第9話
第二章
聖がこちらの世界に来て、あっという間に一ヶ月が経った。
あれから夢は見ていない。向こうの世界については、考える度に落ち込んでしまうため、聖は朝晩の運動を日課にして体力作りを始めた。
許可を経て堅牢な塀に囲まれた王城内を探索しているが、いまだ端から端まで歩けていない。庭だって全部見きれていないくらいだ。それくらい広い。
そして、どういうわけか、話すのは困らないのに聖はこの国の字が読めなかった。異世界チートなどは存在しないらしく、字の勉強やこの国の勉強、運動で一日が終わる。
わかっているのは、ここはグリニッジ王国という名の島国であること。豊かな森が多く、また港町では漁が盛んに行われていることくらいである。
元の世界のようにテレビやスマホがあるわけでもないため、勉強に飽きたら城内を歩いて時間を潰しているが、そろそろ聖の出番が近いらしい。
第五騎士団によって瘴気の発生が確認された──オーウェンがそう言った。
王都から西にあるレーゲ領から瘴気発生の可能性ありと第五騎士団に要請があり視察に赴いたところ、状況はかなり悪く急を要するらしい。
聖はどうにか気持ちを落ち着けて頷いた。
(だって、私が行くしかないんでしょ)
聖が聖女としてやるべきこと──つまり瘴気を祓わなければならない。
「どうやって行くの?」
「領主館と王城は転移陣で繋いである。そこからは馬車と歩きだ」
「転移陣?」
オーウェンの説明によると、転移陣というのは巨大な魔方陣で作られたものだという。
転移の魔法は空間魔法というものに位置づけられており、使えたとしても人一人を別の場所に移動させるだけの魔力を持つ者はなかなかいなかった。
魔力の多い空間魔法使いに試させたところ、小さな物を見えている場所に転移させるのは問題なかったらしい。だが、人を使った実験では、運良く転移させることができたとしても、転移先でバラバラ死体になって発見されたり、バラバラになった死体が別々の場所で発見されたりといった失敗を繰り返した。
(そんな話、聞きたくなかった……)
魔法に想像力が必要なのだとしたら、バラバラになった人は自分がバラバラになる想像をしてしまったと思われ、胴体と下半身が別の場所で発見された人は二つの場所を考えていた可能性があるとオーウェンは言った。
(魔法……こわ)
そこで時の天才が編み出したのが、座標を指定した一方通行の魔方陣だったという。どこに行きたいかを想像する必要はなく、転移魔法も組み込まれているため、魔力さえ注げば勝手に起動する。それにバラバラにならない。そんなことを自慢げに言われても、安心できるはずもなかった。
「ここだ」
案内されたのは王城内にある建物。それも国王の許可がないと入ることのできない場所に転移陣は設置されている。
内部は城と同様で天井から壁面に至るまで豪華な装飾が施されている。両開きの重厚な扉を開けた先には広い空間があり、中央に魔方陣が描かれた大きな布が敷かれている。
「この上に乗って魔力を外に出せばいい。一瞬でレーゲ領の領主館だ。簡単だろう?」
「簡単だけど……バラバラにならない?」
「大丈夫。怖かったら、抱き締めていようか?」
オーウェンはわりとこの手の冗談を口にする男だと最近知った。距離感が近いというか、女性慣れしているというか。距離感が近いのは護衛だから仕方がないにしても、女性扱いされ慣れていない聖はいちいち照れてしまう。
「それはいいっ」
けれど、一人で立っているのはどうしても怖かった。魔方陣の上に立っているのは、第一騎士団──聖女部隊のメンバーとオーウェン、それに聖だ。
縋るような視線を向けてしまったのがバレたのか、くすりと小さく笑ったオーウェンに手を掴まれた。
「これなら怖くないだろう?」
きゅっと手のひらを握られて、恥ずかしさに頬が熱くなる。陽一以外の人と手を繋いでしまったという後悔よりも、恐怖が勝って離すことができなかった。
「……うん」
「じゃあ、行くぞ」
魔力が肌に触れる。それを感じ取り、聖も自身の魔力を外側に向けて放出した。すると、この国に転移させられたときと同じように足下が揺れる感覚がして、すぐに収まる。
「着いたぞ」
「え、もう?」
聖が目を開けると、たしかに離宮の白い壁ではなく、周囲が木の温もりのある室内に変わっていた。今の数秒の間にどこかに転移したのはたしかだ。
魔方陣のそばに一人の男性が立っている。男性はオーウェンに向けて、深々と腰を折った。おそらく領主だろう。
「オーウェン殿下、聖女様、我が領地のためお越しくださり有り難き幸せに存じます」
歳は五十代ほどだろうか。男性は疲れ切った顔でそう言った。
「堅苦しい挨拶はいい。で、状況は?」
「数名の兵を向かわせましたが、魔獣の数が多く、とても民を助けられる状況ではなかったようです。作物は荒らされ、そこかしこに食い散らかした死体があったと」
「そうか、わかった。すぐに向かおう。セイ、問題ないか?」
「大丈夫」
なにせ転移で一瞬だったのだ。疲れるはずもない。
扉を出ると、厳重にいくつもの鍵がかけられた。多数の兵に守られた領主の館に忍び込み転移陣を使おうとする賊がいるとは思えないが、悪用されないためだと領主は言った。
まれに平民でも魔力の多い者がいるが、転移陣を許可なしに利用すれば厳罰に処される、それがわかっていて罪を犯すバカはいないだろう。
「馬車の用意はできております」
瘴気が発生した可能性のある森は、領主館のあるこの街からさらに西へ向かった小さな集落の近くだという。
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