第13話 牢獄の王

 広大なグリムアル魔法学校の敷地。その一角に、張り詰めた空気が流れていた。ただの生徒が通りがかってしまったならば、半泣きになって逃げ出すところである。


 その中心にいるのは、この学校の学長と『ただの生徒』ではない少年一人。


 少年――メルクリオの方が、先に口を開いた。


「アエラの動きに気づいてたんなら、もう少し急いで来てもよかったんじゃないか?」


 学長に対する彼の言葉は刺々しい。隣で聞いていたエステルはそれに驚きひるんでいたが、この場の誰も彼女の様子に気づいてはいなかった。


 リアンはメルクリオの方だけを見て、にっこりとほほ笑んだ。


「業務が立て込んでいたのです。それに……番人様の行動力と手腕を信頼しておりましたから」


 メルクリオはわずかに眉根を寄せた。その変化をどう取ったのか、リアンは話題をずらす。


「それと、目上の人を呼び捨てにするのはよくありませんよ。私のことは、せめて学長と呼んでいただかないと。どこで誰が聞いているかわからないのですから」

「おあいにく様、今の俺は『大図書館の番人』なんでね。あんたとは対等な立場だ。そうだろう?」


 リアンは右頬に手を当て「あら、まあ」と呟く。それから、葡萄色の瞳を静かに動かした――エステルの方へ。


「それならなぜ、わが校の生徒がそばにいるのでしょうね?」


 エステルが、ぎくりと全身をこわばらせる。メルクリオもさすがに顔をゆがめた。舌打ちしそうになったのを寸前でこらえる。


「さっき魔族が暴走した現場に居合わせたんだよ。まったく、大図書館に入るまで〈封印の書〉はきっちり見張っておいてもらわないと困る。管理が甘いからこういう事故が起きるんだ」


 メルクリオが大仰な動作も交えて返すと、リアンは少し眉を下げて口もとに手を当てた。


「あら……それは、多大なるご迷惑をおかけしたようですわね。申し訳ありません」


 その態度は一見しおらしい。しかし、瞳は鋭くきらめいた。


「エステル・ノルフィネスさん。あなたにも怖い思いをさせましたね」


 だからだろうか。そんなふうに言葉をかけられたエステルも、頬を引きつらせて激しく手を振った。


「あ、いえいえ! 確かにちょっと怖かったですけど……メルクリオくんが守ってくれたので!」

「そうですか。それはよかった」


 リアンはエステルに優しく相槌を打つ。しかし、視線をメルクリオに戻したとたん、事務的な口調に戻った。


「未納の〈封印の書〉の管理が不十分だったことは謝罪いたします。ですが……魔族の再封印が済んだのであれば、『事後処理』もきちんと行うべきではありませんか、大図書館の番人様?」


 ささやく声は高く、しかし冬の風のように冷たい。聞こえていたのか、エステルが肩を寄せて身震いした。対するメルクリオは、腕を組んで瞑目する。出かかっていたため息をのみこんで、再び学長を見据えた。


「そのことなんだけどな。ヴェルジネ・リアン殿、あんたに折り入って相談がある」

「なんでしょう」

「エステルさんが記憶の消去を拒んだんだ。打ち消しの魔法まで持ち出して」


 エステルがぎょっと目を剥いた。リアンも、軽く目をみはる。彼女たちが何か言いかけたのを、メルクリオは手で制した。


「『潜入中、生徒に正体を知られた場合、その生徒から番人に関する記憶を消す』――この取り決めは、生徒を守り、今回の調査を円滑に進めるためのものだ。生徒を傷つけるためのものじゃない。だから俺も、ここまでして嫌がる生徒に対して無理に魔法は使えない」


