第25話 優花の緊張
朝は久遠院家の使用人たちと対局、昼からは優花や善仁との訓練、夜は棋譜並べや読書。たまに識月の指導を受ける。朝から晩まで囲碁漬けの生活によって、星河の棋力はめきめきと上がり始めた。死活なども読みの深さが重要になる箇所と違って、定石や布石というのは覚えるだけでも比較的すぐに結果が出やすいというのもあるのだろう。
今日も碁会所で二人と打っていた。優花が感心したように目を丸くする。
「強くなったねえ、星河ちゃん」
「本当? 嬉しいです」
初日はほとんど優花に勝てなかったが、今では三回に一回は勝てるようになった。優花と善仁に布石を教えてもらった成果が出てきている。善仁が呆れたように星河の対局を眺める。
「強くなりすぎですよ。妖怪か何かですか?」
「また言われた……。信じてください、本当に妖怪じゃないんです」
「それは分かっていますが……」
星河の懇願に善仁が引いていた。そういえば、と優花が続ける。
「識月さんが言っていた、期限って何のことなの? 最初は院生試験かと思ったけど、あれって十二月だからまだ先だよね?」
まだ優花には言ってなかった。隠していることでも無いので、優花と善仁に事情を伝える。大空の花嫁候補となったこと、しかし麗奈が異議を唱えたこと、そのため麗奈と勝負することになったこと。二人の反応は正反対だった。優花が目を輝かせているのに対して、善仁のほうは冷めた目で見ている。
「男の人を巡って勝負するってこと? すごい……星河ちゃん、大人だ……」
「不毛なことをしていますね」
傍から見た時に滑稽なことをしている自覚はある。それでも自分の中では大切なことなのだ。
「だからあと五日でお義姉ちゃんに勝たないといけないんだよね。……勝てると思いますか?」
「「……」」
優花と善仁は二人とも目を逸らした。それは藤塚姉弟なりの優しさかもしれなかった。
「それにしても星河ちゃんはすごいなあ。そんな大舞台、私だったら緊張して何もできなさそう。明日ある序列戦も今から緊張しているのに」
「院生の序列を決めるための対局ですよね? 毎週あるって本当ですか?」
「毎週あるから毎週辛いんだよお。緊張しちゃって全然勝てないし!」
「姉さんは親しくない人と打つのが本当に苦手ですからね」
ここで打っている限りでは優花と善仁の棋力はほとんど同じぐらいに感じられるが、院生での序列は善仁のほうがだいぶ上らしい。善仁の言う通り、優花の精神面での弱さが成績に影響しているのだろう。
「これじゃあ国家棋士なんて夢のまた夢だよ。どうしよう……」
明日のことを考えているのか、既に優花の表情は硬くなっている。
星河としても何とかしてあげたいところだが、優花は星河と打っていてもあまり緊張しているようには見えない。訓練の相手になるのは難しそうだ。何か緊張を解くための方法は無いだろうかと考えてみる。
「対局の前に緊張を解くおまじないをしてみるのはどうでしょう?」
「ああ、そういう棋士はたまにいますよね。人の字を書いて飲むとか」
星河の言葉に善仁が同意する。試しに優花と二人で人の字を書いて飲んでみた。
「どうして人の字を書いて飲むと緊張が解けるんでしょうね」
「さあ? 対戦相手を飲んじゃうぞーっていう意気込みなのかなあ?」
「がおー」「がおー」
二人して獣の真似をしながら大口を開けて人の字を飲み込む。優花の反応を見た限りではあまりピンと来ていないようだ。
「うーん、なんか違うかも。対戦相手を飲み込むのもなんか可哀想だよね」
「そうですよね」
三人でうんうん唸る。こうやって考えているとふと別のことが思い浮かんだりする。星河は何度か識月の指導を受けているうちに、優花から識月への熱い視線に気が付いていた。
「そういえば優花ちゃんって識月様が好きなんですか?」
「ス、スキジャナイヨ!」
「ほほーう。そうなんですねー」
「もー星河ちゃん!」
優花の反応ににやけてしまう。知世と話しているうちにすっかり星河も恋バナが好きになってしまった。詳しく聞きたいところではあったが、そこで緊張を緩和する方法について思いついてしまった。
「では、お世話になった人たちのことを対局前に目を瞑って思い浮かべるのはどうでしょう」
「ああ、それは良い案かもしれませんね」
善仁が同意する。優花が星河の言葉を繰り返した。
「お世話になった人たちを?」
「そうです。わたしたちは色々な人にお世話になりながら囲碁を打っていますからね。好きな人が教えてくれたことを思い出せば、緊張なんて吹き飛んじゃいますよ。識月様とか、識月様とか」
「もー! だから好きじゃないってば! 星河ちゃん!」
冗談を交えたことで、強張っていた優花の表情がほぐれた。それに、お世話になった人を思い浮かべるというのは我ながら良い提案かもしれない。自分だけの力ではなく、みんなの力を借りながら戦っているのだと思い出せるから。
「ありがとうね、星河ちゃん。明日試してみるね。星河ちゃんのことも思い浮かべるから!」
「いいんですか? こちらのほうがお世話になってるのに」
「私のほうがお世話になってるよー」
お互いに照れたようにはにかむ。星河は識月の物真似で照れ隠しをした。
「”たかだか対局をする程度で緊張するとはな。対戦相手はジャガイモさんだとでも思えばいい”」
「あはは、似て……る……」
笑っていた優花の顔が強張り、星河の後ろを見る。
「それは誰の真似だ?」
識月はどうしていつも気配を消して後ろに立つのだろう、と星河は思った。
翌日、碁会所で待っていると、笑顔の優花が飛び込んできた。
「勝ったよ! 星河ちゃん!」
どうやらおまじないが聞いたらしい。飛び跳ねて喜んでいる優花を見て、星河も幸せな気持ちになった。
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