人花火

青空あかな

第1話

 渡辺香織は手入れの行き届いた黒髪をなびかせながら、局の薄汚れたワゴンから降り立った。

 身に着けるは紺のテーラードジャケットにベージュの七分丈のパンツ、茶色の歩きやすいパンプス、そして50mlで二万円はくだらないパルファムな香水。

 いずれもこのような田舎には似合わない、高品質なイタリア製だ。

 渡辺は夕闇テレビジョンのディレクターだった。

 三十代も半ばを迎え、仕事にプライベートに充実した日々を送っている。

 最近、以前から交際している大手商社の課長である男性と、結婚の話も出てきた。

 人生を思う存分謳歌中の彼女が、八月の暑い最中、嫌いな田舎まで出てきたのには理由がある。


「あんたら、準備はいい? 忘れ物してないでしょうね。のろのろしてないで、さっさと降りなさいよ」


 渡辺は車内にキツい声を差し込む。

 彼女の甲高い声に引っ張られるようにして、二人の男がのろのろと現れた。


「手際が悪くてすみません、渡辺さん。でも、忘れ物はありませんからご心配なく」


 前田諒、30歳。

 アシスタントディレクター――通称、ADだ。

 髪の毛は薄っすらと茶色に染め、人に覚えてもらうためか主張が激しい黒縁のメガネをかけていた。

 人とのコミュニケーションが上手く、理不尽な言動を受けても常にニコニコと対応していた。


「……うす」


 田口大輔、28歳。

 カメラマン。

 黒い髪の毛はスポーツ刈りのように短く切り揃え、一重の鋭い目はいつも警戒するように周囲を見る。

 あまり話さない寡黙な男だった。

 二人はテレビ番組制作会社、メディア有原の社員だ。

 夕闇テレビジョンから番組の製作依頼を受け、渡辺とともにこの化野村に降り立った。


「ああ~、あっついわねぇ。どうして田舎ってこんなに蒸し暑いのかしら。ここ東北でしょ? 涼しくしなさいよ」

「ほんとそうっすね。俺もこんなに暑いとは思いませんでした」


 ぼやく渡辺に前田だけが反応する。

 三人は機材を抱え、村へと歩きだした。

 油蝉の低い唸り声が付きまとう。

 東北地方にあるはずだが、東京より暑い気がした。

 五分ほどで村役場にたどり着く。

 木造二階建て。

 焦げ茶の色は風情があるが、渡辺にはただの古臭い建物にしか見えなかった。

 三人は中に入る。

 掲示物などには目もくれず、渡辺は真っ先に受付へ向かった。


「こんにちは、夕闇テレビジョンの渡辺です。村長さんをお願いできますか?」

「……え?」


 下を向いていた男は、渡辺の声を聞いて初めて顔を上げた。

 黒い天然パーマに、力が弱そうな細い体型。

 一目見た瞬間、仕事のできない雰囲気を感じた。

 できれば他の人間に応対を頼みたかったが、受付が一つしかないのだ。

 渡辺は苛立ちを覚えつつ、再度男に告げる。


「だから、村長さん呼んでって言ってるの」

「はぁ……それで、どちら様でしょうか」

「夕闇テレビジョンの渡辺!」


 耐えきれず、名刺を机に叩きつけた。

 受付の男は白い紙を受け取ると、逃げるように奥の部屋に入る。

 きつい視線で見送る渡辺を見て、前田が宥めるように言う。


「まぁまぁ、まだ新人でしょうから」

「ったく、人の時間をなんだと思っているのよ」


 どうして田舎はこうもとろいのだ。

 渡辺の心に怒りが渦巻く。

 自分は常に、最速で物事を処理するようにしている。

 だから、他人もそれに合わせてもらわなければ困る。

 あの男はきっと、コネ就職に違いない。

 田舎だとそういう話をよく聞く。

 ろくな就職活動さえしたことがないのだろう。

 厳しい採用試験を突破した彼女は、高いプライドを持っていた。


「村長の有原ど言います~。お待だせしてすまねぁーでした~」


 突然、後ろから野太い声がした。

 どきりと振り向くと、初老の男性が立っている。

 髪の毛は灰色がかった白髪で、目尻に刻まれた皺が優し気な雰囲気だ。

 化野村の村長、有原。

 奇遇にも、前田と田口が務める会社と同じ名前だった。

 渡辺はしばし面食らっていたが、すぐに気を取り直して自己紹介する。


「ど、どうも、こんにちは。夕闇テレビジョンの渡辺と申します」


 彼女に続き、前田と田口も挨拶を交わす。

 受付の男はまだ戻っていない。

 大方、人を呼ぶことさえできないのだろう。

 有原に案内され、三人は応接室へ入った。

 さすがに来客用のためか、革張りのソファや磨き上げられた机が用意されている。

 だが、ここでもうんざりする暑さと湿度が渡辺を不快にさせた。


「すみません、エアコンとかないんでしょうか? 汗でお化粧が落ちちゃうんですけど」

「この村さエアコンなんてねぇよ。ははは、今年の夏はとぐどう暑いなぁ」


 有原は扇子を煽ぎながら笑う。

 今どき、空調の無い村があるだろうか。

 渡辺は疑問に感じたが、田舎者には何を言っても無駄だろうとすぐに気持ちを改めた。


「それで取材の件ですが、どうしても許可いただけないでしょうか?」

「なじょしてもダメだねぇ。こいなとごろまで来てけで申し訳ねぁーげど」


 チッ、この耄碌じじいが。

 渡辺は内心悪態を吐く。

 メールや電話で何度訴えても、取材の許可は下りなかった。

 だからわざわざ交渉しに来たのに。

 彼女にはどうしてもこの村で取材したい理由があった。


 数年前から、毎年この時期になると化野村の山中で遺体が発見される。

 頭部のない裸の遺体が。

 当時はそこそこ大きなニュースとして報じられたが、地元警察が熊や獣の仕業だと結論けるとすぐに埋もれてしまった。

 元々、この辺りは登山やハイキングの名所として知られるほど山が深い。

 故に、熊や人を喰らう獣が現れてもまったくおかしくないのだ。

 それが報道を萎めさせた原因でもある。

 だが、渡辺はスクープになる大きなネタが潜むと感じ取っていた。



 全ての遺体は頭部の他にも身元を確認できる情報がなく、身元不明として扱われている。



 不用意な観光客やハイキング客が熊に襲われた――これが一般的な見解だ。

 に、しては、少々落ち着き過ぎではないか?

