第5話 クラン・ボーハル

 鬱蒼としたブナの森は終わりも見えず、足元の土から露出した太い根や下草に脚を取られながらも、マリカたち一行はどんどん下って行った。見習い教師のバン・ファルは右に左に垂れ下がる木々の枝を避けるように

マリカたちの前を飛び続けている。マリカがファルに聞いた。

「ねえ、先生!質問!」

「ん…?な、なんだ?マリカ・ル・ファト…。」

 ファルは後ろを付いて来るマリカの方を向いて飛び続ける。

「『泣き虚ろ穴』ってなんでこんな山奥みたいな場所に出入り口があるんですか?魔女国の方のは魔城の謁見の間にあるのに、人間界側はこんな…。」

マリカは髪に引っかかる枝先を払いながらファルに聞いた。

「そりゃお前、仕方ないんだよ。魔力干渉のせいさ…。」

「魔力…干渉?」

 怪訝な顔をするマリカに、ファルは少し呆れたように言った。

「そんな事も知らないんだな…。いいかい、魔力干渉ってのは、魔法力が人間に悪い影響を及ぼすことを言うんだよ。お前らの親も魔法を使うだろう?」

マリカは頷いた。

「元々魔力を体内に持つ魔界、魔女界生まれの者たちには何ともない当たり前な…そうだな、空気みたいな力も、人間にとっては色んな意味で良くないものなのさ。だから、人間からできるだけ魔力を遠ざけるってためにこんな山の中に『穴』はあるってわけ。それに魔女学校にも時々関係する人間たちがやって来るからな、魔力の通用門みたいな『穴』を少し遠くに置く形で校舎の場所を決めたった話だぜ…。なんだがそれだけでもないんだ。いいか?魔城は何であそこに在るのか知ってるか、答えられる者はいるか?」

 ファルは急に教師口調になって腰に手を当てた。依然として後ろ向きに飛んでいる。

その問いには、エメリが答えた。

「アラディア様が…そこに初めて現れたと言われているから…です。」

「うん!さすが古の名家の者だ。お前はよく勉強しているな?そう、すべてはアラディア様が元になっておられるのさ。アラディア様の現われた場所に、その虚ろ穴と呼ばれるようになる不思議な通路が出来上がったんだが、それは人間界でも同じだった。それがあの大木の場所ってわけだ。ただ、早くから人間と交流のあった魔女たちは人間独特の危険さに気づき、この地を広く所有して人間たちから《虚ろ穴》を遠ざけた…って面もあるわけだ。そして、魔力の影響を人間から遠ざけたもう一つの理由が、あれさ!」

 ファルは急に前を向き、指を指して丘の下を指し示した。そこに、荘厳な佇まいの城があった。

 魔女国が、一体いつ出来たのかは分かっていない。そこはマリカたちの生まれ故郷であり、そこに住むすべての女性たちは全員が《アラディアの血》を引く魔女として生まれて来る。そして彼女らは例外なく、一定の年齢が来ると試験を受ける事になっていた。試験というより、実際それは適性検査と言った方が相応しい。国中の同年齢の少女たちが一堂に集められ、試験官の前に立つのだ。彼女らは特には何もしない。ただ試験官の前に一人ずつ進み出て、一言二言試験官の質問に答えるだけだ。簡単なように思えるが、そこで決まるのは魔女としての彼女らの運命だ。試験官は、ある基準に沿って彼女らの中から稀に現われる逸材を見抜き、人間界・魔女界・異界を通じて唯一の高等魔女学校である《クラン・ボーハル》へと送り込むのだ。選ばれるのは、全二十四ある魔女国から通常で年に二人か三人。異界と人間界からも選出されるが、その数はそれぞれで二人程度だ。

 今年はジュジョアと、エメリ、そしてマリカの三人が第一魔女国から選ばれた。三人は今、こじんまりとした青い外壁の城を見おろしている。尖塔が一棟、中央に突き出ているほかは概ね二階。一部高い場所で三階建ての何気ない洋館に見える。だが、そここそが彼女らの憧れ、強力な魔女を養成する唯一の高等魔女学校だ。ファルは、数十メートルほどの下り坂の果てに見える《クラン・ボーハル》を見つめた。校舎の周囲は長閑な庭園が取り囲んでいる。

