第37話 その後の麗奈

 麗奈との勝負が終わってから一週間ほどが経ち、星河は再び天原閣の一角に来ていた。天原閣一階の奥まった場所にある囲碁雑貨『とらや』。新規開店したばかりのその店は可愛らしい店員がいるということで話題になり、癖の強い独自絵であるごとら君でさらに人気が上昇、連日かなりの賑わいを見せている。


「いらっしゃいませとらー。せ、星河っ!? どうしてここにっ」


 虎の耳と尻尾をつけた義姉は、星河の姿を見て狼狽した。相変わらずとても可愛い。


「可愛い。もう一回やって、お義姉ちゃん」

「駄目です。もうやりません」


 頬を赤く染めた麗奈が必死に首を振るので、こうなるとどうしてももう一回やらせたくなってしまう。たまたま近くを通りがかった雷に声をかける。


「店長さんすみません、この店員さんが挨拶してくれません」

「星河。やめなさい星河」

「なにぃ、ソイツはいけねえなあ。麗奈、ちゃんとオレの店で働くって約束忘れたのか?」

「雷様。お戯れはやめてください雷様」


 雷と二人で笑いながら麗奈を見る。麗奈は「グッ」と唇を噛みしめると、ヤケクソ気味に襲いかかる虎の体勢になって叫んだ。


「いらっしゃいませとらー!」


 やっぱりわたしのお義姉ちゃんは可愛い、と星河は思った。人気が出るのも頷ける可愛さだ。


「雷様、店員さんのお写真とかは売っていないんですか?」

「星河。やめなさい星河」

「おっ、それ売れそうだな。お嬢ちゃん中々商才あるぜ」

「雷様。お戯れはやめてください雷様」


 写真の他にも直筆のサイン付きの雑貨なんてどうでしょうわたし買い占めますよ、という話を雷とする。雷もこれには乗り気なようで、早速まずは写真を売ってみようという話になった。麗奈はもう諦めたような表情でそれを見ている。


「そういえばお嬢ちゃん、今日も何か買い物かい?」

「あ、いえ、今日はお義姉ちゃんとお話したくて来ました。あとお義姉ちゃんの虎姿をもう一度見たいと思いまして」

「ああ、それなら麗奈は休憩に入るといい。なんだか疲れているように見えるしな」

「誰のせいですか誰の!」


 頬を膨らませて雷をぺちぺちと叩く麗奈。こんな義姉の姿を見るのは珍しい。雷に相当気を許しているようだ。


 麗奈が手早く虎の耳と尻尾を外してくる。それを少し残念に思いながら、星河と麗奈は近くの甘味処『あまとう』まで向かった。




 二人で『あまとう』の特製お団子を食べながら、まずは星河は頭を下げた。


「お義姉ちゃん、ごめんなさい」

「どうして星河が謝るの? 悪いことをしたのは私なのに」


 ううん、と星河は首を横に振る。


「前に言われたことがあるの。わたしはお義姉ちゃんに幻想を押し付けているって。わたしはお義姉ちゃんが強くて格好良い人だと思っているけれど、そう思って接してきたから、お義姉ちゃんが苦しんでいるのに気付いてあげられなかった。だから、ごめんなさい」

「馬鹿ね。そんなことで謝らなくていいのよ。私たちはどちらもお互いを知ろうとしなくてすれ違ってしまった。だから、これからはたくさん話しましょう、ね?」

「……うん!」


 これからはたくさん話すことができる、ただそれだけで嬉しい。星河は笑うと、気になっていたことを聞いた。


「お義姉ちゃんはこの後どうするの?」


 自分は大空の元で囲碁を続けるつもりだ。れい子と決別した麗奈は、どうするつもりなのだろう。囲碁を続けてくれるのだろうか? 不安になりながら麗奈の様子を窺う。


「院生として国家棋士を目指すつもりよ。しばらくは雷様のところで働きながら一人暮らしするわ」

「そっか。囲碁を続けるんだね、お義姉ちゃん」

「ええ、そうすることに決めたの」


 どこか麗奈は吹っ切れたような雰囲気だ。麗奈の言葉に安堵する。


「雷様は職場も住居も用意してくれて本当に感謝しているの」

「良い人なんだね」

「ええ。『クカカッ、アンタにはたくさんの男を相手に働いて貰うから覚悟しろよ』って言ってくれたわ。頼りにしてくれているの」


 星河は真顔になった。


「お義姉ちゃん、やめよう。それ悪い人に騙されているよ」

「そんなことは無いわよ。雷様はお金が必要みたいだから私が働いて支えないと」

「それも悪い男の人に騙されている女の子のセリフだよ!」

「まあ聞きなさい星河。昨日だってね――」



   *



 新開家を出たあとに雷を頼ると、雷は住居や必要な家具、職場も用意してくれた。高給のため労働時間は短くて済み、囲碁の勉強をする時間を充分確保できる。院生として通うためには棋院にお金を払う必要があるが、それも雷が肩代わりしてくれている。


