第14話 後悔の足枷 (1)
◆
時は戻り、現実。
エンは倉庫で一人静かにモノガタリの読み取りをしていた。
透明感のある水色と、薄ら紫色がグラデーションのあるマーブル状になっているペンデュラム。微かに発光しているような気がしなくもないが、光の反射との見分けがつかない。
モノガタリとしての世界を発現させていたり、暴走していたりするものは自発的に光るのだが、このモノガタリは中途半端で判断のしようがなかった。
――そこまでの緊急性は無いように思えるのだが。
いくら言っても仕事は仕事。断れるものではない。
「あー、疲れた」
ペンデュラムからぽろぽろと文字が零れ落ちているのを、紙などに書き留めて繋げていく。中々の集中力がいる。
エンは椅子にもたれかかって紫色の水筒を傾け麦茶を飲もうとしたその時、倉庫の扉が勢いよく開いた。
「エン、大変! 初狩りクソ野郎が来た!」
レイの突撃に驚いたのと同時に、ダル・エンヴィーのとんでもないあだ名に含んだ麦茶を吹き出しそうになる。
「ちょ、ちょっと待って。……ふぅ。麦茶出そうになった」
「もう姿見ただけで嫌になる。今頃、結月は初狩り野郎の欲望に巻き込まれてるんだろうなぁ……。可哀想に。地獄の時間だよ……」
レイのため息交じりの言葉の裏に、ダルに植え付けられた恐怖がべったりと張り付いているのがわかりきっていた。
それもそのはず、レイはTKOTに配属されて一週間ほど経った頃、ダルの欲望に巻き込まれて殺されている。ダルの欲望世界での死であるため、本当の死では無い。それでも心に深く残る傷であることには変わりない。
「……やっぱりさ、どうにかして助けられないかな」
「どうにかって言ってもなぁ。仕事あるし」
「ええひどい」
ARCANAの中でモノガタリを読み取る仕事ができるのはエンと他の女性職員一人だけだ。しかし、その女性職員は今休職中というのもあり、仕事がたくさん溜まっている。
本来ならエンはARCANA本部に籠りきりになってもおかしくないのだが、TKOTを理由に断固拒否している。
「エンが仕事を言い訳にするときって絶対まともに仕事してないと思うんだけど」
エンは興味がある事柄に関しては仕事も何もかもを放り出して、その事柄に全力を注ぐ。それなりに長い時間を過ごしてきているのだから、お互いに理解しあっているのだ。ただ図星であるからこそ、痛いところを突かれたとも思う。
「ん? よくわからないなぁ」
「ふーん」
レイは共用タブレットを手に取り、ARCANAのデータベースに接続する。喜ぶべきか悲しむべきか、テイルキーパーやARCANA職員の個人情報や欲望が全てここに書かれている。
「永久指名手配」「ダル・エンヴィー」と入力し、検索する。それらのワードに引っかかる人物は一人しかいない。
「結月くんを助ける方法があるといいんだけど……」
ダル・エンヴィー。「孤高」の欲望の持ち主。個人情報と同時に顔写真も表示され、記憶の中の敵と同じであることを確認する。
モノガタリは所持せず、得意の拳銃と格闘技で戦う。TKOTとはまた違った、戦闘集団「永久指名手配」の一人。
「もうちょっと欲望に関する情報ないかな……」
ARCANAには欲望に関する秘匿性が一切認められていない。自身や他人が気付いた欲望の情報は全て報告し、正確なものかどうか確かめる義務が生じる。
欲望がどれだけ醜かろうが、邪なものだろうが、隠すことは許されない。
「欲望の形成は……本人の過去とか心に由来するものが多いからなぁ。あんまり見たくないけど仕方がない。割り切って読むしかない……はぁ」
忘れそうになるのが、ARCANAはちゃんとしたお国の基にある組織ということ。一度読んだだけでは理解し難いような、堅い文章がずらりと並べられているのだ。
「……マジで対抗するの?」
エンは一切レイの方を見ず、解読中のペンデュラムに目を向けたままぽつりと呟いた。
「うん。でも「孤高」の欲望って難しいなって思って」
「打開策は見出せそう?」
後ろめたい気持ちがあるのは事実だ。
永久指名手配の件に関してはなるべく関わりたくないというのが本心。啓斗のときも、レイのときも、自ら首を突っ込んだことはない。薄情者であることは重々理解しているが、どうしても会いたくないのだ。
「「孤高」で作られた異空間で勝敗が決まるまでは出られない。既に勝敗が決まった人は入れない。この時点で、私たちは介入できないから……」
エンは立ち上がって、レイが見ているタブレットを後ろから覗き見る。
難解な文章の中に一つ、別のファイルが貼り付けられている。
レイは迷うことなくタップした。画面に入りきらないほどの大量の情報を抱えたリストが現れる。タイトルは――「勝敗記録」。
――ああ、そこも見ちゃうんだ。
戦闘時期と対戦相手、戦闘時間に勝敗。それらが簡潔にリスト化されている。自由記述の欄があり、ほとんどが空欄となっているが、一部の特殊な戦闘では書き込みがあった。
そのほとんどが、対戦相手が心理的な傷を負ったというものであり、極稀に現実に取り残された身体が負傷したということが書かれていた。
レイはゆっくりスクロールして、鍵になる情報が無いか探す。赤月エンの文字を見つけたようで、レイの指が止まる。
「ねぇ、エン」
「ん? 何?」
「これは、どういうことかな? 私何も聞いてないんだけど」
一つ一つの文字を口にするたびにレイの怒りが重く圧し掛かる。レイはタブレットをエンの顔に押し付けるように見せつけた。
「元・永久指名手配所属の赤月エンさん? どーしてあなたの勝敗記録は「中断」になっているのかな? んんん?」
隠していたつもりは本当に無かったが、TKOTのほとんどの人が目の敵にしている「永久指名手配」に在籍していたと言えば、自分への警戒がぐっと強まるのは考えずともわかる。
そうやって隠して、なあなあで日々をやり過ごしていたことへの罰を受け止めるしか無かった。
「おっと……」
「何が、おっと……、なのかな?」
作った笑みで怒り問い詰めるレイにエンは苦笑いを浮かべる。
「いやぁ……隠してたわけじゃないよ? 言う機会がまぁ無かったなぁと……思いまして」
勝敗記録のほどんどがダルの勝利で埋められている中、ただ一つと言っても過言ではない「中断」の文字は異様な存在だった。
「正直問い詰めたいところだけど、今は緊急だから後にしようか。この「中断」について教えてもらいましょうか。 ねぇ?」
エンはレイの不気味な笑みに押し殺されそうになった。
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