第30話 偽ノ幻

 ◇


 次に目を開いた時には、現実とは程遠い世界に立っていた。


 石造りの城壁の下、結月たちは護衛の兵士として馬車についていくように歩く。木の扉が開かれ、城壁の外へと進んでいった。


 しばらくは誰も話さなかった。森の中、ろくに整えられていない道を進んでいく。


 茶色の馬は一度も鳴かず、守っているはずの姫は一言も発さず、結月たちも護衛という役に徹して何も言えなかった。


 草がはげたような道は、歩くだけでも足の裏が痛くなっていく。これでもし、中世ヨーロッパの兵士のような甲冑を着ていたならば、もっとしんどい思いをしていただろう。


 しかし、いつになっても敵は現れない。盗賊やら敵国の兵士やら、何もやってこない。


 どこが「すり替わり」がテーマの話なんだ。どこにも「すり替わり」の要素が無い名じゃないか。ただ歩き続けるだけの物語に、ドラマも何もない。起承転結も無ければ、序破急もない。登場人物は誰も話さず、場面の移り変わりもない。


 本当に何もないまま、女王の目的地である隣国の港まで到着してしまった。


 結月は他の登場人物たちに隠れて、エンに聞いた。


「本当にこれでおしまいなのか?」

「……変だよね。でも、目的を達成しちゃったからこのまま追い出されると思う」


 仕舞いには、啓斗が立ちながら寝てしまっている。

 結月たちは女王を見送って、そのまま意識が途切れた。




 ◇




「……やっぱり変だよな」


 結月は目覚めてから、開口一番にそう呟いた。


 言ってしまえば、退屈な物語だ。


 至って平凡で落ち着いた、何もない旅がウリなのだとしたら、それはただ受け入れるしかない。そこにキャラクター性や掛け合いがあるから面白さが作れるのであって、会話が一つもないのならばその面白さもない。


 情景を美しく描く、世界観をウリにしたいのならばもっと幻想的な景色にすればいいはずだが、この物語はずっと森。最初と最後以外、ずっと森。


 これを一言で言い表すなら、退屈。



「あれ……? ペンデュラムはどこに行った……?」


 L字机の上にあったはずの偽幻噺のペンデュラムが無い。綺麗さっぱり、忽然と消えてしまった。他に目覚めた人が片づけたのかとも考えたが、啓斗もレイも、気を失ったままだった。


「う、うーん。変なモノガタリだったような……」


 寝ぼけているのか、啓斗がもごもごと言いながら目覚める。



「啓斗、俺が起きた時にはモノガタリが消えていたんだが、こういったことはよくあることなのか?」


「……ん? モノガタリが消えた、……ってどういうこと?」

「そのままの意味、ペンデュラムが綺麗さっぱり無くなった」


 啓斗はようやく目が覚めたのか、机の上から倉庫にある家具の全てを見回して現状を把握する。両手を机につけて、顔を下に向けたままため息をつく。



「やばいかも」


「紛失とかってやっぱりマズいか」


「いや、そうじゃない。もう既に暴走して効果を発揮してるかもしれない」


「はっ⁉」


「でも早とちりは良くないから、ちょっと待ってて。状況を整理しよう」



 啓斗は倉庫の奥に行き、長くは使われていないであろうホワイトボードを押してきた。それの表面をティッシュで軽く拭いた後、黒ペンで書き始めた。


 モノガタリが暴走すると起こる二つの事象の要約した文章を書き、しばらく悩んでから、ホワイトボードの隅に何かを書き始める。数字に「h」や「km」などの単位が付く。時間や距離を細かく計算しているようだ。


 なんとなく、「強い欲望に反応する」という文字に惹かれる。


 「強い」の定義は何だろうか。攻撃的な強さか、精神的な強さか、規模の大きさを意味する強さか。真面目に計算している啓斗の後ろで、ぼんやりと考えていた。



「……強い欲望ってさ。何ていうか、欲望って本当の意味ならやりたいことみたいな意味じゃん? それで言うなら、めちゃめちゃやりたいこと、みたいなものだろ?」


「そうだね」


「反発心みたいな感じで、欲望を満たせられていないなら、もっと強い刺激を求める。諦めきれていないなら、自分を追い詰めるように結果を求めるようになるでしょ」



 啓斗の手が止まる。この後に続く言葉がわかったかのように。




「……なぁ、ダルってまだこの近くにいるか?」




「連絡してみるよ」


 啓斗はポケットから黒の手帳カバーがついたスマホを取り出し、数タップして電話をし始める。


「もしもし、ARCANA・Tale Keepers of Truismの茨杼啓斗です。永久指名手配のバックス・レイダーさんですか?」


 電話越しのバックスの声は聞こえない。


「……はい。こちらの仕事で少々問題がありまして、モノガタリが暴走したのですが……。はい、はい。非常事態、ですね。はい。泥島にも伝達はしております、返事はありませんが」


 非常事態という言葉に結月の身体がビクっと震えた。


 自分たちに責任があるのだろうか、何か大きなやらかしをしてしまったのだろうか。しかし、あのモノガタリの中では何も止められることは無かったはずだ。


 啓斗は部屋に置いてあるタブレットの前まで移動する。折り畳み式のキーボードを接続し、ノートパソコンに近い状態にした。肩でスマホを耳に近づけながら、何かを打ち込み始める。



「ダルがいない? 連絡が取れないのですか?」



 最悪の展開が、見えてきた。

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