キャッチャー
禁母夢
キャッチャー
幼い頃からの夢を成就した彼はプロ野球選手となった。
ポジションはキャッチャー。
ただし彼は入団してからずっとレギュラーではなかった。
今から10年前に入団した時点で既に常勝となっていたチームに彼が加わったのはオーナーのほんの気まぐれからだった。
彼がレギュラーをとれる可能性はまったくといっていいほど、なかった。
彼の打撃は悪くなかったが相手があまりにも悪すぎた。
レギュラーは不世出の強打者で、毎年60本ものホームランを放つバケモノだった。
彼が最も自信を持つ守備でも劣っていた。
レギュラーに比べ、彼が上回るものは肩だけだった。
彼はレギュラーを取れないまま既に10年控えを続けてきた。
10年間で残した成績はほとんどが代打だ。
通算で178試合、31安打、4本塁打、16打点、0盗塁。
そのキャリアのほとんどを1軍で過ごしながら、彼が残した成績はたったそれだけだった。
レギュラーは頑健で、あまりにも高い壁だった。
強打者でありながら、バットコントロールは柔らかく巧みで、守備についてもその頭脳の回転の速さは球界でも並ぶ者がない。
レギュラーは日本球界の至宝だった。
彼は自分より1歳年上の絶対的レギュラーの背中をどう思いながら見ていたのだろう?
彼は大阪府吹田市に生まれた。
父親は顔も名前も知らない。
母子家庭の決して恵まれた暮らしではなかったが、幼い頃から彼は人並み外れた野球の才能を発揮し、地区のリトルリーグでは知らない者はいなかった。
プロ野球に進む者のほとんどがそうであるように、彼もまた四番でエースとして少年時代を過ごした。
高校の時になってようやくキャッチャーに転向したが、その強肩、野球センス溢れる打撃は評価が高く、高校時代に甲子園に二度出場する内に瞬く間に彼は注目の的となった。
だが彼がドラフトにかかったシーズン、注目されたのは大学からプロ入りしたとある一人の投手だった。
160kmは出るという正真正銘の怪物投手だった。
その大卒投手に6球団が競合したことでその年のドラフトはにわかに荒れだした。
通常の年なら高卒キャッチャーである彼を指名するのは大抵なら下位指名だろう。
だが、お目当ての大物投手を逃し、外れ一位も奪われたある球団のオーナーは頭に血が上り、外れの外れ1位に彼を指名したのだ。前年に指名した20年に一人の逸材といわれるキャッチャーを擁しながら。
彼は既に28歳になる。
年棒は2200万円。
長年1軍で二番手キャッチャーをしている選手としては平均的だろう。
彼はこのままキャリアを終える自分を何となく想像するようになっていた。
後、数年経てばおそらく自分は二番手捕手でもいられなくなるだろう。
そしたら球団職員かスカウトか‥球団からもそう言われている。
だが、彼はここに来て選手としての自分に賭けてみたい思いに駆られていた。
彼はプロに入ってからいまだ一度もスタメンで公式戦に出た事が無かった。
ただの1度も消化試合ですら1回もなかった。
経験が物をいうポジションでありながら守備についた事が限られていたのは悲劇だった。
レギュラーとの大きな差はますますどうしようもないほど広がっていった。
そして彼は契約更改の席で球団社長(兼任オーナー)にトレードを申し出た。
そのオーナーこそ10年前ほんの気まぐれで使う機会もまずないくせに自分を獲得した男だった。
独裁者と呼んでも差し支えない。オーナーは常勝となった自分のチームが勝ち続けるのは自分のおかげだと自負している。
このチームに選手を集め、球場を大きくし、施設を建設してファンを集め、全てを作り上げたのは自分。だから監督の采配にも選手起用にも平気で口を出し続けてきた。自分のお気に入りの選手を監督が変えることなど決して許されなかった。
オーナーは監督たちにどちらが雇い主なのか思い知らせるために毎年監督を変え続けることさえした。そして実際その間もチームは毎年優勝し続けた。
レギュラーとしてやりたい気持ちはとてもよく分かる。
それでもチームを出ようとしている判断は間違っていると周囲の人は言った。
絶対にあのオーナーに逆らってはいけない。
他球団でも球界にいられなくなる恐れがある。
何よりこのままおとなしく引退さえすれば彼はまず間違いなく球団内に残れるのだ。
今更出て行って何になる、プレーできるであろう年齢を考えたら全ての不満を飲み込んで残る事が最善の手だった。
それでも彼は出て行こうとした。
彼は焦っていた。
幼い頃からの夢であるプロ野球選手になり、スターにはなれなくても同年代の若者よりはずっと高い給料はもらってきた。
女手一つで自分を育ててくれた母への恩返しもそれなりに出来たはずだと思う。