「クラン…ボーハル…」

 マリカは呟いた。ジュジョアとエメリも甘酸っぱいモノでも見るように、目を瞬かせながら、その校舎を見おろしている。無理も無かった。彼女らは皆、ずっとここへ来ることを夢にまで見てきたのだから。魔力に付いて学ぶ学校は魔界を除いた全世界に多く存在している。各世界の者たちは、そこでおおむね同じ教育を受け、知識と魔力の存在意義のほか、初歩の実践魔法を学ぶことになっていた。魔女国にも魔女学校があり、それは国の各地に数校散らばり、女子たちは魔女としての基礎教育を受ける決まりだった。その中でも優秀な者には自らが属す世界で一つ上の専門教育を受ける道はあったが、《クラン・ボーハル》に入学するという事は、それとは全く異なる意味を持っている。卒業者には全員に校名でもある《ボーハル》の称号が与えられるのだ。それは、《道》を意味し、その称号を持つものだけが他の者に魔法を教育することや、魔城での高位の仕事に就くことが出来るのだ。

 憧れを持って校舎を見つめる三人の中で、ファルは、マリカの周囲だけをキョロキョロと見回していた。自分が何を警戒しているのか分からないが、神経は尋常でないほど張り詰めていた。

 最後の坂を下りながら、マリカは抱いていた疑問をファルにぶつけてみた。

「ねえファル先生、どうして魔女の学校が人間界に在るの?生まれ出る率は物凄く少ないんでしょ?それも判らないけど、もっと判らないのは、人間界に作っておきながら『人間には魔女であることを気づかれてはならない』だとか『魔法を見られてはならない』なんて決まりがあるのよね?どうしてそんな面倒なことになってるのかしら?《クラン・ボーハル》を異界や魔女国のどこかに作ればいいだけの話だと思うんだけど…」

 ファルは、飛び交い始めた蝙蝠に注意を払いながらマリカの質問に答えた。

「誰かが何かをするとき、なぜそうしたかって理由には大きく分けて二つある。一つは、『そうしたいから』ってのと、もう一つは『そうしなければならなかったから』って奴さ。高等魔女学校を人間界に作った理由は、その両方なんだ。マリカ、お前は『ボーハル』になるのが夢なんだろうが、じゃあそうなったとして、そのあとどうするんだ?」

「卒業した後?それは…魔女としてすべての人々のためになるような…」

「いや、そんなタテマエじゃなくて。『ボーハル』になった後、大概の魔女は高位の仕事に就いたり魔法指導者に成ったりする奴が多いんだが、お前はどうすんだって話さ。第一魔女国に変えるのも人間界に住むのも自由だとするなら」

 人間界に住む――そんなことは想像したこともなかったが、マリカは考え、言った。

「よく分からないわ」

 瞬間言い淀み、そして続けた。

「きっと、普通にお嫁さんになって何処かで静かに暮らすのかな。子供がいて、優しい旦那さんがいて、笑い合うんだわ。私の家がそうであるように、ね…」

 ファルはマリカの言い方に違和感を感じたが、続きを話した。

「魔女と人間には悲しい歴史があるのはもちろん知ってるよな?」

 それには三人が頷いた。知らない筈が無かった。人間界でのみ起きた忌まわしくも悲しい歴史。歴史で言う『中世』の、おもにヨーロッパ地方で行われていた『魔女狩り』のことをファルは言っているのだ。

「あれは人間の持つ魔女や魔法への憧れや妬みや、恐怖がさせたことだが、実際に捕まって死んだ魔女は一人も居なかったってのも知ってるか?」

 それには三人とも足を止め、顔を見合わせた。

「知らないようだな?イヤ、実際死んじゃいないのさ。ただの一人も、な」

 エメリが首を傾げて言った。

「でも…私の家の史書には幾百もの魔女が罪も無いまま死んでいった…と書かれていました」

「それは、お話だ」

 ファルは言い切った。

「嘘っぱちって奴だな」

「まさか…そんな。でもだって…、じゃあ誰がそんな事を?嘘を本にまでしたんですか?」

「うん、それがさ、魔女学校を人間界に作った理由ってわけだ。考えてもみろよ、もしも本当に人間が魔女を殺そうと考えたとして、できるのかね?そんな事がさ…」

 ファルは笑い、突如飛来した蝙蝠に向けて小さな吐息を吐いた。蝙蝠はファルの直前まで来るとその息を吸い、急停止して身をひるがえし、仲間の方に戻っていった。戻った先で仲間を集め、先頭に立って遠くを目指して飛び去って行った。

