第4話 満たされて、得られるもの
リンは深皿に注がれたペーストを凝視していた。
全体的に濁った茶色で、穀物の粒の主張が激しい。
「なに……これ……」
「煮ろと言われたから、煮た」
作った本人であるリーフは全く動じることなく、自分の分に口をつけた。
それをリンは少し引きつった顔で見ていた。
リーフの処遇を決めた後、お腹が減ったリンは夕食を用意しようとした。しかし、
そこで、リーフに材料を渡し、ガス式
挽き割りの麦と乾燥させた豆と野菜を水に浸して、あとは少し煮込めば完成する――簡素な農民風の
失敗のしようがないとリンは思っていたが、目の前に出されたものは想像をはるかに超えるグロテスクなものだった。
作れと言った手前、食べないわけにはいかないが、これを口に運んでよいものかとリンは
見た目が大変よろしくない麦粥をすする、大変見目のよい顔が苦しんだり吐き出したりしないのを見てから、リンも覚悟を決めて一口食べた。
食べた瞬間にむせた。
「塩がっ、入ってないっ!」
食卓に拳を振り下ろした。
「なにこれ嫌がらせ? こんなまっずいもの食わせてさぁ!」
「まずい?」
リーフはきょとんとした顔で復唱した。
「まずいわよ! 塩入ってないし、焦げてるし、そのくせ生煮えだし!」
抑えきれない怒りを食卓にがんがんとぶつけながら、リンは怒鳴った。
麦粥は塩が入っていないせいで水よりも空虚な味わいだった。そのうえ火加減が強すぎたせいか苦い焦げが混ざり、一方で煮え切っていない硬い麦や豆の粒が奥歯に挟まった。
野菜も切り方が雑で、大きさが不揃いかつ煮え方もまちまち、青臭さを加えるために入れたとしか思えない有様だった。
「残飯以下ねっ、飯ですらないしっ!」
リンが匙をリーフに投げつけた。避けたリーフの頭をかすめて匙はとび、壁に当たってはね返った。
リーフの服に茶色の染みがとんだ。
「責任持って食べて! ほら!」
リーフの目の前に深皿が突きつけられた。
「……」
リーフは黙ってリンの皿を受け取り、ほぼ手のついていない麦粥を自分の皿に移した。
何も言わず、顔色も変えず、酷い色の粥を口に運んだ。
リーフは静かに自分の不始末を片付けていた。
反応から、故意にやったことではないとリンも察した。頭に上った血も幾分か落ち着いて、リンは不貞腐れた顔でリーフの食事を見ていた。
「……料理できないなら言いなさいよ」
「聞かれなかったから」
子供の屁理屈のようなことをぽつんとリーフがこぼした。
リンは深くため息をついた。
「あー、もうっ」
リンは椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
壁に掛けられたエプロンを手に取り、棚からまだ使っていない調理器具を一式取り出した。
水の入った鍋を火にかけ、麦を煮る間に野菜の皮をナイフで剥いた。頃合いを見て野菜も鍋に投入、煮え具合を見ながら火加減を細かく調節した。
調理に要した時間は、リーフとさほど変わらなかった。
「はい」
リーフの目の前に、湯気のあがる皿が置かれた。
とろみのついた香ばしい色の粒がこんもりと盛られていた。粒の他にも細かく刻んだ根菜が混ぜ込まれ、上には乾燥させた香草がのっている。
リーフが作ったものと同じ材料でできているとは思えないほどだった。
「これが普通の麦粥。食べてみなさいよ」
促されるまま、リーフはひとすくいして口に運んだ。
「……」
粥を口に含んだ体勢でリーフは固まった。
少し間を置いてから、ゆっくりと嚥下した。
「どう?」
珍妙な反応にリンは少し腰が引けたが、それでも自信を持って感想を要求した。
リーフは口の中の残り香をしばらく転がしてから、ようやく口を開いた。
「苦くない、痛くない、臭くない。喉にすっと入って、温かい」
食べ物の味の感想としてはあまり聞かない言葉の羅列に、リンは少し眉根を寄せた。
謎かけのような言葉の真意を、頭の中で咀嚼して紐解いた。
「何それ。要は美味しいってことでしょ、回りくどい」
「これが、美味しい……」
リーフはあたたかい皿に両手を添えた。宝石の瞳に映るにはあまりに素朴な料理をじっと見つめていた。
もう一度匙を手に取り、リーフはまた麦粥を食べ始めた。無言で食べる表情は仮面のように動かなかったが、皿の中身は先ほどよりも速く減っていった。
リンはしばらくその様子を観察していた。自然と、引き結んでいた口元が綻んできた。
「感激しちゃった? ふふん、やんごとない身の上でも自分のことくらい一通りできてとーぜんなんだから」
自慢げに言って、リンも自分の皿を食べ始めた。
その味はいつもと何ら変わらず、特別なものなど何一つなかった。
しかし、何故か独りで食べるよりも美味しく感じた。
「明日からは、しっかり働いてもらうんだから!」
◆ ◆ ◆
屋敷の居間でリンはソファに腰掛けていた。
側には中年の男性が立ち、サイドテーブルに薬箱の中身を広げていた。
男性は代々メーラン家に仕える使用人の血筋だった。当主――つまりリンの叔母からの信用も厚く、猟区の管理を任されていた。無論、リンと同じくヒメヤツハオオカミから一目置かれていた。
「全く、なんてものを拾ってきたんですか」
まだ腫れが残っていたリンの顔に湿布を貼りながら使用人が言った。
