第3話

 人を好きになる感覚は、正直なところよくわかっていない。


 ただ、あえて恋人に好きという感覚を伝えるならば、僕はこう言った。


 一緒に居て心地良くて安心する。話してて楽しい。ふと、可愛いと思う瞬間がある。なにより、他の誰かとではなくて、僕の隣に居て欲しい。

 

 友達や家族に抱くものとは別の感覚。このなんとなく感じてる気持ちが好きという意味なのか、僕にはわからない。けれど少なくとも、離れ離れになってからはそういう感情が芽生えなくなった気がした。

 

 

 数年振りに連絡はしたけれど、ブロックされてるかもとは思った。昔の恋人を後に引かないために連絡先は消しておくもの。よく聞く話だ。

 

 彼女と別れてから何か月かは連絡が続いていた記憶がある。引っ越すと言っていたので、その後の報告などをしていた。

 

 一度時間の止まったトークルームに新しく日付が加えられた。再び更新される。『お変わりないですか』そのメッセージだけが熱を帯びて浮いている。


 返事は夜中だった。部屋は冷え込んでいた。


『久しぶり。急になしたの?』


 正直驚いたといっても嘘ではない。

 ブロックはされていなかった。そこにまず安堵した。でも、連絡はしたはいいけど、この後はどうしたらいいんだろう。

 

 次の恋に進んでもいいか、なんて迷惑なメッセージを送るのか。それとも、まだあなたのことが好きかどうか確認したい、とでも言えばいいのか。まったく自分勝手すぎる話だ。

 

 10分程置いて、僕はとりあえず返信をした。


『そっちでは上手くいってるのかなって。夢、叶いそうなのかなと』

 

 5分程経って返事があった。


『いい感じだよー! 大学たのしいし!』


 また数分して、僕はメッセージを送った。


『順調そうでよかった』


 さらにまた数分あって、


『うん、そっちはどう?』


 また同じように数分待って、


『こっちもいい感じだよ。程よく楽しい』


 しばらく間が空いてからまた返事があった。


『そっか。それならよかったよ』


 なんて返そう。

 まだ会話はしていたいけれど、切り返す言葉がない。渾身のギャグだって持ってない。

 

 なにより、僕はこの期に及んで悩んでいた。やっぱりなかったことにして、この人のことなんて忘れてしまって三ツ谷さんと出掛けてしまおうか。

 

 そう思ってトークアプリを閉じようとしたところ、ふと、上田から来ていたメッセージが目に映った。


『後悔しないようにしろ! ぜったい!』


 ああ、きっとこの機会を逃したら、もう2度と踏ん切りはつかないだろうな。もやもやが残ってしまう。これじゃあ三ツ谷さんにも申し訳ない。


「よし」

 

 再び覚悟を持って僕はメッセージを送信した。


『ごめん。電話してもいいですか』

『うん』


 既読は早かった。

 付き合っていた頃、通話ボタンを押すことに躊躇いはなかった。


 もう自分が悪い。腹を括って電話をかける。そうすれば、すぐに出てくれた。


「……もしもし」

「あーもしもし? 聞こえてるー?」


 はつらつとした明るい声が部屋に響いた。


「うん、十分聞こえてるよ」

「よかったー。というか久々だね」


 どんなふうに話してたっけ。そんなことを考える間もなく畳みかけられる。


「うん、久しぶり。急に連絡したのにごめんね。しかも夜遅いし」

「いいよ全然。一人暮らしだからこの時間まで喋ってても平気だし、あたしも寝れなかったからちょうどよかった!」


 そういえば、2年以上前に聴いた声よりはずっとはきはきしている気がする。あのときは親に聞かれないように布団の中でこそこそと声を潜めて話してたっけ。


 なにから切り出そうか。そう悩んでいたところ、


「え、じゃああたしから話しちゃおっかな」

 

 彼女がそう言った。

 今日あった友達とのくだらない出来事を話し始めた。なかなか待ち合わせ場所に来ないとか、夜に行った居酒屋で出たご飯がおいしかったとか。撮った写真を見せてくれながら長いこと喋ってくれた。 

 

「いやあまだまだ話し足りないけど、そろそろ優平くんの準備も整ったようなので聞かせてもらおうかね」

「ごめん、ありがとう」

「いいのよ。好きなだけ話してくれたまえ!」


 こんなとき、わざとらしくふざけた言い回しをするのは昔から変わらないみたいだ。

 

