来なら何日、何週間もかけて治していくものだろう。それが叶わなかったのは、TKOTの過失か、ダルの欲望のせいか。


 他人のせいにできるならそれに越したことはないだろう。だが、それで自分が成長できるのか、後ろめたさをすべて忘れられるのかと言われたら頷けない。


 そしてもう一つ、結月の心を泥沼のように不快にさせている原因がある。


 もう自分は戦える訳がない、と。現実ならなおのこと無理だ、と。


 諦めは悪い方だった。TKOTと関わる前までは。まだ努力すれば変わると、良い結果に繋がると信じていた。


 その、信じていた結月の生き方全てを砕かれた。


 実際には否定されていないのだろう。あくまで戦っただけ。酷い傷を負わされただけ。仕方なく殺しただけ。そこに申し訳なさはなかった。正気じゃなかった。


 色々なバフがあった。アドバンテージもあった。現実じゃないという保証もあった。


 後ろめたさがあるからこそ、もっと酷い方法でやり返されるのではないかという恐怖が、結月の精神状況を不安定にし、追いつめる。今のように。



「結月?」


 結月の顔からは血の気が引いていて、妙な汗が止まらなかった。


「あ、ああ、ごめん」

「無理はしなくていいからね」

「なんだぁ? この前のことがトラウマにでもなってんのか?」


 啓斗が気を使って言わなかった言葉をバックスに思い切り言われてしまう。


「まぁ、そんなところ、ですかね……あはは」


 結月が抱いているものが良いものか、悪いものかさえわからない。抱き続けてはだめだということだけはわかっている。乗り越えなければという意思もある。しかし、そこには届かない。


 ただ漠然とした苦しさは、言語化するたびに形を変えた。


「ダルは多分、焦らされてんだよ」

「……焦らされてる?」


「ダルは元々外国のスラム街出身で、犯罪が当たり前で、競争が特に激しかった街にいたんだ。今日負けたら明日食う飯はねぇ、生きるために奪い合って負けたら野垂れ死に……みたいな」


 バックスは一向に結月の方を見ず、そのまま話し続ける。


「そん時の癖が治らねぇのか、ARCANAに入り「孤高」の欲望を手に入れてからも視界に入る戦闘系の職員全員に喧嘩吹っ掛けて、精神的にボコボコにしてった。今のお前みたいに、ダルと戦ったやつはみんなへなへなしてた」


 バックスは結月を指さし、結月とようやく目が合った。その眼には、哀愁があった。


「んで負けたらアイツはびっくりするぐらいヘコんだ。自分でその日の飯を抜くんだ。意味わかんねぇだろ。そのせいで怪我をするなんてこともあった。今思えばスラム生活が長すぎて精神やられてたのかもしれねぇな」


「それは……」


 結月は言いかけてやめた。そのダルの行動を馬鹿にしたかった。でも、言いかけてすぐに自分の中に一つの答えが出たから、やめたのだ。



「もうアイツは、戦うことに囚われていた。そうしなきゃ気が済まねぇんだ」

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