あれは入団2年目、初めて出場した日本シリーズでのことだ。
初戦から3連勝と追い込みながら2連敗し、相手に勢いが奪い返されそうだった。
彼はその第六戦で決勝打を放った。
それは日本シリーズ初出場で初打席だった。
彼の糸を引くような打球は、スタンドにライナーで飛び込んだ。
彼はその打球を、ずっと今も追い求めている。
正確にいえばその打球の先にあるものを追い求め続けている。
改めて書き記しておこう。
彼の名前は高坂行光。
28歳、職業はプロ野球選手。ポジションはキャッチャー。
独身で年棒は2200万円。
プロ野球選手になるような者は大抵そうであるように彼もまた天才野球少年だった。その輝きはプロになり、1軍でプレーするようになってぐっと薄れて見えたが、それでも彼は今もプロの1軍でプレーし続けている。
常勝球団で長年控え捕手としてプレーしてきた彼がトレードを志願した事はマスコミでもちょっとした話題になった。
彼にも選手としての自分を試してみたいという欲があったのだ、とどちらかといえば好意的な見方をされている。
しかしそんな彼には人に言えない苦悩があった。
彼は幼い頃から自らの母親に心を惹かれていた。
母親の名前は高坂充代。
息子がプロ野球選手となり、それなりに楽な暮らしも選べるはずだが54歳になる今もパートは続けている。
息子を出産する前に夫と別れて以来、独身だった。
女手一つで一人息子を育てあげたが、充代と行光は決してベタベタした親子関係ではなかった。
連絡も時折するくらいで、それもメールだけで済ませてしまうことも多い。
行光が実家を訪れるのはオールスター休みとシーズンオフくらいの間だ。
充代は(世の中のプロスポーツ選手の親が大抵そうであるように)、自分の息子の新聞記事をスクラップしている。その機会は決して多くはないが、息子に関する記事は高校時代から全て彼女が目にしたものは全て切り取られていた。
もちろん息子がプロ野球選手として最も輝いたあの年の日本シリーズの記事もある。
今も充代はスクラップブックを開くと一つ一つの記事に思い出がある。
‥充代の心に思い出されるのは息子にとって初めてだったあの年の日本シリーズのことだ。それは日本シリーズが終わってシーズンオフに帰ってきた息子が言った一言だった。
日本シリーズが終わって帰郷した行光は日本シリーズでの活躍から時折マスコミに出演する機会があったが、それ以外はずっと実家で過ごしていた。
翌年行光はキャンプに出かける時に充代に言ったのだ。
「もしも、俺がレギュラーを獲って、再びヒーローになったら‥」
充代はその後の行光の呟いたような言葉は聞き取れなかった。
しかし、充代は母親として、行光を最もよく知る一人の女として彼の言葉を本能的にも判ってしまっていた。それ以来充代はずっと楽しみだった息子の活躍が少しだけ怖く思えるようになってしまった。
それでも行光が時折試合に出場して、活躍する事自体は母親として喜んでいた。
それから何事もなく7年の歳月が過ぎ、充代も行光の言葉を忘れかけていった‥。
息子の突然のトレード志願は充代に過去の記憶を蘇らせた。
最初はプロ野球選手として、一度は勝負をしてみたいという息子の純粋な思いからだろうかと思おうとした。しかし、充代はその思いが間違っていた事を知った。
行光はしきりにレギュラーを獲りたいと言い続けていた。
それが何を意味しているのか充代は新聞を通して、何度も考え続けていた‥。
行光の願いはオーナーに届き、年が明けてすぐに元チームと違うリーグに移籍する事になった。移籍を知らせる行光からのメールは普段通り素っ気ないものだったが、充代は心の奥の不安を押し殺していた。
行光はキャンプが始まった頃から移籍先チームで最も熱の入った選手だと好意的に取り上げられ続けていた。
その年移籍先は監督が代わりちょうど選手の切り替え時期で、彼は誰よりも精力的に取り組んでいた。
それまでの決して越えられない壁と戦い続けた10年間とは訳が違った。
前年のそのチームの主力捕手は100試合にも出場しておらず、行光は現実的に最もレギュラーに近かった。
そして周囲の予想通り開幕から彼は試合に出続けた。
試合に出場した経験が乏しい者の悲しさで、すぐに全身様々な個所が張りを訴えたが彼はまったくそんな様子を周囲に窺わせなかった。
もはや誰にもレギュラーの座を渡すつもりはなかった。
高坂行光はその年129試合に出場し、打率271、12本塁打、51打点、3盗塁を記録した。キャッチャーとして扇の要として重責をこなしながら、初めて規定打席に到達した者としては上出来だろう。
キャッチャーとしてチームでようやくレギュラーになり、盗塁阻止率はかつての所属チームのライバルを上回る412を記録していた。