 麗奈は雷に頭を下げた。


「何から何まで用意して頂いて申し訳ありません」

「クカカッ、気にするなよ。今日はたくさんの男を相手に働いて貰うからよ」


 囲碁雑貨『とらや』以外にも麗奈の力を借りたいということで、帝都の中でも貧民者が集まるような地域に二人は来ていた。いったいどんな職場なのだろう、自分でも役に立てるだろうか。緊張しながら雷の後ろを歩く。


「着いたぞ」


 雷の後ろから麗奈はその建物を見上げた。


「孤児院、ですか?」

「ああ。おいガキども! 囲碁の先生を連れてきてやったぞ!」


 孤児院の中から子供たちがわらわらと出てきた。「やったー!」「あそんでー」「新しい先生きれー」「おなまえはー?」と一斉に話しかけてくる。元気いっぱいな子供たちに翻弄されながら、麗奈は一人一人に答えていく。どうにか返答を終えてから、麗奈は雷に問いかけた。


「私のお仕事は、この子たちに囲碁を教えることですか?」

「ああそうだ。本当は俺が直接教えたいんだが、これでも金を稼ぐのに忙しくてな。新しい教員を探していたところだ。給与はもちろん俺が出す」


 それではまるで慈善活動ではないか。守銭奴として有名な雷の噂からはほど遠い。不思議に思いながら見ていると雷は照れくさそうに頬をかいた。


「オレはここの出身なんだよ。囲碁ぐらい教えてもおかしくはねえだろ。識月の野郎は囲碁を普及するなんて言ってるが、あいつが見ているのは普通に生きることができて碁会所にも行く余裕があるような連中のことだろ? 視野が狭くっていけねえやな」

「……もしかして雷様がお金を稼いでいるのは」

「あん? ガキどもにたらふく食わせねえといけねえだろうが。まあ大空もここの出身だから手伝って貰ってるけどよ、金は多いに越したことはねえ」


 麗奈は破顔した。


「あはっ! あはははははっ!」

「なんだよオイ、笑うなよ」


 お腹を抱えて笑う麗奈を、子供たちが不思議そうに見ていた。



   *



「雷様、良い人なんだね」

「良い人なのよ」


 誤解して悪いことをしたなと思う反面、もっと言葉選びにも気を付けて欲しいな、と星河は思った。それにしても麗奈が雷のことを話す時に妙に楽しそうなのが気になる。


「好きなの? 雷様のこと」

「……コホンッ。今はそういったことを考えている暇はないわ。国家棋士になるために囲碁に集中しないと」


 はぐらかされてしまった。でも、そうか、麗奈は国家棋士になるのか。麗奈なら絶対になれると思う。星河の義姉は、諦めることを知らない女だから。


「先に行って待ってるわ」

「先?」

「あなたもなるんでしょう? 国家棋士に。いえ、まずはその前に院生かしらね」


 院生、その先に国家棋士。なんだか不思議だ。新開家にいる間は、そんな未来のことを考えるなんてしたことがなかった。苦しい毎日をただ生き延びるのだけで精一杯だった。歩みたい道があって、実際に歩むことができる。その両方がとてつもない奇跡のようだ。


 将来のことを考えた時に、おのずと大空のことを思い浮かべた。院生、国家棋士、さらにその先の称号持ち。そうだ、大空と結婚するためには、三年後に称号持ちと同じぐらいに強くならなくてはいけない。だって、そうしなければ囲碁を打つことはできないのだ。


「うん、わたし、国家棋士になる。大空様と結婚するために強くならなくちゃ」

「……そのことだけどね、星河」


 麗奈が真剣な面持ちで星河を見る。


「私と一緒に暮らさない?」

「え?」

「今の私ならあなたの生活を支えることができるし、院生として通わせるお金も出すことができるわ。夜になればあなたの囲碁の相手をすることもできる。もうあなたが囲碁を打つために、誰かの婚約者になるようなことをしなくても良いの」


 大空の婚約者にならなくてもいい。星河は混乱した。どうして自分は大空と婚約したのだったか。


 始まりはそう、花嫁選定試験。ただ招待状が来たからという理由で行った久遠院の屋敷で、大空と出会った。それから大空が訪ねてきて、星河に囲碁の才能があると言ってくれて。星河は囲碁が好きで、大空のところでなら囲碁が打てる。だからそうして大空についていったのだ。


 でも、もう大空に頼らなくても囲碁は打てる。識月だって囲碁を打てる環境を用意してくれると言っていた。麗奈だってこうして一緒に暮らそうと言ってくれている。囲碁を打つためという理由では、もう大空のところにいなくても良いのだ。


 だから、わたしは。


 星河は静かに口を開いて、義姉に返事をした。

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