第24話 熱は背を焼く
黄色とオレンジの六角形のタイルの地面は薄汚れている。軽く十は超えそうな商店が立ち並ぶが、その三分の二はシャッターが閉まっている。治安が悪いのか、スプレーで落書きがされている。
少し湿っぽいような空気のせいで汗が出る。現実世界と同じような空気感を欲望で作れてしまう恐ろしさを改めて体験した。
開いたままになっている服屋に二人は入っていく。服の陰に隠れるように、壁にもたれて一息ついた。
「エンヴィーの考える市街地に、こんなさびれた商店街があるなんてね」
エンは周囲を見ながらそう言った。
「どう考えても外国にあるものじゃない。日本のビル街に日本の商店街。案外思入れがあるのかな」
ダル・エンヴィーという名前が本名だとしたら、確かに日本人ではないだろう。それでも日本人と同じくらい日本語を話せている。
よくよく考えてみればARCANAは日本の組織である。もちろん外国人採用もきっとあるのだろうが、それにしても不自然だ。
「ダルは長い期間日本にいるのか?」
「ん~、そうだね。元は外国のスラム街で暮らしていたらしいんだけど、偉い人が拾って帰ったらしいよ。それから帰国してるのかな……どうだろう、わからない」
「拾って帰るとかあるんだ……」
「一応さ、お国の組織ではあるから。揉み消せることは揉み消してるんだよ。そこら辺を深く突っ込んだり、調べたりしようものなら首がこうだ」
エンは首を手で横に切るようなジェスチャーをして見せた。結月はしないよ、と呟いて上を向いた。結局のところ天井しか見えなかったのだが。
結月は生い立ちと欲望の関係について考えだした。
あくまで想像上のスラム街でしかない。結月の頭の中にあるのはざっくりとした雰囲気だ。やせ細った子供、汚い服を着て、今日のご飯を得るためにゴミを拾う。スラムから遠く離れた人が抱くイメージなんてこんなものだろう。社会の授業で見せられるムービーでしか見たことが無いのだ。
もしかしたら別の地域の知識が混じっているかもしれない。しかし、高校に入学してまだひと月と少ししか経っていない。中学知識までだ。世界を知らない。
生きるのに必死な日々で競争意識があったのかどうか。明日が保証されていない状況下で、他者より優れていることを証明する必要があるのだろうか。それとも、他者を排除しないと自分が生きていられなかったのだろうか。
それが「孤高」に繋がるものなのだろうか。
過去と欲望の関連性を未だ知らない。それは自分の欲望にだって当てはまる。
――だめだ。考えるだけ意味が無い。
想像はどこまでいっても想像でしかない。正しさを伴い、形にしなければ本当に無意味だ。
「落ち着いた? 結月」
「うん。少しは休まったけど……」
ダルに勝てるビジョンが全く見えない。
絶望と、ただ逃げることしかできない惨めさ。この世界に来てからずっと抱いている。
まだ弱い。新入りで、ろくに戦い方も教えてもらっていない。
「逃げても勝てる。外の二人が上手くやってるはずだから。あとは……結月はこのまま逃げ切りたいかどうか」
「……え?」
「あんだけ怖い思いして、逃げ勝って、それで君の心は納得するかどうか」
納得なんてしているわけがない。だが、それ以上に死にたくない思いが強すぎる。いくら現実に影響を与えないということを知っていても、あの痛みはもう、感じたくない。
だからといって、やり返せる気もしないのだ。
「……その感じを見るに、「猛火」の欲望はそんなに好戦的じゃないのかもね」
「エンは? エンはダルと戦いたいのか?」
結月の燃える炎の赤色の瞳が、エンの鈍い血色の瞳を見つめる。
「戦ってもいいとは思っている。互角に殴り合えるから……それこそ長期戦になるけど、時間は稼げる。それこそ、私一人で立ち向かってもいいからね」
子供のような無邪気さや乱暴さが消え、最も理性的な状態に見えた。淡々と事実を述べるだけのようにも見えて、でもどこか、覚悟があった。
「私はまだ結月らしさを知らないからね……。君のことを完全に理解はしてないし、どういう人なのかもわかってない。だから――」
パッ、ガンッッッ……。
乾いた銃声が鈍い金属音と重なる。
一瞬何が起きたかわからなかった。
ただ、どこから出したのかもわからない斧をエンは構えていた。そして、商店街の半円状の屋根の鉄骨にぶら下がりながら、こちらに銃口を向けるダルが笑っていた。
「いっっつも思うんだけどさ、その斧はどこから出るの? ねぇ、モノガタリ?」
ダルの笑いながら投げる問いに、至って真剣な表情でエンは答える。
「乙女には秘密が付き物って、習わなかった?」
エンは咄嗟に結月の方を振り向いた。
「結月、逃げてもいいし、戦ってもいい。欲望のままに自分を守れ」
結月の返事を待つことなく、エンはダルに飛び掛かった。
ダルは鉄骨から手を離し、そのまま地面に着地する。それを追いかけるように鉄骨を蹴り、勢いを殺さずダルに斧を振りかぶる。瞬時に反応し、ダルはそれを避けきった。斧は力を失うことなくタイル床を砕き切った。
――見てるだけじゃだめだ。何か、何かしないと……。
そう結月が思った瞬間、鎮痛剤の効果が切れたのか、撃たれた足が痛む。血が滲み出て、じわりじわりとズボンを染める。
――何で、今の今まで出血していなかったんだ?
ふと、血詠葬のペンデュラムを見る。先ほどとは違って、人の体温に近い熱を持ち、赤黒さが一層色濃くなっていた。
――まさか。いや、でも、もしかしたら。
結月は身を隠していた洋服店から飛び出し、今も激しい戦闘をしているエンとダルを視界に捉える。
「おっ! のこのこと現れたねぇ!」
ダルが結月と見つけるなり、一直線に走ってくる。
「危ないっ! 結月!」
銃口を向けられ、あの時と同じような恐怖が込み上げてくる。それを燃やし消すように、結月の中の欲望が強まる。
――大丈夫、もう血は事足りている。
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