そして彼はプロ野球選手になって、初めてオールスターに出場し、ゴールデングラブという個人タイトルまで獲得した。
しかし、それらのことは彼にとってそれほど大きな問題ではなかった。
プロ野球選手として自分の本当の実力を示したことは満足だったが、それはそれだけのことでしかなかった。
彼の唯一にして最大の願いはその先にあった。
行光の所属するチームはリーグ戦で2位となった。
前年のBクラスから一気に2位になった勢いを借りて、そのままプレーオフを制し日本シリーズに駒を進めた。
もちろん対戦相手はかつての所属チーム。
今年でV26となる。
行光はこのシリーズに母充代を招待することにした。
それは特別なことではなかったが、光代も行光も今までと同じ気持ちで迎える訳にはいかなかった。充代は息子から届けられたチケットを震える指で何度も意味なく弄っていた。
行光はこのシリーズに賭けていた。
打席に入ったとき、守備についた時、かつて自分の目の前に立ちはだかった巨大なライバルを意識しないではいられなかった。
ライバルはそんな自分など視界に入らないような態度を取ったため、行光は熱くなるばかりだった。
もっともこのシリーズは行光のチームに勝ち目はほとんどなかった。
かつての所属先はあまりに強すぎ、勝つ事を諦めさせてしまう成績をもう長年続けていた。
それでも球場が満員になり、試合中継は視聴率をとり続ける以上そんな状態に異議を唱える者はないのだったが。
充代はこのシリーズの間ずっとただ行光を見つめていた。
何か自分へのシグナルを送ってくるのではないか?
あるいは自分だけが気づく何らかのサインがあるのではないか?
それともこのシリーズの全試合招待はただの選手として成功したシーズンの締めくくりとしてのプレゼントなのだろうか?
その答えはシリーズ最終戦となった第四戦にあった。
結果的に一方的に敗れてしまう事になるこのシリーズで、充代は最終戦の最終打席の行光の姿を見た。
初球、絶対的守護神の160kmを超える真っすぐにフルスイングした行光は完全に振り遅れていた。
二球目、やはり160kmに達する真っすぐにフルスイングで挑んだ行光は空振りした。
三球目、初めて落ちる球を投げてきたが、食い下がるように行光は何とかバットに当てた。
四球目、再び速球できたが、打球は高く弾むように真後ろに飛んだ。
五球目、再度やってきた落ちる球に合わせて、ファールで逃げた。
充代は胸が高鳴ってくるのを感じた。
おそらくこの打席の結果に胸を高鳴らせているのは充代と行光だけだろう。
既に8点差がついたこの最終戦の9回2アウトのこの場面、誰もがこの後に繰り広げられる胴上げを心待ちにしているだけだ。
それでもこの打席のために限界まで集中力を高めている行光、それを見守る充代。
六球目、決して持ち球の多くない守護神は落ちる球を連投した。行光は待ってましたばかりに振りぬき‥、しかし思っていたより切れ味の鋭いフォークには何とかバットの下部にかすらせるのがやっとだった。
充代は大きく息を吐き出し、呼吸を整えて、自分が今この打席でどんな結果が出ることを望んでいるのか分からなくなってしまった。
本来なら彼女は息子の活躍を望んでいるべきだった。
しかし、誰もが試合結果から興味を無くしているこの局面でそれでも集中力を失わない行光を見て、充代はいつしか息子の活躍を望んでいいのか迷いが生じ始めている。
行光の望んでいる事は何となく分かってしまっていただけに、悩みは生じてしまったのだ。
行光はもう狙いを真っ直ぐに絞っていた。
守護神は行光を簡単に仕留めることが出来ず、手間取っている事実に明らかに苛立っている。
こんな時に来るのは必ず真っすぐだ。
とびっきり早い、真っすぐ‥。
行光は無意識下にアドレナリンを分泌させ、一瞬世界がゆっくりと揺らぐように錯覚したのを自覚した。こんな時に来たのか、と元来冷静な行光は初めて自分にやってきた(領域)に入るチャンスを受け止めていた。
ゆっくりゆっくりモーションを起こした投手の指先から放たれた球の回転まで全て、行光は見通した。
快音を残し引っ張った打球は弾道こそ低く、一瞬サードとショートがボールを追いかけようとした。
本塁打性の打球を外野手が追いかける事はあっても内野手が捕球しようと反応する事は異例だった。
行光の弾道は低く、低く、レフトのフェンスぎりぎりに飛んでいった。
ぎりぎりまで引きつけてそれでも引っ張れる驚異的な集中力の反応が生んだ余裕が、逆効果だったのか打球は際どく低かった。
その瞬間充代まで(領域)に入ったようにゆっくりと飛んでいく打球を見守っていた。
入れ!!!(入れ!!!)
