第24話 それぞれの指導

「あの、これは決して悪口では無くてですね」

「良い人という評価は初めて受けたな。あまり褒められると照れてしまうのでやめて欲しい」

「あっ、怒ってなさそうですね。良かったです」


 識月はたしか星河の二つほど上の年齢のはずだ。大人の男の人だが優花は大丈夫だろうか、と様子を窺うと、優花は意外にも顔を輝かせていた。


「識月先生! こんにちは!」

「ああ、こんにちは」


 どうやら顔見知りらしい。星河からすれば識月は怖い大人の筆頭と言った感じだが、優花は心を許した様子を見せている。識月は相変わらず無表情であるが、前回会った時よりも雰囲気が柔らかい気がした。識月は善仁とも挨拶を交わしてから、星河と優花を交互に見た。


「あなたたち三人を呼んだのは私だ。どうやら紹介の必要は無さそうだな」


 星河だけではなく優花と善仁も識月に呼ばれていたのか。識月は空いている席に座ると碁盤を見た。そこには星河と善仁が打った盤面が残っている。


「打ったのだろう? 最初から順番に並べてくれ」


 ある程度の力量の棋士なら自分の碁を最初から並べるのは容易いことだ。識月の指示に従って、星河と善仁は最初から順番に並べていこうとしたが。わずか二十手にもいかないうちに識月に止められた。


「ここだ。優花と善仁はこの手をどう思った?」


 星河が打った何の変哲もない手だ。左辺の黒を補強するために辺の星を打ったところであり、特に不自然な点はない。しかし優花は少し考えてから左下隅を指差した。


「私ならここを押し上げるかな」

「僕もそう思う」

「えっ? ……ああ、そうか、そのほうがいいですね」


 左下隅は黒と白が押し合っていて、たしかに実践では先に白が押し上げてきて左辺黒が縮こまってしまった。こんなに序盤から失着していたのか。


「これで分かっただろう、星河。同等の実力の棋士と比較してあなたは特に序盤の布石が弱い。そこを重点的に強化すれば短期間でも飛躍的に強くなれるはずだ」

「なるほど……。実は、大空様の屋敷の使用人の方々には中盤以降が強いと褒められているのですが」

「それは序盤が弱いということだな」

「そうですよね!」


 大空の婚約者ということで気を遣った言い方をさせてしまっていたのかもしれない。


「私は毎日指導することはできない。三人で毎日対局をしながら教えあってくれ。それだけで充分強くなるはずだ」

「あの、わたしは助かるのですが、優花ちゃんと善仁くんにご迷惑では?」


 序盤が弱い星河に二人が教えてくれるだけの関係になってしまう。二人の負担が大きそうだと思ったのだが、識月は首を降った。


「続きを並べてみれば分かる」


 さらに序盤から中盤を並べていく。終盤に入りそうなところで識月がまた制止した。今度は善仁が打った手の場所だ。


「ここだな。星河ならどうする?」

「あっ、ここ、ブツカリのほうが良いなと思ってました。黒がこうするなら丸取りできるし、こう打つならワタれます」

「「おー」」


 実践では分断された箇所だが、こうやって繋がることもできる。星河の読みに二人が感心の声を上げた。識月も星河を褒める。


「あなたのシノギやヨセの上手さは国家棋士と比べても遜色ない。そういったところを二人に教えればきっと助けになるだろう」


 なるほど、と星河は感心した。星河は序盤、二人は終盤を教えてもらうことで、互いの弱点を埋め合うことができるわけだ。


「それに聞いたところによると星河は格上との戦いばかりしているからな。置き碁と互先では序盤の感覚は大きく異なる。星河、あなたは残りの九日間で実力が近い者との対局経験を積み上げて互先の感覚を養わなくてはならない。期限を意識して時間を使うことだな」


 そこまで考えて、識月はこの二人を呼んでくれたのか。星河が強くなる方法を真剣に考えてくれていることに感動する。優花が尊敬している様子で識月に接しているのも分かる気がする。


「そういえば、件の勝負の条件は決まっているのか? 対局場所はどこだ? 持ち時間は何時間だ?」

「いえ、特に聞いていません」

「それも詳しく聞いておけ。持ち時間が三十分か三時間かで時間配分をどうするかも変わってくる」

「はい、分かりました!」

「あとは……そうだな。もちろん、私がいる時は私のほうでも指導を行う。教えるべき点は多々あるからな。あなたがた三人で考えて分からなかった箇所も質問に答えよう」

「はい! ありがとうございます!」


 至れり尽くせりだ。星河は深く頭を下げた。



   *



 麗奈もまた、いかづちの指導を受けていた。


「ここは手を入れておくべきだったな。一見愚形に見えるが頑張りどころだ」

「はい。あの……」


 麗奈はこの質問を躊躇ったが、我慢できずに聞いてしまった。


「こんなに付きっきりで教えていただいて良いのでしょうか?」

「なんだ、不満か?」

「いえ、そういう訳では全くありません。しかし、国家棋士は多忙だと聞いています」


 雷はその空き時間のほとんどを麗奈の指導に使ってくれていた。公開されている国家棋士の公式戦日程を見る限り、公式戦以外の時間は全て麗奈に使ってくれているはずだ。流石に申し訳ない気持ちにもなってくる。そんな麗奈の様子を見て、雷はクカカッと笑う。


「四条識月は囲碁の普及に力を入れている男でな。金もほとんど取らずに多くの人間を指導している。どう思う?」

「とても立派な方だと思います」

「そう、立派だ。だが指導者としては三流だ。いいか、全員に平等、対価を取らない仕事ってのは基本的に大した成果にならねえんだよ。現に、オレはアンタから対価を頂くことでオレの時間を全てアンタにつぎ込むことが出来ている。これは、あっちこっちに良い顔している識月には絶対にできない指導だ」

「……はい。その通りです」


 多くの人間に囲碁を教えようとしている識月の志は尊いものだが、それ故に星河への指導に使える時間は少ないだろう。一方で雷は麗奈に多くを求める代わりに、多くのものを分け与えようとしてくれている。


「アンタにはオレの紹介した店で働いてもらうつもりだからな。こっちとしてはその分の前払いをしているだけだ。安心しろよ、称号持ちが多大な時間を使って囲碁を教えるんだ、絶対に負けることはねえ」

「はい。ありがとうございます」


 麗奈は雷の言う店のことを思い出して唇を噛み締めた。麗奈にとっては大変に屈辱的な仕事だが、しかし、そのおかげでこうやって雷の指導を受けることができている。星河に勝つという目前の目標だけでなく、囲碁を打って生きていくのなら将来に渡って貴重な資産になる時間だ。多少の誇りが傷ついても買うべき時間だった。


 絶対に勝つ。その決意を胸に、麗奈は目の前の盤面に集中した。

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