Tale Keepers of Truism

星部かふぇ

「猛火」と「孤高」のモノガタリ

Ep.1 町瓜結月は「猛火」と成る

第1話 明日を変える猛火

「あ、町瓜くんじゃないですか! ちょうどいいところに!」



 帰ろうとした町瓜結月を学校の廊下で引き留めたのは、物理教師の泥島先生だった。


 夕日が差し込む窓に結月の姿が反射する。深緑色の短髪が風に揺られ、見る人によっては忌避される赤い目が泥島先生を捉える。紺のブレザーに白のワイシャツ、制服を着崩すことなく過ごす普通の男子高校生。それが結月だった。


 泥島先生はいつもと変わらず、濃い紫色の髪があちらこちらにはねている。ブラシを一度通すだけでも一苦労しそうな髪の長さと絡まり具合だ。泥島先生はここ、私立北角高校で物理を教えながら、自身の研究も同時に進めているらしい。その紫色の目の下にはくまがくっきりとできていた。


 季節外れの青緑色のニットに、科学者が着そうな白衣を羽織っている。素足に白サンダルという季節がめちゃくちゃなファッションも、生徒にとってはよく見るものだ。


「どうしたんですか? って言うか先生、目のくま酷いですよ」

「ちょうど研究の山場を乗り越えられそうでですね! あと少ししたら、いくらでも寝る時間があるので大丈夫です!」



 疲れているにしては、声は元気に溢れていて落ち着きがない。

 結月は髪をかきあげて首に手を当てた。失礼のないような立ち振る舞いを意識する。



「まぁ私のことは良いんですよ。実は町瓜くんに頼みたいことがありまして」

「いいですよ、丁度暇だったんで。何をすればいいですか?」



 結月は頼み事をされたら余程のことがない限り断らない。言ってしまえば内申点のためだったり、友好な関係を結ぶためだったりとするのだが、部活に入っていない結月は基本的に暇であるため何だかんだ引き受けるのだ。


 泥島先生は口をつぐみ、結月の方をじっと見つめながら不敵な笑みを浮かべる。泥島先生はいつもこんな感じであり、慣れたらそれほど怖くない。他人が全く理解できないような難しいことをずっと考えて、一人で喜怒哀楽を繰り返す人なのだ。



「特殊能力とか、魔法とか、呪術とか、なんでもいいです。そんな奇跡を信じますか?」


「……はい?」


「考えることは大事ですが、今は直感で決めてくださいね。信じないのなら今すぐ帰りましょう。信じるのなら……」



 泥島先生の眼鏡に窓から差し込む夕日が反射して白く光り、目元の表情は見えない。しかし、その口元は笑っている。



「あなたに会わせたい人がいるのです」



 泥島先生は結月の方を振り返ることなく、廊下を進みだした。


 結月はその場に立ち尽くしてしまっていた。もしこの言葉を言ったのが全く知らない赤の他人なら、迷うことなく家に帰っただろう。


 けれど、目の前にいるのはあくまでも教師で、いくら他の教師から距離を置かれているとはいえちゃんとした大人だ。そして、結月はそれなりの信頼を生徒として積み重ねてきた。泥島先生が変人であると同時に、天才であると理解していた。



 どこか平凡な人生から逸脱したくて。どこか特別な人間になりたくて。


 誰も持っていないような才能や能力が欲しくて。


 欲望が強くなればなるほど、心は猛火に包まれる。


 立ち止まる時間が長くなればなるほど、欲望が溢れていってしまう。


 油断してはならない。犯罪にだけは巻き込まれないように、警戒を心に居座らせる。


 泥島先生から少し後ろを、結月は言葉を発すること無くついて行った。




 ◇




 泥島先生に案内されたのは運動場の隅にある体育倉庫の隣、第一備蓄倉庫だった。


 見た目からして古いプレハブ小屋で、金属の一部が赤茶色に錆びてしまっている。壁面の塗装も所々剥げていて、長年管理されていないことが丸分かりだった。


 そもそも備蓄倉庫の存在を知らなかった結月は驚いていたと同時にがっかりしていた。


 ――こんなボロい場所に一体どんな奇跡があるというのか。


 妙な言い回しで期待していた分、泥島先生に掃除を押し付けられたのだと思うと心底やる気を失った。掃除というのは勝手な妄想だが、どうせ雑用には違いない。



「二年前に地下シェルターと地下倉庫が完成したのをご存知でしょうか?」



 泥島先生は茶色の手提げ鞄の中を探りながら言った。



「いえ、知らなかったです」

「そうですか。まぁあれですよ、備えあれば患いなし、で偉い人達が導入したんだと思うので、我々にはまず関係のない話です」



 そして横目で結月を捉えながら、話し続けた。



「その地下倉庫が相当優秀らしくてですね、そちらがメインの備蓄倉庫になったようで。元々あった古い方は中身ごと放置されています。あ、ちなみにこの場所の管理者は私です」



 泥島先生は探していたものがようやく見つかったのか、鞄から小さな箱を取りだした。白色の上品な箱で、まるでプロポーズの時に渡す婚約指輪を入れておくようなものだった。

 その中には金色の指輪が入っており、泥島先生は右手の人差し指につける。そしてすぐに第一備蓄倉庫の鍵穴部分に近づける。



「先生、一体何を……」


 結月が言いかけたところで、ガチャリ、と鍵が開く音がした。


「えぇ?」


 初めて見るものですから驚くのも無理はない、と言いたげな笑みを泥島先生は向ける。



「これが魔法ですか?」

「もうじきわかりますよ、ほら中へ」




 促されるまま第一備蓄倉庫の中へ足を踏み入れた。


 思っていた以上に生活感があり綺麗な部屋であったが、何よりも目立つ存在があった。


 部屋全体を明るく照らす宝石のようなものがL字型の机に置かれていて、直視しようものなら目が痛くなる。そんなものの隣に、茶色の長い髪の女子が椅子に座りながら机に顔を伏せて微動だにしない。


 また、部屋の壁に沿って置かれた古いソファには鈍い金色の短髪の男子が横になって眠っている。そして、ソファの前に置かれたローテーブルの向かいに置かれている木の椅子には黄緑色の髪の中性的な人が座って項垂れていた。



「これは、どういうことだ……?」



 普段の結月なら驚いて、その足は動かなくなっているはずだった。


 でもなぜか、あの光る物体に心が惹かれる。それが魔法だとか奇跡だとかに関するものだ、と脳が理解するよりも前に、近くで見てみたい、触れたい、といった思いが大きくなっていく。



「あの光る宝石のようなものがあるでしょう? アレに触れたら町瓜くんの謎が全部解けますよ」



 光る宝石の魅力に身体が導かれる。泥島先生に言葉でも誘導されている。



 一歩、一歩と進むたびに周りがどんどん見えなくなっていく。眩い宝石を直視しても目が痛くない。そして次第に、音すらも遠くなっていき――。



「その光る宝石は『モノガタリ』と言うもので、その名の通り物語を宿すものです。それを使うことで、物語の中に入り登場人物として体験できるんです。まぁ、そこにあるのは本来の話からズレた、おかしくなってしまったモノガタリで……って、もう入ったんですか?」


 ◆

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