 熊に襲われること自体、もっとニュースになっていいと思う。

 しかし、化野村に関する報道はぴたりと止まってしまった。

 ここに来るまでだって、“クマ出没注意”という看板はあるにはあったが、いかにも取ってつけたような雰囲気だ。

 村民が何か知っているに違いない。

 渡辺は密かに疑念を抱いていた。

 そもそも、ここらで大きな仕事をしたかったという気持ちもあるが、すでに上へ許可は下りたと伝えてしまっている。


「……どうしてもダメでしょうか?」

「わりぃ、なんぼお願いされでもダメだね」


 前田と田口は、二人のやり取りを静かに眺めていた。

 一介の下請けに過ぎない彼らには、どうすることもできないからだ。

 数分、渡辺と有原の間には沈黙が立ち塞がっていたが、やがて渡辺が諦めたように告げた。


「では、観光させていただくことは可能でしょうか」

「ああ、それはもぢろんえよ。好きなだけ観光してな」


 有原は扇子を煽ぎながら和やかに笑う。

 引き下がってくれて感謝する、とでも言いたげだった。

 渡辺は荷物をまとめ、颯爽と立ち上がる。


「じゃあ、私たちは失礼いたします。……ほら、あんたらも行くわよ」

「えっ……あ、はい」

「……うす」


 前田と田口はしばし唖然としていたが、すぐに渡辺の後を追った。

 立ち去る三人を、有原は相変わらず笑いながら見送っている。

 扇子はもう煽がれていない。




「あの、渡辺さん……」

「なに?」


 かつかつと足早に車へ戻る渡辺に、前田が緊張した様子で話しかけた。

 田口はただただ寡黙に後ろからついてくる。


「取材はどうするんですか?」

「大丈夫。ちゃんと考えてあるから」

「この番組ができなかったら、俺ディレクターになれないっすよ」

「うるさいわね、少し静かにしてなさい。目立つでしょうが」


 縋る前田を追い払うように渡辺は歩く。

 田口は何も言わずについてくる。

 今となっては、前田よりこの男の方が楽でよかった。

 また五分ほど歩き、局のワゴン車まで戻ってきた。

 前田は肩透かしを喰らったような顔だ。


「夕闇に帰るんですか?」

「帰るわけないでしょうが。取材は続行するのよ」

「え……? で、でも、村長の許可は下りてないんじゃ……」


 渡辺が言い放った言葉に、前田は混乱した。

 先程、取材はダメだと断られたばかりではないか。

 尚もぼんやりしている前田の胸を、渡辺は軽く小突いた。


「あんたも鈍いわね。だから、隠れて取材するって言ってんの」

「隠……れて……?」


 呆れた様子で渡辺は計画を話す。

 取材の許可が下りないのは、元より承知していた。

 それならば、諦めたフリをするまで。

 前田は納得していない様子だったが、無理やり進めることとした。


「田口、例のカメラは準備してあるでしょうね?」

「……うす」


 田口はワゴン車から小さな銀色のビデオカメラを取り出す。

 ヨトソン・デバイスから販売された、一世代前の旧式だ。

 渡辺はいつも、取材用の大型のカメラの他にハンディタイプの小型カメラも用意させていた。

 許可が得られなかった地域での取材をするためだ。

 局にクレームが入ることもあったが、放送してしまえばこっちのもの。

 あれこれ適当な理由を言い、面倒な視聴者は追い払っていた。

 少数の視聴者から文句がきても、数字さえ取れていれば上から何か言われることだってなかった。

 今回もどうにかなるだろう。

 彼女の心には、ある種の楽観的な思いがあった。

 渡辺と田口はまた村へと歩きだしたが、前田は歩く気配を見せない。

 彼は非許可の取材は行わない主義だった。


「嫌なら来なくていいわよ。その代わり、あんたの会社にはそれ相応の報告をさせてもらうけどね」

「……行きますっ! 行きますって……!」


 慌てて二人を追う前田。

 良心の呵責はあったが、村へ向かうしかなかった。