その時二人の想いが一つになった瞬間、打球はいささかも失速せず低い弾道のままむしろ伸びるように飛んでレフトの最前列に飛び込んだ。
球場は異様な打球角度に一瞬静まり返った後、行光の今シーズン成し遂げたサクセスストーリーの締めくくりを祝福するように拍手を始めた。
それから数分後、球場が揺れるような歓声の中、胴上げが行われると観客はさきほどのホームランの弾道の奇妙さなど忘れてしまったかのように27回連続の日本一を祝福した。
充代はかつて少年野球の練習から帰ってきた頃の行光を出迎えるように、息子の帰りを待った。
パートも休みになる日曜日の夕暮れ時、行光の好きなものを並べて、二人だけの夕食を迎えるために、風呂の湯も既に入れてあった。
あの子は父親譲りで強情だった。
何か、自分の力を証明する事が自分の至上命題のように思っていたのだろうか。
野球には阿吽の呼吸というものがある。
それはバッテリーの間だけでなく、たとえば投手と打者の間にも成り立つ。
まっすぐでこい、と打者が願い、当たり前だ、と投手が応える。
野球はそんな心のスポーツだと充代は思っていた。
他のスポーツに比べ、実際にプレーしていない時間が多すぎるのは心の交換が入り込むからだと。無口だった野球好きの充代に育てられた無口だった行光だったがその間にはあまりに多くの言葉がこの日本シリーズで行き交っていた。
もっとも充代と行光がこれから行うのは野球の試合ではない。
ただの野球好きな素っ気ない親子が育んできた心のキャッチボール。
本当の野球に演出など必要ない。
試合そのものが最上の演出となり、紡ぎだされた結末は誰にも分からない。
「一番大事なことは勇気を出して自分を試すことだ」
充代が幼い行光に言い続けてきたことだった。
失敗してもいい、エラーがあるから野球は楽しいんだ。
行光は不器用そうに充代のバスタオルを剥ぎ取る。
充代の熟れきった裸身が晒され息子相手だというのに体を強張らせるように恥じらいを感じている。
女の扱いに慣れていない様子の息子に、充代は溢れ出んばかりの母性であえてやらせてあげていた。
唇を重ねると行光の唇が微かに震えている事に気づいて、充代もまた久々の情事に、親子で交わろうとすることへの畏れに硬くしていた身体と心も和らいでいった。
おそるおそる行光から投げられる球を懐かしい感触を思い出すように充代が受け止める。
よちよち歩きの行光と29歳の行光が不思議と重なってくる。
二人は生まれたままの姿になり、互いの体の感触を確かめあう。
硬く逞しい行光、柔らかく暖かい充代。
そこには体型も年齢も何も関係はない。
流れる血が同じだというだけでこの身体が高鳴ってくる。
どんなに言いつくろってもこれから親子でしようとするべきじゃない。
それでも二人はどんどん突き進んでいく。
してはいけない場所でキャッチボールをしてしまう子供のように、ただキャッチボールをしたいから、と。
上手くなくていい、全力でやることだけだ。
深く深く一定のリズムで、母の胎内に叩き込まれる。
気取らない二人らしく真夜中のリビングで始まったそれはその音だけが響き渡っていた。
徐々に熱を帯び出したその音はリビング一帯に蒸気を帯び始め、甘い声さえ漏れ始めていた。
現役のプロ野球選手である行光がその鍛えられた体を躍動すると、豊満に熟しきった充代の体が汗を滴らせて紅く火照っている。
トロフィーも飾っていないリビングの部屋には庭の常夜灯の光がかすかに入ってくるだけでほとんど暗闇に近い。
やがて行光は激しさを増して充代に挑み続けていると阿吽の呼吸で限界が近い事を悟った母は息子を受け入れようと本能で子宮口を開いた。
そのぽっかりと開いた母の的めがけて行光は力強く流し込んだ。
それからも充代が行光に離されなかった。それは延々と続くように互いのタフさを試すようにひたすら長く長く、幾度も幾度も母体を息子を求めあっていった。
やがて二人は初めてのお互いの健闘を称え合うようにソファに倒れこんだ。行光は改めて自分が真に望んでいた女を手に入れた喜びをかみしめていた。