 滔々とうとうと語るメルクリオを、リアンはにらみつけた。番人に対する冷ややかな感情を隠すのはやめたらしい。


「かといって、番人のことを知ってしまった生徒をそのままにしておくのは危険すぎます」


 メルクリオは、彼女の視線と言葉を平然と受け止めた。


「もちろん承知している。そこで、だ。いっそ彼女を大図書館の関係者にしてはどうだろうか」

「……どういうことでしょう?」


 リアンの問いかけと、エステルの息をのむ音が重なった。メルクリオは、静かにエステルを手で示した。


「グリムアル大図書館の番人、メルクリオ・アルス・カドゥケウスは、エステル・ノルフィネスを助手として迎え入れたい」



 沈黙が落ちる。乾いていながら、肌に貼りつくような沈黙だ。物音ひとつ立てるのもはばかられるような空気の中、それを作り出した張本人だけが淡々と口を動かしていた。


「彼女は、先ほど暴走した魔族の封印を手伝ってくれた。魔法の才もなかなかのものだが、魔族を前にしてもひるまず、適切な行動ができていたのが何よりもすばらしい。大図書館に入っても、俺と館長の監督の下でなら十分やっていけると思う」


 淡々とそこまで語ってから、メルクリオは改めて、エステルとリアンを順繰りに見る。


「ただ、彼女はグリムアル魔法学校の生徒――それも新入生だ。だから、学長のあんたに話を通して、ついでに意見を聞いておきたかった」

「……話はわかりました」


 リアンは、考え込むそぶりを見せつつもそうささやく。それから、居住まいを正して生徒二人に顔を向けた。


「正直に申し上げますと、私は賛成できません。認可生ですらない新入生を大図書館に入れるのは……。今回のように、魔族の暴走に巻き込まれる可能性もありますでしょう」

「もちろん。ただし、その危険があるのは認可生も同じだ。あんたは記録でしか知らないだろうけど、俺が番人になって間もない頃にそういう事件があった」


 えっ、とエステルが声を上げる。目を丸くして振り返った少女に、メルクリオは視線だけを返した。


「そのときは生徒の命こそ守れたが、その後しばらく大図書館の運営が滞った」

「それならばなおさら、人を入れるべきではないのでは?」

「一理ある。俺も基本的には同じ考え方だ。けど……認可生と助手には、決定的な違いがある。何かわかるか?」


 試すように、あるいは挑むように。メルクリオはリアンをにらんだ。彼女は、涼やかな表情のまま答えを口にする。


「〈封印の書〉がある地下への立ち入りを許されるか否か、ですね」

「そう。もっと言えば、封印されている魔族の情報を知れるか知れないかの違いだ」


 認可生が入れるのは、貴重かつ無害な書物がある一般書架の区画だけで、〈封印の書〉のことも詳しくは知らされない。一方、番人の助手はグリムアル大図書館の関係者という扱いになる。当然、館内のほとんどの部屋に立ち入ることができるし、〈封印の書〉の扱い方や魔族についても番人たちからきちんと教わる。


 仮に両者が同じくらいの力を持つ魔法使いで、同じ状況で魔族に遭遇した場合、どちらが安全に対処できるか――結果は火を見るより明らかだ。


「魔族がどういう存在かを身をもって知ってる人の方が、こちらとしても守りやすい。どうせ大図書館に入れるなら、認可生より助手の方がマシだ」

「なるほど」


 相槌を打ったリアンはけれど、あからさまに吐息を漏らした。


 ため息をつきたいのはこちらの方だ、とメルクリオは胸中で呟いた。少女を見やって眉間にしわを寄せる。それをどう取ったのか、エステルは少し唇を尖らせた。


 二人の無言のやり取りを見ていたリアンが、エステルに視線を滑らせた。


「この件について、エステルさんご自身はどう考えていますか?」

「え?」


 水を向けられたエステルが、己の顔を指さしてぽかんとする。学長が微笑を崩さないままでいると、彼女は頼りない声で言葉を紡いだ。


「私は、えっと……どうしても大図書館に入りたくて。入って、見たいものがあるんです。最初は本当にそれしか考えてなくて」


 揺らいでいた声は、けれどだんだんとしっかりした音になっていく。エステルは、深呼吸をしてリアンを見据えた。


「けど、今は違います。目的のため、だけじゃなくて。メルクリオくんを助けたいんです。ずっと一人であんなに怖い魔族に向き合ってきた、大図書館の番人さんを。私にできることがあるんなら――助手でもなんでもやります。やりたいです」