 自分から話しかけたのに、もう恋人同士ではないのに、迷惑かけてばかりだ。―――そもそも、恋人同士だからって迷惑かけてもいいのか、よくわかっていない。

 「あ」とか「いや」なんて情けない言葉から僕は始めた。


「好きって気持ちがよくわからないんだ」

「ふーん。告白でもされた?」

「え、いや……うん、ちょっと違うし思い上がりかもしれないけど」


 一転して、声色は鋭い。


「優平くんはさ、まだあたしのこと好きなの?」

「……どうだろう。もう2年も話してなくて正直なんとも言えない」

「そっか」


 ぽつりと呟いた。


「お互いのために別れたんだもんね。あたしが夢のために上京することになったから」


 そのときはまだ熱は残っていたけれど、遠距離で続けるのは難しいと思って別れることになった。


「正直さ、今になって連絡してくるのはずるいよ」

「それはごめん」

「もっと本音を言うと、過去の女に甘えてくるところはきもい」


 それを謝って肯定するのも良くないんだと思う。


「でも、きっと優平くんは優しい人だから、今の人と向き合うためにあたしに連絡してきたんでしょ。きちんと折り合いつけてその人に返事をしたいんだ」


 通話中なので、「うん」と相槌をした。

 

「あたしはね、たぶんまだ優平くんのこと好きだよ。今日話してみて改めて思った。

 優平くんの声とか丁寧な言葉遣いとか、相槌を打ってくれるところとか、挙げたらキリがないけど、優しい人だなあ好きだなあって思った」


 好きか。


「恋愛ってさ、積み立てていくものだと思うんだよね」

「……もう少し説明してもらってもいい?」

「うん。えっと、相手の人のことを見ていいなって思ったところを積み上げていくの。今はちょうど冬だし、雪でも積んでいこうかな。

 雪をね、何度も何度も集めては乗せてを繰り返すの。でも次第にさ、もう無理だあって限界までくるわけ。好きって感情が溜まりに溜まって告白したいってなるみたいなさ。

 優平くんならわかるでしょ?」


 僕は彼女に告白をしたことがある。

 高校2年生で同じクラスになって春、なんとなく気になっていたら授業かなにかで一緒の作業をすることになって、それから少しずつ僕は彼女に惹かれていった。

 

 行事に真剣になる姿。明るい子、暗い子にも分け隔てなく接することが出来て、その人に調子を合わせられる優しさもあった。なにより、向かい合って見たときの彼女の表情が可愛かった。

 

 それらが積み重なって、僕はクリスマスに彼女に告白をしたんだと思う。


「でもね、どれだけ積み上げたってその雪は時間とともに溶けていく。恋人たちが熱々すぎたり、環境が変わったり、次第になんでこの人のことを好きになったんだっけって思うんだ」


 改めて、彼女は問いかけてきた。


「優平くんはあたしのことどう思った?」


 どう思った、か。


「あ、ごめん。喋りすぎた。優平くんどうぞ」


 こっちの事情なんて知らないはずなのに、ここまで真剣に語ってくれた彼女にはなんて言えばいいんだろう。

 

 きっと、誠心誠意話すしかないんだろうな。


「いや、ありがとう。おかげで気持ちはまとまった」

「うん。じゃあ、聞かせて」

 

 好きです、付き合ってください。僕は確か何度も悩んだ結果、そんな実直な言葉を選んだ。


 ごめん、別れよう。東京でやりたいことがあるから。

 

 僕はそう言われて、しばらく泣くほど立ち直れなかった。定期的に連絡取りあって、遠距離でも続ければいいじゃない。年に一度でもいいから会えればそれでいい。僕にはやりたいことなんかないし、あなたがそっちで仕事をするなら、僕もついていくよ。

 

 遠距離の難しさ、将来のこと、彼女なりに考えて出した結果だったんだと思う。もしかしたら、僕があのときそれでもと否定していれば、また違った未来もあったのかもしれない。

 

 ただきっと、僕が言っていい台詞ではないと思うけれど、恋には寿命があるんだ。


 僕は気持ちを告げた。


「今までありがとう。あなたと出会えてよかった。大好きでした」

「こちらこそありがとうございました」


 東京もよく冷えるのかもしれない。

 やや間があってから、彼女は言った。


「最後にわがまま言ってもいいかな」

「うん」


 静かに答えると、


「名前だけ呼んでもらいたい」

 

 詰まった声で言ったので、僕は謝ることもせずに最後だけでも真っ当することにした。

 

「じゃあ、おやすみなさい―――」


 やっぱり、連絡なんてしちゃいけなかったんだ。

 明日は今日よりも温かくなるとか、そんな予報が出ていた。


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