第2話 虚ろ穴
《謁見の間》に通された三人は、呆気にとられて天井を見た。
「なにこれ…」
「天井、高い!」
「ほんとね…」
いつの様式かも判らないほど古めかしい部屋の、巨大な円柱も壁も統一された文様で飾られている。それが文字なのだとは初等教育で習ったが、読める者は存在しないとも教わっていた。
「読めないのに誰が書いたのかな?天井にも彫られてるし」
呟いたマリカの背後から声が掛かった。
「この部屋はこの文字で全て覆われ守られている」
ギョッとして振り返ると、初老の女が立っていた。その背後には守護聖獣のアクラを連れている。成人した魔女全員が一体だけ持つことを許される三十二の聖獣のひとつで、その姿は猿に似ている。守護対象に危機が及ぶ時、身代わりとなって戦うが、消えてもまたいつの間にか傍に居るのが守護聖獣だ。自由に選べるわけではなく、いつも姿を見せているわけでもない。魔女の気質によって違う聖獣が付くとされる。アクラは三十二聖獣の中でも随一の狡賢さを誇っている。マリカは内心で苦笑した。
――アクラ憑きのシー…。有名なヤな奴!
女は三人の前に進み出た。
「今年の優秀者は三名――また随分と安売りしたものだわね、選考委員会も」
瞬きもせず、顎を上げて三人を睨んだ。
「まあよい。では三名のもの、顔を上げなさい」
言われて顔を上げた。
三人は今日初めて着た正装の魔女服の裾を摘まんで膝を折った。片足を更に後方に引くのが女性の最敬礼だ。
「私を知っているね?王城筆頭執務のフアハト・シーです。先ず、名を呼ぶので声を出さずに頷いて応えなさい」
三人は目を伏せている。公職にある者を正視してはならない――という決まりだ。シーはメモを見て名を呼んだ。
「エメリ・ドリーオハト」
エメリが頷いた。
「前女王の御孫――。前女王に似て、お気の強そうな…」
含み笑いがマリカの癇に障った。咳払いをし、小さな溜息を漏らした。
「静粛を保ちなさい!本当にしつけの悪い…。エメリ、発言を許します。おばあさまはお元気?」
エメリは目を伏せたまま静かだがハッキリとした声で言った。
「はい。お陰様で。おばあさまから王城に行ったら尖塔の蜘蛛の巣にお気を付けなさい――と教わりましたので頭上には気をつけたいと思います」
それを聞いて、シーの顔色が変わった。王城の尖塔とは、つまり執務が常駐する場所だ。
「なんとも、あの前女王らしい…」
そうは言っても相手が悪い。国随一の格式を持つ家柄に、迂闊なことは言えない。
フンと鼻を鳴らし、残る二人に向き直った。
「ジュジョア・ラ・コスタ?コスタ?崖の?おやまあ…」
「はい!筆頭従者様!コスタ家の一人娘、ジュジョアでございます!かねがね従者様の事を尊敬申し上げておりまして私、そもそもこの合格も思いますれば従者様に憧れての…」
眉を吊り上げて聞いていたフアハト・シーが手を突き出して振って見せた。
「よい!もうよい!わかった…。そなたの尊敬はあい判った、それを大切にして邁進しなさい!さて…最後のそなたは…」
マリカに向けたシーの瞳が翳った。
「そなたは、ファトの…」
「マリカ・ル・ファトでございます。フアハト・シー様…」
シーは拳を握りしめ、威厳を見せつけるかのように顎を上げた。飾名の《ル》は正式な場所でだけ付けて名乗ることとされている。
「クラミアの子ね?あのクラミアの…」
シーは、マリカが敢えて礼儀を破り両耳を出していることに気づいた。全ての魔女には、生まれつき備わっている《印》がある。決まって片耳に出る文様で、水中に咲く水桜の小さな花の形をしている。それは魔女の祖の名を取り《アラディアの証》と呼ばれているが、マリカの耳に、それは無い。
マリカを睨み、顎を上げてフアハト・シーは言った。
「揃いも揃ってなんという…」
吐き捨て、シーは青い唇を噛んだ。
「もうよい!そなたらの魔法学校入学許可を祝し、いまより《虚ろ穴》を開け放つ!覚悟無き者は去るが良い!覚悟せし者!真の魔女を目指す者のみ穴が指し示す道を行きなさい!」
シーの両手が開かれ、天蓋へと向けられると、マリカたちとシーのちょうど中間に一点、薄雲のような渦が湧き上がった。それはマリカたちの方を向いて静かに回転している。暗い中に渦巻く白さは、さながらココアに落とした牛乳のようだ。黒い渦を巻く空間は見る間に、人の背丈ほどまで大きく広がった。
『虚ろ穴』には多くの伝説がある。魔女の
「行くがよい…。学ぶべきことは山ほどあり、高位の魔女への道は死出の旅以上に険しいが、な…」
マリカが最初の一歩を踏み出した。継いでエメリが、そしてその後にジュジョアが並んだ。マリカが右足を穴に入れようとした時、向かいに居るシーの笑みが見えた。マリカは口を真一文字に結ぶと、敢然としてその中に入って行った。
三人を呑みこむと渦は音も無く小さくなっていき、何もなかったかのように掻き消えてしまった。広い謁見の間にはシーだけが残り、椅子に腰を下ろすと何事か考えるようにジッと天蓋を見上げていた。その目に宿る光は、若者の旅立ちを祝する者のそれでは無かった。
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