優勝より、あらゆるタイトルより、称讃より、歓声より欲しい人生の願いそのものが充代だった。
充代はようやく自分に届くストライクが投げられるようになった息子を少しの寂しさを感じながら、体内から息子のを惜しむように指ですくった。
これからの事なんて何も二人は考えていなかった。
こんな関係になって親子の未来が閉ざされたものになるかもしれないことも、いつからこんな事を望んでいたのかも、何も言わなかった。
こうなるまで充代が不安と恐怖のあまりここ数日体調を崩していた事も、シリーズで自身が結果を出せない事に行光がいらって胃潰瘍になっていたことも何も言わなかった。
様々な思いと過程の葛藤を全ては熱い真っ白なグラウンドが溶かしてしまうように、漆黒のリビングは二人の迷いも苦しみもひとときは全て吸いこんでしまっていた。
29歳にしてようやく本懐を遂げた行光には何の迷いもない。
自分を産み、育ててくれた母親が俺にはいる。
子どものころから夢見てきたプロ野球選手にはなったものの、今年になってチームを代わるまで大した活躍は出来てこなかった。
今年母さんは54歳になり、少しだけ老いが始まってきたと思う。
それを俺は愛しいと思う。
はっきりいって抱きたい、と心から願ってきた。
それはずっとずっと昔、小学校最後のリトルリーグの大会で負けた日、一緒に風呂に入ってくれたあの夜からだ。
俺は母さんと一緒に風呂に入るなんてベタベタしすぎで恥ずかしいと思い、その2年も前に止めていたんだ。
それなのに母さんはあの小学校最後だからと試合を見に来てくれて、あの夜俺を慰めてくれるために一緒に入ろうと言ってくれたんだ。
多分、きっと俺はこの先何年生きたとしても俺の苦しみを、悲しみを、俺を、分かってくれる母さん以上の女性はいないんだろうとその時思ったよ。
それから俺の野球をやる最大の理由は母さんになった。
高校を出てすぐプロになりたかったのも、母さんのためだった。
そしてアイツを追い越して、レギュラーになろうとガムシャラにやったのもだよ。
どうしようもない力の差があったけどさ。
今夜俺はプロになって日本シリーズで二本目のホームランを打ったよ。
もう二度と打てないようなすごい当たりだったんだ。知ってるだろ?
それもこれも全部全部、それも母さんのためだ。
それでも俺は今夜家に帰るのが怖かったよ。
今までのどんな試合より、どんなピッチャーと対戦するよりずっとずっと怖かったんだよ。
全力でやったらどんな結果に終わっても悔いはない。
そうはいうけど、やっぱり良く結果が出ないと辛いもんだよ。
母親をモノにしたいなんていう願いは、成就しないんだとしたらそりゃあ辛いもんだよ。
今までの頑張りも今年の活躍も何もかも吹っ飛んでしまうんだからさ。
やっとプロになって何年もプロでやってきて、そんなのってあんまりじゃないか。
昨夜の息子の言葉がおかしく感じてしまう。
無口な息子があれだけ饒舌だったのはやはり親子でこんな関係になってしまったことに言い訳が欲しかったのだろうか。
翌朝には充代はスッキリと7時には目を覚ましていた。
充代は一番聞いてみたかったことを寝る前に行光に聞いた。
「もしもあのホームランが入らなかったらどうなったと思う?」
「いや、入ったよ」
「どうしてそう言えるの?」
「ベストを尽くすことがベストの結果に繋がるんだろ。俺はあん時バットを振り切ったからね」
自信満々の行光の言葉。
でもそれはそうじゃなくって。
あれがスタンドまで届いたのは私もそれを願ってあげたからだよ、と言ってやりたかった。
野球は心のスポーツだってあんなに言って聞かせたのに。まったく‥。
それを思うと充代は可笑しくてつい微笑んでしまう。
まだまだ子供だな、とも思う。
もっともその理屈は行光には訳が分からないだろうから黙っておいた。
今朝はもう少し息子は寝かせておいてあげよう。
近代的トレーニングの常識からしたら完全に休むより少しずつでも身体を動かした方が良いのだろうか。
それでも今日は練習も休み、と充代は強制させるつもりだった。
息子とセックスをしてしまった自分の将来はどうなるのだろう。
