生徒⇄先生

「はあ……どうしたものか……」


 自分の席で僕は両肘をつきながら大きくため息を漏らした。職員室は閑散としており、聞こえてくるのはキーボードや書類をめくる音くらい。外を見ると日はすっかりと沈んでおり、空は暗闇に包み込まれていた。


 初めてクラスを受け持ってから三ヶ月。未だ馴染めず、余裕のない多忙な日々を繰り返していた。加えて、今日は生徒間でのトラブルが発生した。


 クラスのやんちゃ者の川瀬くんが山田さんにちょっかいをかけて、彼女に怪我をさせてしまったのだ。川瀬くんを叱ったが、彼の様子を見る限り、反省は見られなかった。


 長年の夢だった先生になれ、自分の尊敬する人に近づけるように頑張ろうと精進した。だが、これでは到底なれそうもない。

 ああいう子に対してはどのように指導するべきなのだろうか。


「なかなか苦労しているようだね」


 背中から聞こえてくる男性の声に惹かれ、後ろを振り向いた。


「早川先生っ! お疲れ様です!」


 素早く立ち上がろうと椅子を引くと踵を椅子の脚に強打する。痛みに耐えきれず、僕は足を抑えた。それでも顔だけは彼に向けた。


 早川先生は驚きを見せるも、すぐに笑顔になる。白髪と顔のシワから時の流れを感じる。だが、黒縁のメガネは相変わらず変わらない。彼こそが僕の尊敬する人であり、先生を目指すきっかけとなった人物だ。


「この後どこか飲みに行かないかい?」

「ぜひっ!」


 先生の誘いを無碍にできない。すぐに帰りの支度をする。先生は「急がなくて良いよ」と言うが、尊敬する人と飲みに行けるのだ。急がないわけがない。支度を終え、二人で近くの居酒屋へと足を運んだ。互いにビールを注文する。すぐにテーブルへと運ばれ、ジョッキを手に乾杯を行った。僕はビールを一気に飲み干す。疲労状態で飲むビールは格段に美味しかった。


「先生というのは大変だろう?」


 早川先生は僕がビールを飲むのを待ち構えていたのか、机にジョッキを置いたところで話し始めた。


「はい。今の経験を経て、改めて早川先生はすごいと思いました」

「はっはっは。ありがとう。でも、私だって君と同じくとても苦労していたんだよ。君の担任をしていた時もね」

「先生も……ですか。僕には全くそうは見えませんでしたが」

「君は真剣に学業に取り組み、成績も優秀で手を焼かなかったからね。でも、やんちゃな生徒相手には手が焼けたよ」

「そう言った生徒に対してはどのようにすればよろしいのでしょうか?」


 僕は先ほど自分の抱えていた悩みを先生へとぶつけた。先生は考える素振りを見せ、ビールを少し口にする。


「難しい話だね。一つ言えることとしては、生徒の意見を尊重してあげることだ。どんな生徒も意味なく行動はしない。必ず理由がある。それを真剣に聴いてあげることだ。決して君の意見を押し付けてはいけない。指導というのは『生徒を引っ張る』のではなく、『生徒に歩かせる』ことなのだ」


 先生の言葉が心に染み渡るのを感じた。

 僕は生徒に対して一方的に叱り、指導しようとしていた。だが、それは間違っており、生徒の意見を参考に別の道を掲示してあげることが本来の先生としての役割なのか。


 先生と話す時間は、生徒だった頃の僕と先生とのやりとりを思い出させてくれた。


「君は純粋で真面目だ。だから生徒に対しても、その姿勢を忘れてはいけないよ。彼らから学べることもたくさんある。学校というのは学び舎だ。生徒であろうが、先生であろうが関係ない。みんなが学ぶ場所なのだ」

「みんなが学ぶ場所……僕もまだまだ学びが足りていないようですね」


 大人になって学びは終わりではない。生徒に教えることもあれば、生徒から教わることもある。だからこそ、彼らの意見をきちんと聴いてあげなければならない。学校は生徒だけでなく、誰もが学ぶ場所であるのだ。


 先生と話すとあっという間に時間は経ち、気づけば閉店の時間になっていた。会計を終え、外へ出ると、星が綺麗に輝いていた。


「今日はありがとうございました。先生のおかげでまた明日も頑張れる気がします」

「互いに精進して良い学校にして行こう」


 僕たちは互いに手を取り合った。最後に握ったのは卒業式の日だった。もうつなぐことがないと思っていた憧れの手を再びつなぐことができた。


 いつか自分もこうして大人になった生徒と手を取り合う日がくるのだろうか。そうなりたいと願いながら学校で日々を過ごした。

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