22:反発

「じゃあ次にこの前の検査の結果だけれども」

「はい」


 大木が鞄から取り出した書類を一瞥して、「うん」と頷く。

 

「これはなかったことにしよう!」

「司令?」

 

 笑いながら書類を鞄に戻した大木が笑ってごまかすのを、槇原は睨んだ。

 

「いや、別に普通の健康診断の値だけ見れば正常なんだがね。ちょっと表に出せない結果が出てしまっているから、そういうことで頼む」

「大丈夫です。異常があったらソフィアが教えてくれますから」

「そうだろうね」


 大木は何かを理解しているように言う。

 すると槇原が間に入ってきて、アキは肩を掴まれた。


「アンタ、それでいいの? ちょっと自分に関心なさすぎじゃない?」


 そう問われて、アキは内心その言葉を否定した。

 アキは自分の健康に興味がないのではない。


 その現代医療で行われた検査結果というものに興味がないのだ。


 すると、ソフィアが槇原の手を払って、アキの前へと立ちふさがる。

 

「やめろ。触れる、な」

「あんだと!」


 その言葉にカチンときたのか、槇原が食って掛かった。

 

「まぁまぁ、二人とも」

「ソフィア」


 二人は大木になだめられ、アキはソフィアの体を抱きしめてベッドの上へと戻す。

 ソフィアはまだこの人たちを信用していないらしい、とアキは思った。


 仕方なく髪を撫でて落ち着かせると、ソフィアは仕方なさそうにアキへと体を預けてくる。


「最後に、今後のことを話そうか。君の社会復帰について」

「社会復帰……ですか」

「うん。アキ君がどのくらい異世界にいたのかはわからないが、君の教育が高校一年生で止まっていることと、一般常識も三十年遅れてしまっているのは確かだ。君は今一度、学び直す必要がある」

「でも高校に行くお金が……」

 

 アキはこの世界では孤独だ。

 異世界に旅立つ前の時点でそうだったのだから、三十年経った今にアキの保護者となってくれる人間がいるとは思えない。


 そのことくらいは知っているはずなのに、とアキが首を捻らせると、大木はサングラスの位置を直して言う。

 

「ああ、今は通常の助成金に加えて、境獣関連で被災した未成年への援助制度があるんだ。それがなくとも君は我々にとって貴重な存在だからね。諸々の支援は行おう。で、これは私個人の見解なんだが、お金や学力の話は抜きにして、君は高校……望むなら大学にも通っていいと思っている」

「なんでですか?」


 アキは反射的に聞いてしまった。

 正直に言えばアキは今更、現代社会に復帰することを億劫に感じている。


 なぜなら、アキは社会と言う構造からはみ出ても生きていけることを知ってしまったからだ。


 大木はそれを察したのだろう。

 コーヒーを置いて、少し声を低くして言う。


「君は今、この日本で就きたい職業や夢はあるかい?」

「――……ゆめ?」


 問われて、アキは困惑した。

 夢、という単語を思い浮かべて頭が真っ白になったこともある。

 しかし同時に、一度はこの世界からいなくなろうとした自分にそんなものがあるわけがないと自覚があったからだ。

 

 しばらくアキが沈黙していると、大木は慌てて制すように手を上げる。

 

「アキ君、すまない。もし落ち込ませてしまったら申し訳なかった。夢なんてものはわからなくていいんだ。私くらいの年齢になって、会社員をやめて喫茶店をやりたいなんて夢をやっと見つけるおじさんはいっぱいいる。ただ、私は君に……その勇者という役割以外の道もあるということを考えてほしいんだ」


 その言葉の重さはアキにもなんとなくわかった。

 大木が本気で自分のことを考えてくれている、ということを理解して、アキは訊く。

 

「……それを考えるために学校へ行った方が良い、ということですか?」

「あくまで私のエゴ。三十年後に放り出された一人の高校生としての君を見て、私が押し付けている理想だがね」

 

 言うと大木はコーヒーを啜った。

 そして、意外にもそれに同調する声が隣から上がる。

 

「ソフィア、も。そう思う」


 それまで髪を撫でていた手を掴まれて、アキは視線を下げた。

 猫のように丸くなってベッドにやっと収まった長身の少女が、寝ながらも真っ直ぐにこちらを見ている。

 

「マスタ。取り戻せる。人生」

「取り戻す……?」


 その響きにアキはどこか違和感を感じたが、ソフィアが言うのならそうした方がいいのかもしれない。

 異世界に行って、剣を振るっていた自分が、三十年越しに再び学生になる。

 ちゃんと友達はできるのだろうか。日本語での読み書きは問題ないだろうか。


 様々な心配が頭にちらつくが、アキは気づけば頭を下げていた。

 

「夢とか仕事とか、見つけられるかわからないですけど、お世話になっていいですか」


 ここで断ることは、自分にとって立ち止まることと同じのような気がしたのだ。

 もし学生に適応できなかったのなら、またソフィアと一緒に逃げてしまえばいい。

 

 アキは闇に向かって身を投じることに躊躇はない。

 

「うん。任せてくれ」


 大木は満足そうに笑う。

 すると、槇原も嬉しそうに笑いかけてきた。

 

「もう脱走すんなよ!」

「話しかける、な」

「あんだと!」

 

 この二人は反りが合わないなぁ、と思いつつ、アキはソフィアの髪を撫でて宥めるのだった。


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