【エッセイ】銀河鉄道999、松本零士先生を偲んで

キサラギトシ

零時社訪問

零時社、表札はシンプルな三文字のみ。

練馬の住宅地の一角、昭和の香りを残すご自宅のチャイムを鳴らすと、写真では何度もお目にかかったドクロの零士キャップを被り、穏やかな表情の松本零士先生が姿を現した。


僕はマンガ・アニメ業界に関わりが薄い職業だが、当時の上司が「松本零士先生に電話してみるよ」と突然アポイントを取ってくれたのだ。

僕はとある件で練馬とアニメについて調べていて、それまで手塚治虫先生が作られた虫プロなどにもお邪魔していたが、よもや松本零士先生ご本人から当時のお話を聞けるとは夢にも思わず、とても緊張していた。


玄関先、僕のような若造がキラキラした目でキョロキョロしているのを見て取ったのか。

「そういえば10年くらい前かな、いきなりフランス人の若者2人が訪ねてきてね。大ファンだ、自分たちとコラボして欲しいって」と先生は語り出す。

聞くと、その2人の正体はロボットの扮装でダンスミュージックなどを演奏する世界的な有名ミュージシャン「ダフト・パンク」だというではないか。

「2人とも素顔だったんですか?」と聞くと、

「もちろん。自分たちがどれほどあなたのアニメに影響を受けたか、ずっと話していたよ」と目を細めた。

その後ダフト・パンクと先生はMVをコラボし、先生のアニメは世界中でさらに知られることになるのだが、その前夜となる貴重なエピソードだ。

なお僕の訪問から数ヶ月後、ダフト・パンクはアメリカの権威ある音楽賞であるグラミー賞で最優秀レコード賞、最優秀アルバム賞などを受賞。報を聞いた松本零士先生はさぞかし嬉しがったであろうと思う。



松本零士先生の家の中のイメージは「昭和のちょっとお金持ちな家」。スネ夫やしずかちゃんの家みたいな感じといえば少しは伝わるだろうか。

リビングと廊下と部屋が混じり合った謎空間の一角で僕は先生にお話を伺った。


ひとつはアニメ・鉄腕アトムの放送直前の話。

鉄腕アトムの記念すべき第一話の完成直前、手塚プロの映写機が壊れ、たまたま持っていた松本零士先生が急遽映写機を貸し出すことになり、手塚先生のところにリヤカーで運んだというエピソードだ。当時手塚治虫先生が住んでいた杉並区はまだ家があまりなく、中央線の線路から数えるほどしか無い家の一つが手塚先生の家だった、映写機が重くて大変だったという当時の苦労話だった。

岡田斗司夫さんはよく「日本のアニメが安い賃金になったのは手塚先生の悪影響云々」と語るが、それはそれとして、日本アニメ夜明け前のエピソードとして大変面白い話だった。


他にも様々なエピソードを語っていただいたのだが、僕の仕事先に遠慮して詳細は割愛させていただく。申し訳ない。



そんな僕が松本零士先生に話を聞いている時にずっと気になっていたのが、とある部屋の状態だった。

そこはゴミ屋敷と言えば大変失礼が過ぎる思うが、見た目はそれに近い。様々な箱や本、おもちゃなどが乱雑に無規則に積み重なっている、混沌とした部屋だった。

仕事はまだ途中だったが、僕はついに耐えきれなくなり「先生、ここはなんの部屋ですか?」と聞いてみることにした。


先生はイタズラっぽく「宝の山だね」と笑う。

よくよく見回してみると、宇宙戦艦ヤマトの何かの戦艦のプラモデルがあったり、銀河鉄道999のダイキャストモデルが転がってたり、昭和50年代のケイブンシャ発行「銀河鉄道999大百科」が転がってたり。他にも気になるプラモデルの箱やおもちゃの箱が所狭しと積み上がり、松本零士ファンにとっては垂涎の的、まさにお宝の山であることが見てとれた。


正直、僕は卑しくも「これ全部ヤフオクで売ったら数百万だな!」なんて考えたが、当然口に出したりはしない。今ならメルカリだけど、当時はメルカリ創業まもなく、知名度はそれぼそれほどではない頃だ。


それでも僕はさらに卑しい根性むき出しで「先生、あのプラモはなんですか?カッコいいですねー!」なんて聞いてみたりした。「欲しいなら持ってけば?」と言わないかな?なんて少しだけ期待していたが、そうはならなかった。


先生曰く「この部屋のものを見ると、いろんな時のことを思い出す」

苦労した売れない漫画家時代、売れはじめておもちゃのサンプルをもらい嬉しかったこと、いろんな人と関わったこと、そんな思い出が詰まった部屋なのだと。

僕はちょっと気恥ずかしくなりつつも、最後にひとつだけお願いをした。


来訪前に買ってきた、銀河鉄道999のヒロイン・メーテルが表紙に描かれた雑誌を取り出し、サインをねだったのだ。

僕は様々な著名人と接してきたがサインをお願いすることはなかった。耐えきれずサインをねだったのは、過去一度のみ。こちらも漫画家の吉田戦車さんだけだった。


松本零士先生は喜んで僕の雑誌にサインをしてくれた。美しいメーテルの横に描かれたそのサインは、我が家の家宝として今でも大事に保管している。


「若いファンと話すのは楽しいよ」


そう語っていた先生のお姿に触れた1人として、記憶が薄れないうちに書いておきたい。

僕がクリエイターとなった要因のひとつに松本零士先生の作品があるのは間違いないのだから。

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【エッセイ】銀河鉄道999、松本零士先生を偲んで キサラギトシ @kisaragi4614

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