〈修復屋〉の一日 (中)

 ドロシーたちが〈宿屋オーロラ〉に着くと、宿屋の経営者一家がエントランスで待っていた。


「おはよう、ドロシー。いつも早めに来てくれて、ありがとうね」


「おはようございます。……毎度ご依頼、本当にありがとうございますっ」


 ドロシーに声をかけたのは、ケーラの息子であるベン・クックだ。〈宿屋オーロラ〉の婿養子むこようしでもある。

 なのだが、ベンは元孤児であるので、ケーラとは血がつながっていない。あと、魔力は全く無いらしい。



 ベンの横に立っているのは、彼の妻であるジェシカだ。

 おんぶひもに包まれて、ジェシカの背中でスヤスヤと眠っているのは、産まれて間もないロッティである。


「また、ひびが入った食器やイス、それから穴の開いたベッドシーツがいくつかあってねぇ。あたしらは裕福じゃないから、なかなか新品なんて買えないし……。いろいろ経費が削減できるから、すぐにドロシーが修復してくれて、ホント助かるよ~。感謝、大感謝だよっ!」


 ジェシカが声を張ってドロシーにお礼を伝えると、ドロシーは「いえいえ」と微笑んだのだった。



 その時、別の部屋から、幼い少年がドロシーたちの方に小走りで近づいてきた。


「おはよ〜、ドロシーとルルちゃんっ!!」


 その少年は満面の笑みを浮かべながら、ドロシーの傍に来たようだ。そして、ドロシーの横に居たルルの頭を優しくでた。


『おはよう、ノア』


 ルルは〈宿屋オーロラ〉の長男であるノアの顔を見ると、「ニャー、ニャ」と鳴いて、朝の挨拶あいさつをした。


 とはいえ、魔力の無い人間は、使い魔の生き物が人語を話しているのは、全く聞こえないらしい。

 一方で、生まれつき魔力のある者、あるいは魔術学院でを受けた者のみが魔術を使うことができ、使い魔とのコミュニケーションも可能であるという。




 今日は、宿泊客が居ない日である。

 ドロシーはノアに「おはよう」と言った後、すぐに厨房ちゅうぼうに向かった。厨房は、宿屋の一階にあるようだ。

 ドロシーのあとを、ルルが軽やかな足取りでついていく。


 エントランスから出て、建物の裏側にある細い通路を抜けると、ドロシーたちは厨房に着いた。

 ドロシーは、厨房の奥にある食器棚に近づいた。高く幅の広い棚の中には、びっしりと宿泊客用の食器が並んでいる。



 ……と、ドロシーは、一部の食器が青い光を放っているのに気が付いた。

 いや、青い光が見えているのは、実はなのだ。


 ひびが浅い物は薄い青色に、ひびが深い物は紺に近い青色に……。

 近くで凝視しなくとも、身近な物の傷みや汚れを遠くから見つけることができるドロシーの能力は、エヴァンズ家の特有であり、ケーラから引き継いだものである。


「……始めようかな」


「うん。……ドロシー、頑張がんばって」


 ルルがドロシーに声をかけると、ドロシーは眼を閉じて、指を閉じた右手を胸に当てた。食器を修復する際、集中力を高めるための仕草である。


 ドロシーは深呼吸をした後、頭の中で、徐々に食器のひびが消えていくイメージを思い浮かべている。

 すると、少しずつだが、棚の中にある食器が元通りになっていったのだ。



 しばらくして、ドロシーが目を開けると、彼女は食器から青い光が完全に消えていることを確認し始めた。

 数歩前に進み、さらに食器棚に近づくと、ドロシーは目視で、ひびの割れた食器が修復できたのか確かめたようだ。




 その後、ドロシーとルルは宿屋の二階と三階に行った。二階と三階には客室があるらしい。

 客室は数室しかないため、ジェシカから聞いた、壊れそうになっていたイスと傷んだベッドシーツのある部屋を、ドロシーはしっかりと記憶していた。



 宿泊施設も〈宿屋オーロラ〉を合わせて二軒のみだ。

〈宿屋オーロラ〉は三階建てで、客室は八つしかない。違う国から、辺境である『ニシノハテ公国』に行き来する人は少ないからだ。


 国境を『ニシノハテ公国』に来る者は、一ヶ月に数回来る行商人くらいだ。近隣諸国に住む親族も、たまに公国を訪れるが、彼らはたいてい実家や親戚しんせきの家に泊まるという。



 ドロシーは三部屋を周り、パパッとイスやベッドシーツの修復を終えたのだった。


「ドロシー、お疲れ様〜」


 ドロシーの業務がひと通り終わると、見守り役のルルがドロシーに声をかけた。

 ホッとひと安心したドロシーは、ベンたちに業務報告をするために、ルルと共に一階に降りていった。

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