母親とセックスをしてしまった行光の将来を思うとなお胸が押しつぶされそうになる。
人生は野球のようにとても気楽にはいかない。
野球は失敗しても良いが、人生はそうはいかない。
昨夜の自分たちがしたことの報いは黒いシミのように、やがて広がって私たちに取り返しのつかない事態になる可能性もある。
一本のホームランが試合を決めるように、自分たちのエラーは自分たちの人生も決めてしまったのだろうか。
充代は行光の子供を齢54歳にして宿した。
間違いなく、あの夜に受け入れた息子の精と結びついて生まれた生命だった。
そう確信出来るほどあの夜の情事は熱く、行光の精液に絡みとられるような錯覚を覚えるほど大量に精を受け止めた。
充代は短いメールでそれを行光に事実だけ伝えた。
行光は前年に続いてバリバリのレギュラーだった。
そしていかにも行光らしく、短いメールが返ってきた。
季節は巡り8月。
大きな腹を抱えた充代はふぅふぅ言いながら、自宅のドアを開けた。
冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出して一口飲むと、テレビをつけた。
画面には灼熱の甲子園が映し出され、少年たちが懸命に闘っていた。
三塁手の選手が目の前に転がってきた打球をはじいてしまい、慌てて送球しようとして暴投してしまう。
充代は腹をさすりながら、腹の中の息子にも野球の魅力を伝えようと話しかける。
辛いでしょう。でも、ほら、野球はエラーがあるから楽しいんだよ、と。
今夜は行光がデーゲームだから早くに帰ってくる。
さすがに実母の懐妊を知ってはシーズンオフしか帰らないというわけにはいかない。
冷静な行光らしくもなく、彼は自身初めての子供を心配していた。
充代は二度目の妊娠だから、とまだ気丈に構えている。
そんな充代のようにはいかない息子の行光は心配がひどく増している。
行光は若いのに少し額が広がってしまったように見えた。
それが充代には可笑しくてたまらない。
人生には色々深い悩みがある。
この子を産んで、どう育てていくのか頭ではわかっても現実はどうなっていくのかわからない。
行光がスターになりつつあり、お金の心配がなくなった今だからこそ、親子で子を為し夫婦となることへの不安が湧いてくる。
そう、二人は親子で夫婦めおとになるのだ。
既に行光の住所に充代が移り住んでいる。
充代は妊娠が周囲に発覚する前にパートを退職し、息子のマンションへ引っ越した。
行光の移籍先である、北の大地札幌だった。
試合を終えて帰宅した行光とはさして言葉も交わさない。
ただ夜の営みは臨月を迎えたため、充代が大きな腹を刺激しないように行光を納める。
引っ越してきた直後は毎晩のように行光に求められ、膨らみだした腹を震わせて充代も応えたものだった。
無口で、心から分かりあえた親子である二人だからこそ夜の営みは頻繁で、濃密で‥。
充代は行光に抱かれるようになって初めて泣いて喜ぶという言葉の本当の意味を知った。
プロ野球選手である行光ほどではないにしろ、少しは鍛えていた充代だったが、プロ野球選手として絶頂期に向かっている彼のパートナーを務めるのは少し骨が折れそうだと微笑ましく感じていた。
親子夫婦になったとしても行光はやはり息子で、充代は母親であり続けるしかない。
行光は純粋な男にはなれないし光代も純粋な女にはなりきれないだろう。
迷いもあって当然だし、悩みも、不安も尽きなくて当たり前だった。
だから充代の心には近親相姦の傷跡が残るし、行光も少し頭が寂しくはなる。
それでもなるようにしかならないものなのだ。
たとえ親子であっても夫婦を営んでいけるかなど判るはずもない。
つけっぱなしのテレビでは今日の甲子園の熱戦の模様が何度もリプレーされている。
あのエラーをした三塁手がそれから後で試合を決める決勝打を放っている映像だ。
息子のを口にしながら、横目でテレビを見ていた充代はそれもまた、野球で、人生なんだと思った。
完
キャッチャー 禁母夢 @kinbomu
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