7:空白

「さて、どこから話そうか」


 アキが目の前に置かれたのり弁の蓋を開けると、ベッドの横に座った大木が口を開く。


 もう完全にここが病院ではないことを隠そうともしていない。そこらへんのコンビニで買ってきたのか、値札までそのままだった。


「これで七百円ですか」

「近頃は物価も高くてね。企業努力なんて言って量も減る一方さ。君くらいの歳だとそれじゃ物足りないかな」

「いえ、そんなに食べるほうじゃないので」

「そうかい? じゃあ遠慮せず、食べながら聞いてくれ」


 大木は気さくな態度でそう言うと、テレビのリモコンを弄る。


「まずは軽い歴史の話だ。君が行方不明になって一年後の二〇〇一年、日本で未曾有の大災害が起きた。今やその単語を日本で見ない日はないほどの存在。その出現さ」

「境獣ってやつですか?」

「うん。ちゃんとニュースを見ているね。そう。まぁ、いわゆる怪獣のような生物さ。少し違うのは光の巨人が来て倒してくれるわけじゃなかったというところかな」


 テレビには破壊された建物や、夜に燃え盛る街。

 そして、手持ちのビデオカメラで撮ったと思しき映像には巨大な骨を継ぎ接ぎして作ったような、六本腕の化け物が歩く姿が映っていた。


「こいつの他にも人間サイズの生物が十数体、同時に、そして突然、青森県の広前市の人口密集地に出現した。やつらは建物を壊し、人間を殺し、とにかく目に見えるすべてを攻撃した――おっと、食事中だったね」

「平気です」


 アキはそう言ってアジフライに齧りつく。

 それを見てサングラスの位置を直した大木は話を続けた。


「当然だが現地はもちろん、日本中が大混乱だ。次の日の自衛隊の攻撃でようやく殲滅できたときには、すでに千人を超える死者が出ていた。当時の私は君よりも年下だったんだがね。死人が大勢出ているというのに無神経にも興奮したよ。空想の中でしか見たことのない存在が現実に現れた、とね。それはたぶん、その時の大人たちの大半も私と同じだったんじゃないかな」


 大木は目線を下げつつ、ふっと浅く笑う。


「まぁ、つまりそれだけの被害が出ても、大半の人間は当事者意識が薄かったということだよ。都心から遠く離れた街で起きた対岸の火事。被害は出たがもう終わったことだ、とね。けれどそれは大いなる勘違い……そうであってほしいと心の底で願っていたんだろう」

「正常性バイアスってやつですか?」

「難しい言葉だ。よく知っているね」

「昨日、テレビで知りました。避難するときの心得? みたいな話で」


 アキが口の中を物を飲み込みながら答えると、大木は笑いながら持参した缶コーヒーを開けた。

 それを見て、アキも弁当と一緒にもらったペットボトルの茶に口をつける。

 

「また同じことは起きない。起きたとしても次こそ自衛隊がすぐになんとかしてくれる。そう皆が考えていたんだろう。当時の大人にこれを言うと血相を変えて怒るがね」

「ってことは……」

「そう。その半年後、再度また境獣が現れた。そしてその次も。日本だけにね」


 大木がため息をつくと、コーヒーの香りがアキの鼻孔をくすぐった。

 彼はコーヒーを傍の机において、スーツの胸ポケットを探る。

 

「まぁ、あとの細かいことは省こうか。二つの事例を除いて境獣の被害を受けたのは日本だけ。それに絡んでよその国はくっついたり、別れたりした。そして金に政治、世論に国際情勢もあって……ははっ。上手く行かないものだね。2020年にやっとまともな体制を整えることができた」


 そう言いながら差し出されたのは、大木の名刺だった。

 かなりシンプルな名刺だ。名前は大木という苗字だけが書かれ、そして【戦術作戦部 第一課 部長】の役職名が横に並んでいる。


 その小さな名刺の中で、アキの目を惹いたのは左上のロゴだ。


「――【BOUNDバウンド】?」

「そう。境獣対策専門の国際組織だ。境獣に関する研究から、その殲滅までを一手に担う。ここはその施設の一つさ」


 アキは名刺を汚さないように弁当を横にズラす。

 そして茶を胃の中に流し込み、聞いた。


「なんでぼくがそんなところにいるんですか?」

「それは君が――」


 そのとき、大木のポケットで病室の雰囲気には似合わないメロディが鳴る。

 大木は手でアキに謝りつつ、板状の端末を取り出して耳に当てた。


 あれが今の携帯電話なんだ、とアキは興味をそそられる。


 昨日、テレビを見ていて知ったが、今の携帯は折りたたまないらしい。


「大木だ。……わかった。すぐ戻る」


 ぼくも欲しいな、と大木の携帯を凝視していると、短く通話を終えた大木が再び手で謝る。


「すまない、アキくん。これでも結構多忙な身でね。続きは今度にしよう」

「ぼくはどうなるんですか?」

「大丈夫。検査結果が出ればいずれは学校に行ったり、普通に生活できるようにしてあげるつもりだよ」

 

 大木は槇原に「あとは頼む」と言うと、颯爽と病室を出ていってしまった。


 ――普通に、学校……か。

 

 アキは箸を持ったまま、弁当に視線を落とす。

 自分は異世界に行き、そして戻された。しかもその直前まで、自分は死のうとしていた。

 

 そんな自分が普通に戻れるのだろうか。


 そもそも普通ってなんだろうな、とアキは眼下の普通ののり弁を見つめていると。


「早く食べちゃいなさい。お昼はどんなのがいい? めんどくさいのはナシね」


 槇原が大木の座っていた椅子に座って気だるげに声をかけてきた。

 だんだん遠慮のなくなってきた槇原にアキは苦笑しつつ、昼食に食べたいものを考えるのだった。

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