第8話 花嫁勧誘 その2

 大空が何をするつもりなのかは分からないが、久遠院家の跡取りが新開家に来たいと言ったのなら、星河は従うことしかできない。大空を案内して新開の屋敷に通し、れい子に報告する。


 突然訪ねてきたのにも拘わらず、れい子は大空を歓迎した様子を見せた。むしろ星河が見たことがないほどに上機嫌だ。客室に大空を通すと、星河にお茶とお菓子を出すように命じる。小間使いのような扱いには慣れている。星河は唯々諾々と従った。


 星河がお茶を用意している間に、れい子は笑顔で大空に話しかける。


「それで久遠院大空様。今日は何のご用事で?」

「分かっているのだろう? この家の娘を頂きたい」

「まあまあ! やはり不合格は何かの間違いだったのですね!」


 大空の言葉にれい子は笑顔を見せると、麗奈を呼び出す。


「麗奈、麗奈、いらっしゃいな! 大空様がお呼びですよ!」

「いや、麗奈のほうではない」

「それは……どういうことでしょう?」


 れい子は戸惑うように大空を見る。


「失礼します」


 れい子に呼ばれた麗奈も客室に入ってきた。れい子と麗奈の二人の前で、大空は近くにいた星河の肩を抱き寄せた。大空の体温を感じて、星河はまた顔が熱くなってしまう。今日の大空はよく触れてくる。心臓に悪いので止めて欲しい。


「久遠院大空は新開星河を花嫁に迎え入れる」


 星河は困惑した。大空が何をしたいのかが分からない。新開家に直接訪ねてこのような宣言をすれば、もはや冗談では済まされないのだ。本当に大空は星河を花嫁にするつもりなのだろうか。


「そんな! あり得ません! その娘はもう六年は囲碁を打っていないのですよ!」


 取り乱したように叫ぶれい子。


「父の星賢の遺言に従っているのです! 才能が無いから囲碁の教育を受けさせていないのです! 決して久遠院家の花嫁は務まりません!」


 れい子の言うことはもっともだ、と星河は思う。星河自身も自分が久遠院家に認められるとは思えないのだから。だが、大空はれい子の言葉を嗤った。


「それは本当に星賢さんの遺言か?」

「……っ!」


 れい子が言葉を詰まらせた。本当に、とはどういう意味だろう? 麗奈のほうを見るが、星河と同様に大空の言葉の真意を掴み取れていないようだ。しかし、れい子は思い当たる節があるように見える。


「まあいい。もう既に終わった話だからな。俺の見立てでは、星河には類稀なる才能がある。星賢さん亡き今の新開家で腐らせるには惜しい。久遠院家に正式に迎え入れて、充分な教育を受けさせよう」

「……これは大空様の独断でしょう! その娘を花嫁にすると言うのなら、私のほうから久遠院家に報告させて頂きますからね!」

「好きにしろ」


 れい子が金切り声をあげて抗議する。れい子の言う通り、星河のような落ちこぼれを花嫁にすれば久遠院家が黙っていないだろう。しかし、大空は気にした様子は無い。星河に正面から向き合うと、その力強い瞳を星河の瞳に合わせてくる。目と目が合って引き剥がせない。


「先ほども言ったが、お前には碁の才能がある。俺ならお前を磨くことができる。もう一度言うぞ、俺の花嫁になれ」

「でも、だって……」


 急にそんなことを言われても困る。ずっと、自分には才能が無いと思っていたのだ。だから、もう囲碁を打つことはできないのだと思っていた。


「俺の言うことが信じられないか?」

「そんなことは、ありませんけど……」


 他でもない『日華無双』の棋士が、そう言うのだ。もしかしたら本当に、星河には囲碁の才能があるのかもしれない。そんなことを言ってくれたのは、大空が初めてだ。胸の中に確かな熱が灯った。


「星河、久遠院家でなら充分な囲碁の教育を受けることができる。お前に才能が無いと決めたのは他人だろう。周りではなく、お前自身がどうしたいのかを聞かせろ」

「わたしは……」


 周りではなく、わたし自身の想い。わたしは、どうしたいのだろう。たぶん大空に恋愛感情は抱いていない。男女の感情では、大空の花嫁になることはできない。


 囲碁に飢えた六年間の日々を思い出す。大空と笑いながら打った楽しかった時間を思い出す。


 何よりも、始まりのことを思い出す。星賢と麗奈、二人と一緒に笑いあった最初の一局。その始まりがあまりにも楽しかったから、自分は囲碁を打とうと思ったのではなかったか。


 そうだ、わたしは。


「打ちたい、です。わたし、もっと囲碁が打ちたい」


 声が震えてしまう。瞳から一滴、涙が頬を伝った。そうだ、わたしは囲碁が打ちたい。どうして始まりの感情を忘れていたのだろう。もしかしたら本当は才能なんてなくて、久遠院家に認められないかもしれない。新開家に戻ることも出来なくなるかもしれない。それでも、囲碁が打ちたい。他者の言うことではなく、自分の想いに素直になって人生を歩みたい。


 この人についていこうと思った。婚約をする動機としては不純かもしれないけれども、それでも囲碁が好きという気持ちだけは嘘ではない。


 そんな星河の様子を見て、大空は微笑んだ。


「そうか。なら俺の元へ来い」

「はい!」


 力強く返事をして、微笑みかえす。そんな星河の様子を見たれい子が甲高い声を上げて罵った。


「星河さん! あなたはどうしていつも言うことを聞かないのっ!」


 れい子が杖を高く振り上げる。殴られる! 星河は怯えて目を瞑った。身体を震わせ、いつものように痛みに耐える覚悟をする。しかし、いつまで経っても杖が振り下ろされない。おそるおそる目を開けると、大空が振り下ろされた杖を片手で掴んでいた。鍛え上げられた握力で杖がミシリと悲鳴を上げる。


「星河はもう俺の花嫁だ。久遠院家の者に手を上げるとどうなるか、分からないわけではないだろう」

「……クッ!」


 大空に睨まれて、れい子は引き下がって杖を下ろした。もう星河に暴力を振るう気は無いようだ。


(すごい……)


 星河にとってれい子の存在は絶対で、こうやって誰かがれい子に逆らってまで守ってくれるなど考えたことも無かった。身を挺して星河のことを守ってくれた大空を見つめる。惚けた様子の星河が気になったのか、大空がこちらを覗き込んできた。


「星河、大丈夫だったか?」

「は、はい、大丈夫です!」


 大空のおかげで星河に怪我はない。顔が熱くなるのを感じながらも、ぱたぱたと両手を動かして問題ないことを伝える。それを見た大空は安堵した様子を見せた。


「そうか、ならばそろそろ行くぞ。話は終わったことだしな」


 大空が星河の肩を掴んで動くように促したところで、苛立ったような声が部屋に響いた。


「納得がいきません」


 新開麗奈が、いつものような無表情で星河を見ていた。

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