第41話

 第十一章



 一年が経ち、オーウェンと聖の結婚式がやって来た。

 教会での挙式後、王城で結婚パーティーが行われた。

 普段、各地を巡っているためパーティーに参加できない聖だが、この日ばかりは主役として貴族相手に立ち回らなければならない。

 重厚な両開きのドアが開き、なにかの魔法の効果なのかマイクのような大きな声が会場に響き渡った。

『聖女セイ・ヨシカワ様、オーウェン王太子殿下のご入場です』

 何人もの王族に連なる貴族たちが立ち並び、笑みを浮かべながら二人を祝福している。が、その顔には相変わらず聖女への蔑視が含まれている。

(もう慣れたけどね)

 隣に立つオーウェンを横目に見ると、彼は気にするなとでも言うように聖の腰に腕を回し引き寄せる。そして見せつけるように聖の額にキスを落とすと、そこかしこからざわめきが立った。

「……っ、オーウェン」

「セイ、体調はどうだ?」

「そんなに心配しなくても平気。それより、いいの?」

 王太子であるオーウェンが聖女に入れ込んでいると思われたら、貴族の悪感情を逆なですることになるのではないだろうか。

「妻を大事にしてなにが悪い。俺がどれだけお前を大切に想っているか、見せつけておけばいいんだよ」

 そこかしこからざわめきが聞こえてくるが、オーウェンはそれらを受け流し、聖を愛おしそうに見つめた。

 オーウェンは聖を連れて王族席に座った。続いてフィリップ国王が会場に入場すると、位の高い順に貴族たちが挨拶にやって来る。

「王太子殿下、聖女様……このたびはご成婚、誠におめでとうございます」

 顎にヒゲを生やした男性が、贅沢に着飾った令嬢を連れて挨拶にやって来た。

 口では言祝ぎながらも彼は聖に値踏みするような目を向ける。隣に立つ令嬢はオーウェンしか目に入っていないようだ。

(また……?)

 聖はため息を漏らしそうになるのをぐっとこらえて、口元に力を入れた。貴族としての立ち居振る舞いは頭に入っているが、実践できるかと言えばまた別な話である。聖はただオーウェンの隣で笑っていることしかできない。

「セネヴィル伯爵、それにセネヴィル伯爵令嬢。今日は来てくれて感謝する」

「王太子殿下のご成婚パーティーとあっては来ないわけにはいきますまい。それより、うちの娘を紹介させていただいても構いませんか?」

「あぁ」

「王太子殿下、初めてご挨拶させていただきます。クランティーヌと申します」

「親の欲目かもしれませんが、器量のいい娘に育ちました。どうか、殿下の近くにおいてやってはいただけませんか?」

 クランティーヌと名乗った令嬢の背を父親が軽く押した。こういった挨拶がもう十数人目だ。どうやら皆、オーウェンの愛人の座を狙っているらしい。

 王太子妃となれるのは聖女だけだが、聖女を蔑むこの国では、王族が愛人を持つのは当然とされている。

 実際、彼の祖父の代では四人ほどの女性を囲っていたと聞く。愛人に子ができても王位継承権はない。王族と聖女の血を引く子だけが王族となれるのだ。

 しかし、愛人であっても、聖女のように命がけで瘴気を祓うわけでもあるまいし、妻よりよほど大事にされるのだから、悪い話ではないのだろう。

 今までこういった誘いがなかったのは、一応はまだ婚約者であった聖の顔を立てるためらしいが、結婚した当日に待ってましたとばかりに女性がアプローチしてくるのもどうかと思う。

 オーウェンが第一騎士団の団長でありパーティーには滅多に顔を出さなかったため、アピールのチャンスがなかなかなかったというのも理由にあるようだが。

「セネヴィル伯爵、悪いが、私がそばにいてほしいのは妻だけだ」

 オーウェンはクランティーヌを一瞥もせずに言った。それが彼女の癪に障ったのか、クランティーヌが睨むように聖に視線を移し、唇を歪ませる。

「殿下はお優しいんですのね。でも……もし聖女様にお子ができたら、その……殿方を慰めるお役目の女性が必要でしょう? 聖女様は国を守るお役目がありますし」

 クランティーヌはそう言って頬を染めながらオーウェンを上目遣いで見上げた。男を誘う手練手管に長けているように見える。

(私もこっちに飛ばされてきて美少女になったけど……この国の人たちって本当に美人ばかりだよね。オーウェンは少しもクラクラしないのかな)

 平気なふりをしているが、内心穏やかではいられない。彼女としては、聖女などより自分が大切にされて然るべきだと思っているのだろうし、断られるなど考えてもいなそうだ。

 オーウェンが彼女の誘いを受けるなどとは考えていないが、もし聖に飽きる日が来たら、そうなってもおかしくはないと思う。

 そんな聖の不安を見抜いたのか、オーウェンの腕が腰に回され、強く引き寄せられた。

「セイ以外はいらないのだとはっきり言葉にせねばわからないか? それに……セイに子ができたら、誰よりも私が彼女の力になってやらねばならないだろう。ほかの女性にうつつを抜かしていたら、嫌われてしまう」