「人間に捕まると、思うか?魔女がさ…」

 三人は考えた。言われてみればそうは思えない。ファルは続けた。

「人間界に居る魔女と言えば、《こちら側》に依って見出される前の未熟な者か、他は全員が『ボーハル』か、それ以上の存在だ。未熟者は古来から能力が発現するより早く集められて隠されるんだ。いくら人間が兵を出してきても、おいそれと捕まる様な間抜けはいないんだよ」

「じゃあ死んでいったのは…」

「魔女が実際に居ると信じている者も信じてない者も居たろうが、殺されてったのは間違いなく、ただの女たちだ…」

 ファルは言った。

「人間は魔法を怖れている。それは本当だ。自分の神ならばそれに対抗しうると考え、対魔法の神学的研究もしてきた。或る者などは触れてはならない闇魔法にまで手を出そうとしたり、な。まあ一切無駄だがな…。そんな愚かな人間なわけだが、一つの言い伝えがある」

 ファルはスッと空中にホバリングすると、三人を見下ろした。

「魔法と人間の融合が全界最後の希望だ――という奴だ」

「ディアナとルシファーの書…」

 エメリがつぶやいた。

「そう言うことだ。書にはアラディア様の御両親にあたるディアナ様とルシファー様の残された願いが記されている――といわれている。いま言った願いの文章だけは有名だが、書の実物はもう無いと言われてる。なぜそんな事を望まれたかはよく判っちゃいないんだが…。とにかく、あらゆることをより良い方向へ導くために人間の傍に魔法が不可欠だということらしい。だが人間の魔法への恐怖やコンプレックスは半端ない。だから数百年にもわたって観察をしているのさ。優秀な魔女のタマゴを学ばせながら、そいつらに教えるのさ。人間の本質や、警戒すべき点や、人間を一体何に導けばいいのか、をな。それを人間の近くで考えるのがこの学校の一つの使命だ」

 坂は終わり、校舎が目の前に迫って見えた。

「魔法は、良くも悪くも魔女にとってだけじゃなく、人間界にも影響する。お前等だって知ってるだろう?人間は、ずっと魔法に憧れている。魔女の血はほとんど無いに等しいのにだ。それでも憧れているのは魔法の本質を知らないからだ。呪文の力で何でもできる便利な力、くらいにしか考えていないんだ。だがお前らは知ってる。お前らの国の男たちは誰もが微弱な魔力を体内に持つが、何故家を作る時に自分で汗を掻く?なぜパンを魔法でつくらない?」

「それは…。」

 ジュジョアが言った。

「それはズルいからよ。魔法はそんな事のために在るのではないわ!すべての生き物とすべての物たちがよりよくあるための導きとしてあるからよ!」

 ファルは感心した口調で言った。

「うん、そうだな、その通りだ。魔法はそんな事のためのものじゃない。そこが大事なんだ」

 一行は、坂を下りきると門前に立ち、校舎を見上げた。

「ここは強力な魔力の館だ。学び終えた者は強力な魔女の一歩を歩み出す。その中の只一人でも注意を怠り、その強力さを意識出来ないなら人間界に悲劇が起きる。どれだけ時間が掛かるかは分からなくとも、こちらも学ぶが、徐々にではあっても人間にも魔力の本質を知らしめる必要があるわけだ。その強い意志の表れとしても古くから高潔な魔女の教育は一定期間人間界で行う取り決めになっているんだ。この――」

 もう一度校舎をまぶしそうに仰ぎ見て呟くように言った。

「この《クラン・ボーハル》で、な…」

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