積雪の恋
貧乏神の右手
第1話
「お前、そろそろ彼女作らんの?」
大学への道すがら、唐突だった。
「なんで?」
「いやなんでってそりゃあ、クリスマスが近いからだろ。すっとぼけるな」
世間は浮つき始めていた。
12月も中旬となり、年の暮れを意識させる頃。寒さに拍車がかかり、冬の北海道はいっそう雪を積もらせていた。
「すっとぼけてはないんだけどな」
恋人や大切な人と過ごす人も少なくない。思い切って異性を誘ってみたり、気持ちを伝えてみたり、色恋の取っ掛かりを作る日ともなっている。
そう言って上田がいつもの調子で小突いてきた。僕だって忘れていたわけじゃない。
「別に好きな人もいないし。恋人がいたら嬉しいけど積極的に欲しいとは思わないよ」
「あーあ、モテる奴の言うことはすげえや。余裕があるもんな。俺なんか滅多に相手にされねえし、お前が羨ましいわ」
くそが、と吐き捨てるように雪を蹴る。上田はよく女の人と一緒にいるけれど、付き合いが長く続いたことはあまりないらしい。
「てかお前いま好きな人いないっつった?」
「え、うん。いない……けど」
ふと頭を過ぎったものは振り払い、それがどうかしたのか聞き返すと、上田は呆れたように息を吐き、僕の肩にそっと手を置いた。
「三ツ谷ちゃんはどうしたんだよ。結構仲良かったろ」
三ツ谷さん、ゼミが一緒なくらいでこれといって特別仲良しってわけではないと思ってるけど。
「ん、たまにお昼が一緒になることくらいだよ」
「ふーん」
言われてみれば、二人きりではないけれどゼミ以外でも居合わせることが多々あった。同じ学科ということで受ける講義があまり変わらないのもある。上田は気に食わないようだが。
そうこうしてる間にキャンパス内に入った。積もりたての雪を踏みしめる。かなり寒い。
「お、噂をすれば」
やや離れたところ、入り口の側に三ツ谷さんとその友達がいた。相変わらず佇まいが大人びていて、良い意味で歳不相応だ。
「じゃあ俺はもう行くから。また後でな」
「あーうん。また後で」
まったく自分勝手というか、上田は颯爽と風のように去っていった。
やや早足になって追い付き、平静を装っていつもの調子で一声かけた。さっき上田に茶化されたので、声を掛けるだけなのに不思議と普段より緊張する。
「おはよう、三ツ谷さん」
目が合うと、一度止まって深々とお辞儀をする。その所作はいかに丁寧なものか。つい僕も倣ってお辞儀をするようになったものだ。
「おはようございます。今日はよく冷えましたね」
「あ、マフラー。もう出したんだ?」
マフラーというよりはスヌード。手編みのような質感で、髪型がふわりとしているためか上品に映った。ベージュ色がよく似合っている。
「そうなんです。高校生の頃に使っていたものが古くなってきたので、新調してみました。どうでしょうか」
正直、可愛い。けれど、そんなことを堂々と言える性格じゃない。きっと上田なら言ってしまうだろうな。
「うん、凄く似合ってる。素敵だと思うよ」
そんな当たり障りのない感想になってしまう。本当にごめん。
しかしながら、三ツ谷さんの反応は良いものだった。
「嬉しいな。ありがとう」
珍しく頬を緩ませている。こんな月並みな言葉で喜んでもらえるなら安いものだ。
構内は暖房が点いてかなり暖かかったけれど、三ツ谷さんがマフラーを脱ぐことはなかった。講堂の席につけば名残惜しそうに外していた。
その行動一つ一つにどこか緊張を含んでいるような気がしたのは、僕の思い過ごしだろうか。
「友達のところには行かなくてもいいの。もう講義始まるし行くなら今のうちだと思うけど」
「うん、構いません。あの子も別の方と受けると言っていましたので」
「あーそう?」
ならいいか。と思ってその友達の座る前方の席に目を向ければ、その隣に居たのは上田だった。あいつ、どこに行ったかと思えば。
「あの二人ってどういう関係か知ってる?」
「いえ、あまり知りません。あの子が異性の方と一緒にいるのもあまり見かけないので」
「じゃあ付き合ってるのかね」
口をついて出た言葉だったけれど、三ツ谷さんの反応は思いの外大きかった。
「え、まさか恋人同士だったとは……」
「いやいや、まだわからないって。そうかもしれないなってだけで」
時折、冗談交じりの想像を真に受ける節がある。見た目と言動が落ち着いているのでクールな印象も持たれているらしいけれど、その実抜けているところもあって面白い。
「でもクリスマス近いしそうなってもおかしくないよ。色恋に発展した男女増えてきてない?」
「男女……確かにそうかもしれません」
あーいや、そうではなくて。そういう雰囲気にあてられたみたいだ。
「カマかけたとかそういうんじゃないよ?」
「で、ですよね。まさかと思って少し驚いてしまいました」
どう取り繕うか悩んでいたところ、その少しの間に教授が声を張った。
「レジュメを配布しますので、順に回してください」
そのマイク越しのしゃがれ声に一同は静まる。あの教授には妙な圧がある。まだ時間前だというのに私語が聞こえてこない。
「準備しようか」
「はい。そうしましょう」
ぎこちないような、それでいて心地良いような、周りにも学生の姿はあるけれど気にならなくて。僕はその横顔に少なからず惹かれている気がした。
ただ思う。過去のしがらみが不安にさせる。このまま次へ進んでも良いのかと悩んでしまう。
その答えはたった90分の講義の合間に出せるものではなくて、2限3限と続いてもあまり集中出来なかった。
「あの、佐藤さん。お話があるのですが、その、少しお時間いただいてもいいでしょうか」
4限は被っていないので、三ツ谷さんとはここで別れとなる。くぐもった声だった。
「うん。少しだけなら」
「よかった。ありがとうございます」
ほっと息を吐く。別に断りはしないのに、今日はえらく口が重い。
周りの目が気になるのか、声が響くことを嫌ったのか、三ツ谷さんは一度僕を建物の外に連れ出した。
まだ雪は積もっていない。三ツ谷さんは告げた。
「佐藤さん」
「はい」
「その、クリスマスに予定はありますか……?」
思わず目を丸くした。
「ないよ」
「で、でしたら、その、もしお暇だったらでいいので、その……」
その言葉の続きを、それを告げる重みを僕は知っている。
「その、だから、私と……お、お出かけしませんか。二人きりで」
うん、いいよ。こちらこそよろしくお願いします。
そうすぐに返したかったけれど、記憶というのは嫌なもので、思い出したくないときに決まって掘り起こされる。
「ダメでしょうか」
「あ、いや、駄目じゃない。むしろ嬉しいくらいなんだ。ただ……」
あー良くない。こんなにも真剣に言ってくれたのに、僕は一瞬別の人のことを考えていた。
「……ごめん。少し考えさせてほしい」
重みを知っているからこそ、答えを先延ばしにされることの怖さもよく理解出来る。
「そうですか」
「絶対返事はするから。そこだけは信じてほしい。ごめん」
「いえ、真摯に受け止めてくれたことが私は嬉しいので、佐藤さんは重く受け止めないでください。私こそ、もっと軽い感じで言えばよかったです」
三ツ谷さんは何も悪くない。
でもこれ以上の言葉は不要だと思ったので、僕は次の講義に行くからとそこで別れた。
女性からの誘いを受けて過去の恋愛が過ぎるなんて。
今までにこんなことはなかった。そろそろ向き合うときが来たのかもしれない。なんとも自分がもどかしい。
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