「殿下は……聖女様をとても大事になさっているのですね」

「当然だ。セイはこの国にとっても、私にとっても唯一の宝だ」

 オーウェンは、セネヴィル伯爵の皮肉を込めた言葉も受け流し、聖に笑みを向けた。

「殿下が、聖女様を守るために魔石に聖魔法を込める研究をなさっている、という話は本当だったようですね」

「あぁ、実現すれば、セイを危険な目に遭わせずに済むからな」

「では、我が領地で発掘された魔石を王城に献上しましょう」

「ほう……どんな腹づもりだ」

 オーウェンが聞くと、セネヴィル伯爵は声を潜めて言った。

「私は、兄が他界するまで当時の王太子ご夫妻の護衛として王城に勤めていましたから」

「近衛だったのか」

「えぇ、国王陛下と亡き王妃様の仲睦まじさをずっとお近くで見ていたのです。大きな声では言えませんが、聖女様の在り方について物申したい一人です。あなた様も陛下の意志を継いでいるのだとわかり安心しました。それに、いずれ国王となるあなた様に今のうちに恩を売っておくのも悪くないと思いまして。不敬が過ぎましたかね」

「いや、わかった、覚えておこう」

 セネヴィル伯爵が娘を連れて去っていくと、隣に座るオーウェンが声を潜めて囁いた。

「セイ、疲れてないか?」

「大丈夫」

 聖とオーウェンの会話を聞いてか、フィリップ国王が視線を向けてくる。

「順調なようだな」

「はい」

 聖は腹部に手を当ててフィリップ国王に笑みを向けた。下腹部はじんわりと熱を持ったように温かく、たしかにここに命が宿っているとわかる。

 おそらく亡き王妃が言っていた聖女の力を子から感じるとは、このことなのだろう。

「この先、無理をしてもらわねばならないこともあるはずだ。其方を呼んだ私を……恨んでいるか?」

「まったく恨む気持ちがないと言えばうそになります。でも……オーウェンと出会えました。この子とも」

「聖魔力を込めた魔石を各騎士団に配布するよう手続きは取った。なるべく其方の負担を減らすべく力を尽くそう。それが償いになるかはわからんが……」

 フィリップ国王はそう言って目を細めた。彼が一番償いたい相手は、もうこの世にいない。彼もまた、せめて息子には同じ轍を踏ませたくないと思っているのかもしれない。

「これから産まれる王女には初代公爵家当主としての地位を与え、当主は力の強い聖女が継ぐこととする予定だ」

「次の子がまた女の子とは限りませんよ?」

 オーウェンが聖の背中を撫でながら答えた。

「それもそうだが……其方らを見ていると不思議となんとかなるような気がするのだよ」

 フィリップ国王はどこか楽しげに笑っていた。憑き物が落ちたような顔をしている。本来の彼は感情が表に出やすい男性だったのかもしれない。

「私が、もっと早く決断していれば……アカネを失っていなかったかもしれないな」

 フィリップなりに茜を守っていたのだろうが、当時はまだ魔獣の中に魔力の核となる魔石があることすら知られていなかった。

 瘴気の吹き溜まりが発生し、魔獣が活発になり街を襲うようになったら聖女を現地に派遣するしか民を救う方法がなかったのだ。

 それでも、フィリップ国王に同情はできない。彼は妻を守るために、ほかの方法を探すことすらしなかった。初めから、聖女はそういうものだと諦めていたのだ。

「あの」

 聖がフィリップ国王に話しかけると、二人の目がこちらに向いた。フィリップ国王から無言で続きを促される。

「オーウェンと……オーウェン殿下と二人でこの子を育ててはいけないでしょうか。王妃様は、殿下を産んですぐ引き離されたと……」

「あぁ、そうか……そうだな。父上は、聖女を道具としか思っていなかった。私は……妻に、我が子を抱かせてやることも、できなかったのだな」

 肩を落とすフィリップ国王になにも言えなくなった。

「其方も疲れただろう? オーウェンと共に下がるがいい。あとは私が引き受けよう」

 貴族の顔と名前で頭がいっぱいになったパーティーが終わり部屋に戻ると、どっと疲れが出る。

 オーウェンの胸にもたれかかると、横抱きにされ靴を床に投げ捨て、ベッドにそっと下ろされた。

「お風呂……入りたい」

「少し休んだら、俺が入れてやる」

 彼の唇が額に触れて、すぐに離される。それが少し寂しくて、聖が腕を伸ばすと、彼が聖の横にごろりと寝転がり、聖の頭を優しく撫でる。

「オーウェンに洗われるの? やだよ」

「べつに初めてでもないだろう」

 オーウェンの声を聞いていると強い眠気がやってきて抗えない。心地好さに目を瞑ったら、妊娠の影響なのかすぐに意識が遠くなる。

 目を覚ますと、きっちり寝衣に着替えさせられ、隣には聖を抱き締めるようにオーウェンが眠っていた。

 そっと彼の肩に触れると、以前に怪我をした部分が引き攣ったような痕が残っている。

 王太子として、そして聖女部隊の団長として働く彼の身体には無数の傷痕がある。すべて聖を守るためについた傷だ。

 下腹部からとんと身体の中を蹴るような感覚がする。まるで、自己主張をするようにとんとんと腹部が蹴られて苦しいくらいだ。

「寝る時間だよ」

 聖は下腹部を撫でながら、反対側の手でオーウェンの傷にそっと触れた。すると、じんわりと腹が熱くなり、触れていたオーウェンの傷の部分がさらりとしている。

「え?」

 真っ暗な室内では確かめようがない。まさか、と思いながらも、ドクドクと高鳴る心臓の音でなかなか寝付けなかった。

 聖は魔力も少ないし、瘴気を祓う力しかない。けれど、オーウェンは色濃く聖女の血を引いている。そんな奇跡が起こっても少しも不思議ではない。

(ありがとう……オーウェンの傷を治してくれて。なにがあっても、私があなたを守るから、どうか無事に生まれてきてね)

 聖が下腹部に手を当てながら祈ると、ぽこんと蹴りが返された。


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