翌朝、屋敷に通う使用人はリンの顔を見た途端に昨日何があったのかすぐさま問いただした。リンも変に隠し立てせず――さすがにリーフに殺される寸前であったことは濁し、駆けつけたモンスターに戦意を失ったことにして――ことの経緯を説明し、馬小屋に軟禁されていたリーフの様子も確認した。
リーフは毛布にくるまって、古い
「拾ったんじゃなくて、向こうからやってきたんだけど」
「それならなおさら、拾わなくてよろしい」
使用人の辛辣な言葉に、リンは唇を尖らせた。
立場はリンの方が上とはいえ、猟区の本来の管理者に強く出ることはできなかった。なにしろ、ヒメヤツハオオカミとの付き合い方をリンに教えた師匠の一人でもあるのだ。
「一体なんなんですか、あのやたら毛並みのいい野良犬は」
「うん、めちゃくちゃ綺麗だと思わない?」
「お嬢様」
「綺麗なのは事実でしょ」
リンの声は少し浮かれていた。
使用人はため息をついた。
「しかし、本当に憲兵に引き渡さないんですね?」
「だって、なんかそれを狙ってるっぽいし。引き渡した後でやらかされたら面倒臭いじゃん。てゆーか、あれは絶対やらかす。それなら、牙のかかる場所で止めといた方がいいでしょ」
ここなら絶対に逃げられないし、とリンはうきうきしたまま付け加えた。
「そんな、獣を捕まえるような調子で……まあ、あれが人間なのかというには疑念がありますが……」
「ん? 何か知ってるの、ラトラン?」
顔を曇らせた使用人にリンがたずねた。
「隣国について、お嬢様はどれくらいご存じですか」
「東の方にはあんまり興味ないんだよねー」
「でしょうね……」
使用人の声は若干呆れていた。
淑女らしい趣味より社交界より銃と狩猟を愛するお嬢様にとって、興味の対象は常に未開の西の果てだった。
一応軍に籍を置いてはいるが、他の三方を囲む諸国についての認識はモンスターがほぼいない土地であること程度だ。
「東のギリスアン教国では、天使を崇めているそうです」
「天使?」
「詳しいことは私も存じませんが、天使の血を引く人間は銀色の髪をしているとか」
「ふーーーーん、へーー」
リンは湿布の貼られた頬を撫でながら、生返事をした。
リーフの髪は黒髪が混ざっていたが、大部分はまばゆい銀髪だった。
「お嬢様」
あまりにも興味のない態度を使用人は
「だとしても、それって私に関係ある? そもそも
隣国ではあるが、ギリスアン教国とリドバルド王国は互いの国教を締め出して不干渉を貫いていた。
それが過去のいかなる因縁によるものかリンは知らなかったし、気にしたこともなかった。
「しかし、天使を
使用人はリンの行いに必死で食い下がった。
勝手に家の名前を出すことは褒められた行動ではなかったが、リンを思いとどまらせる最後の手段として使うしかなかった。
「えー、違うよ。ラトランも言ってたじゃない、『野良犬』って」
リンは手をひらひらとさせながら冗談めかして言った。
「だって、天使って微笑んで人を祝福して、死地に追いやるものでしょ。絶対に
さらりとリンは毒を吐いた。
「天使があんなに綺麗で強いわけないじゃない」
リンの目はお気に入りの
「まさかとは思いますが……お嬢様、あれをお相手に選ぼうなんて考えていないでしょうね」
「ふぇっ!!」
「やっぱり考えていましたかっ!」
怒鳴り声にリンは反射的に首をすくめた。
「いやいやいや……だって、まぁー、条件は満たしているしぃー?」
リンが結婚相手に求める条件はただ一つ、猟区を一人で歩ける度胸があること。リーフは図らずもそれを満たしていた。しかも、リンの力を借りることなく屋敷にたどり着くことができたのだ。
「前提が駄目に決まっているでしょう!」
至極まっとうな意見に反論もできず、リンはさらに小さくなった。
「前の候補者も農民でしたし、常識外れにもほどがあります!」
「いっ……なんで知ってるの!?」
リンは今度こそ目を
「メーラン家の者は誰でも知っていますよ。この国でご当主様に隠し立ては不可能です」
「親にもまだ話してなかったのに……」
「もし亡くなられていなければ、もっと騒ぎになっていましたとも」
「さすがに、死人とはいえ勇敢な人の悪口は私でも気分悪くなるよ」
リンは使用人を軽く睨んだ。
「あの人は、ただ農民の生まれってだけで、そこら辺の凡庸な男よりもずっと度胸があったんだから。それで死んだのはバカだけど、バカにしていいのはそれだけだから」
少女の言葉には
「国の軍需産業を一手に引き受ける家のご令嬢と、田舎の平民がどうやったって釣り合うわけがないでしょう」
耳の痛い常識的な説教が繰り返された。
「全く、節操なしにもほどがあります。うちの娘だったら怒鳴りつけるところでしたよ!」
「もう声でっかいんですけど」
耳を押さえてリンは文句を言った。
「分かってる、分かってるわよ……無理なことくらい」
「おわかりいただけまして、恐縮でございます」
ようやく折れたリンに、使用人は慇懃無礼に返した。
むくれたリンの顔の手当を終えて、使用人は薬箱を片付けるために部屋を後にした。
一人、部屋の中に少女が取り残された。
元気過ぎて、周りを困らせてしまう少女が一人でソファに座っていた。
「でも、ちょっとくらい夢見たっていいじゃない」
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