「……うわぁ~、美味しいジュースっ! これ、本当に林檎を絞っただけですか?」

「ああ、お嬢ぢゃんの言う通りだっちゃ。この地域は林檎が特産だがらね」


 渡辺たち三人は、村の商店で清涼飲料水を飲んでいた。

 採れたての赤林檎を絞った薄黄色の冷たいジュース。

 林檎特有の甘酸っぱい風味は、夏の暑さで蒸発した水分を程よく補給してくれた。

 それでも、東京のカフェよりだいぶ味が劣る。

 素材……というより、環境の雰囲気で感想が変わる渡辺は、特段美味く感じなかった。

 化野村は観光に力を入れているわけではないようだが、金を落とす客はありがたいはずだ。

 さりげなく、渡辺は高齢の女店主に探りを入れ始める。


「この辺りの山って、熊とかたくさん出そうですよねぇ。私、自然は好きなんですけど熊とかはやっぱり怖くて」

「んだっちゃね。どごがに熊の巣があるって話だっちゃ。んでも、気付げでいれば大丈夫だっちゃ。美味え山菜がたぐさん生えでっから。今の時期だど、フキやワラビが美味えね。お嬢ぢゃんも行っておいで」

「そうなんですかぁ」


 口では相槌を合わせているが、内心は馬鹿にしていた。

 山菜など食べるか。

 渡辺にとっては、田舎の自然などより都会のネオンライトの方が癒される。

 この老婆もここから出たことさえないのだろう。

 そう思うと、彼女は自分が特別な存在のように思えた。


「でも、熊は怖いですよ。だって、毎年裸の遺体が見つかるんでしょ? しかも、頭だけ食べられちゃってるなんて」


 高齢者は口が軽い。

 数多の取材経験から、渡辺は確信を持っていた。

 まずはこの老婆にカマをかけ、隠された秘密を引きずり出してやる。


「おめら見ねぁー顔だね。観光客がい?」

「え? ……ええ、東京から遊びに来てるんです。サークルの後輩たちと」


 突然話が代わり困惑したが、渡辺はすぐ考えていた嘘を述べた。

 前田と田口は軽く会釈する。

 観光客のフリをし、取材を行う計画だ。

 小型カメラは、田口のカバンの中で作動させている。


「だったら、来週までいるどいいよ。ちょうど花火大会があっからね」

「……花火大会?」


 店主の話に、渡辺は初めて素の気持ちを出した。

 こんな廃れた村でも花火大会などあるのか。

 それが正直な感想だった。


「十号花火の百発打ぢだっちゃ。夜が昼になるぐらい明るぐなるんよ。毎年、数発追加されるごどもあるどもね」

「はぁ……」


 老婆は嬉々として語るので、化野村の一大行事と思われる。

 そういえば、村役場の掲示物にもポスターが出ていたかもしれない。

 渡辺は視界にも入れなかったが。


「んでも、おめたぢが見られるがわがらねぁーなぁ」

「……え?」


 老婆がぽつりと呟いた。

 聞き返す間もなく、さらに告げられる。


「おめらは化野村の一員でねぁーがらね」


 不意に、渡辺は急速に眠くなってきた。

 抗えない強烈な眠気だ。

 初めて感じる睡魔に渡辺は危機を感じつつも、深い深い眠りの底へ落ちて行く。


(おめらは化野村の一員でねぁーがらね)


 意識が消える直前まで、その言葉がやけに印象深く反響していた。





「今年の花火も絶景だなぁ」


 有原は夜空を彩る光の花々を見て呟く。

 渡辺たちの行方がわからなくなってから一週間後、化野村では例年通り花火大会が開かれていた。

 村民たちの中に、渡辺と前田の姿は見えない。


「おーい、きぢんと撮ってるが?」

「はい、村長。ちゃんと撮ってますよ」


 天然パーマの細い男が、ヨトソン・デバイス製の旧式小型カメラで録画している。

 その年の十号花火は、追加で二発打ち上げられた。

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人花火 青空あかな @suosuo

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