 曇りなき言葉が、静かな通路に響き渡る。


 リアンは魅入られたかのように、エステルの顔を見つめていた。エステルの方も、決して視線を逸らさない。


 ひとときの空白。その終わり、リアンがわずかに顔を伏せて、吐息をこぼした。


「……そうですか」


 空気と同化しそうなほどに小さな声でささやいて、彼女は口の端を持ち上げる。けれど――目は笑っていなかった。


「エステルさん。あなたの気持ちはよくわかりました。話してくださって、ありがとうございます」


 穏やかな声がけに対し、エステルはこくこくうなずく。その顔がなおもこわばっているのは、相手の言葉すべてが本心から出たものではないと、察しているからだろう。


 リアンは少女の反応を意に介さず、やわらかく言葉を繋いだ。


「ひとまず、エステルさんは教室に戻ってください。タウリーズ先生には私から報告しておきます」

「え? あ、で、でも……」


 目をしばたたいたエステルが、遠慮がちにメルクリオを見る。彼はどうするのか――と言いたげな生徒を一瞥した学長は、もう一人の生徒の前に手を広げ、そのまま肩にそっと置いた。


「メルクリオさんは少しお借りします。話し合いたいことと伺いたいことが、まだありますので」


 メルクリオは、思いっきり顔をしかめて彼女をにらんだ。



     ※



「……どういうおつもりですか?」


 エステルを強引に教室へ返した後。校舎へ戻り、ひと気のない廊下に差し掛かると、リアンはやおら口を開いた。先ほどとは打って変わって、その声音はひどく冷たい。


 しかし、メルクリオは露ほども動じず女性を見上げる。彼にとっては、こちらの方が馴染みのある態度だ。


「どうもこうも。さっき話した通りだ」

「まだ隠していることがおありでしょう」

「聞きたいのか? 知らない方が幸せだと思うけど」


 メルクリオが即座に切り返すと、リアンは鋭く目を細めた。うっすらとにじみ出る敵意に反応してか、沈黙を守っていたルーナがメルクリオとリアンの間に割って入る。メルクリオは、警戒態勢の精霊を手で制した。


「最低でも私とタウリーズ先生には共有してください。オロール政府に報告を上げるかどうかは、こちらで判断します」

「承知しましたー」


 投げやりに答え、メルクリオは半歩前に出る。それを追うように問いかけが飛んできた。


「あなたが隠しているのは、エステルさんのお父君に関することですか」

「なんだ、わかってるんじゃないか」


 靴音がやむ。立ち止まったリアンは、いらだたしげにかぶりを振った。


「……嘆かわしいことです。あなたに関わった人々は、次々と狂っていく。シリウス様も、クロノスさんも……彼女も」

「その発言、俺はともかくあいつらにはとんでもなく失礼だぞ。グリムアル魔法学校の学長ともあろうお方が、そんなこと言っていいのか?」


 メルクリオは呆れて振り返った。リアンの表情は真剣そのものだ。葡萄色の瞳は澄んでいる。――どこまでも純粋に、彼らを憂い、メルクリオを嫌悪している。


 湧きあがった不快感を押し殺して、メルクリオは目を閉じた。


「まあな。今の大図書館が何かと人を狂わせる、ってのは否定しないよ」


 元を辿れば、メルクリオとルーナも狂わされた側なのだ。


 仕返しとばかりに投げた言葉は、リアンを沈黙させた。しかし、少年に向けられるまなざしは鋭いままだ。


 メルクリオは身をひるがえし、学長と対峙する。不敵な微笑を口もとに刻んだ。


「心配しなくても、エステルは大丈夫だ。あいつは、大図書館ごときに狂わされるほどやわじゃない」


 メルクリオは断言する。一週間に及ぶ攻防を思い出せば、それは難しいことではなかった。


 大図書館の番人の言葉を、どう受け止めたのか。ヴェルジネ・リアンは眉をひそめて歩き出す。


「……いいでしょう。エステルさんが番人の助手となることを認めます。ただし、いくつか条件はつけさせていただきますよ」


 ぽつり、ぽつりと言いながら、彼女は少年を追い越していく。当の少年も平然と反転し、彼女の隣に並んだ。


「十分だ。感謝する」

「どのみち、あなたが決めた大図書館の人事に口出しすることはできませんわ。あなたはグリムアル大図書館の番人であり、王なのですから」


 棘を含んだ切り返しに、メルクリオは苦笑する。


「王、ね。牢獄の王様とは、なんとも滑稽なもんだ」


 リアンは何も答えない。二人分の靴音だけが、廊下に響きつづけた。

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