第10話 秘密

「ねぇ、もう止めない?」


 棗先輩の目的を知ったその日、【怪異考察部】を後にした瞳は極めて冷静に言った。


「……」

「怪異に会いたいって絶対ヤバいヤツじゃん。あんなモノに会いたがるなんて正気を疑うね」

「……」

「怪異なんて、出会わない方が良いに決まってる。こんな事に関わるなんて止めた方が良いよ。絶対面倒くさいことになる」

「……今日はよく喋るね」

 それまでただ黙って瞳の横を歩いていた早紀が苦笑交じりに呟いた。

「早紀こそ。今日は静かじゃん。――何考えてんの?」

「私が考えてること何てアノ時から一つだけだよ。ねぇ瞳、棗先輩に私たちの事――」

「ダメ」

 意を決したように早紀が紡ぎかけた言葉を、しかし、それは紡がれる前に瞳の小さく、鋭い言葉で否定された。

「……瞳。でも」

「ダメ」

「でも、それじゃあ――」

「ダメ」

 強い否定。

「絶対にダメ。【怪異考察部】に入るくらいならお遊びの範疇で許せるけど、それ以上はダメ。そうなったら全力で止めるから」

「――分かった。ゴメン」

 それでも早紀は何か言いかけたが、瞳の顔――普段にも増して表情を消したその顔を見て口を閉ざした。


「はいっ。この話はお終い。ゴメンね。そもそも私が止めようなんて言ったのが悪かったね。大丈夫早紀の好きにして良いよ」

「うん。分かってる」


 ※


 大変な日だった。

 今日ばかりは瞳も日が変わる前に就寝した。

 心身の『心』の部分が予想以上に疲弊していたようだ。

 と、そこまで考えて、私が心なんてと可笑しくなった。


 瞳は普段夢を見ない。

 いや、正確には見ているかもしれないが、覚えていない。

 しかし、心の疲労の為か――心が悲鳴を上げるなど今の瞳にはありえないが、あり得ない事が起きることも起こりうるのが人生だ。 

 瞳はその事を何年も前から実体験として――実体験として知っていた。

 故に、見ないはずの、覚えていないはずの夢を見た。

 夢というには酷く曖昧で、声だけが印象に残るようなそんな夢。


「……ん~ん。変な感じ」

 ムクリと起き上がった瞳は枕もとのスマホを確認する。

 時刻は午前六時。

「……」

 何度か目を擦って確認するが、両目に入ってくる視覚情報に変化はない。

「……シャワーでも浴びるか」

 パジャマにしてる中学のジャージが汗で湿っている。

 地球の代謝が上がってから久しいとは言えまだ四月も初め。気温も服が寝汗で深い不快感を感じるほど高くはない。

「……やっぱり、さっきの夢のせいかな」

 まだ重たい体を引きずるように歩きながら部屋を出て、一階のお風呂に向かう。

 途中両親とすれ違い何故だかギョッとされたが、それよりも今はこの体に纏わりつく不快感(不快感を感じるなどいつ振りだろうか)を汗と共に洗い流したい。


「ふぃ~。生き返るぅ」

 熱めのシャワーを頭から浴び、目が覚めてきた。

 頭と体がようやく覚醒する。

「そう言えば、久しぶりに動いてるお父さん見たな」

 先程廊下ですれ違った、家人の事を思い出す。

 普段であれば瞳が寝室で趣味に興じている頃に帰宅し、瞳が起きる前に出勤する。顔を合わせたのは半年ぶりくらいではないだろうか。

「……久しぶりに見た娘がゾンビみたいに歩いてたら、誰でもギョッとするわな」

 先程の自分の様子を振り返り、脳内で『ゴメン』と謝罪する。

 瞳がお風呂から出ると両親ともに出かけるところであった。

「……あ、行ってらっしゃい」

「あ、ああ」

 どういう態度でお父さんと話せばいいか分からなかった。それは向こうも同じ様子。二人して明後日の方を見ながら声をかけた。

「早起きするのは良いけど違う日にして欲しかったわ。今日大事な商談があるのに雨が降ったらどうするのよ」

 お父さんとは正反対にズバズバモノを言うお母さんである。

「じゃあね。たまには朝ご飯食べなさいよ」

 それだけ言い残し、バタバタと出かけて行った。

「……ハハ」

 二人が出かけた後には瞳の苦笑いが玄関い吸い込まれていった。


「あれ、瞳? 嘘、どうして」

「あ、おはよー」

 自分より先に駅のホームに立っている瞳を見て、瞳の顔と自分のスマホを何度も見返す早紀。 

「……はよー。昨日は疲れたんで早く寝たの。そしたら夢見が悪くてね。目が覚めちゃった」

 瞳早くも重たくなってきた瞼を擦りながら早紀に今朝の夢について説明した。

 とは言っても、夢の内容自体はもうあまり覚えていない。しかし、はっきりしていることもある。

 瞳が見ていた夢が間違いなく悪夢と呼ばれるモノであったという事だ。

 今でも思い出そうとすると背中に汗が滲み、首や腕に鳥肌が立つ。

 それなのに夢の内容は覚えていない。

 早紀に話しながら、瞳は喉の奥に魚の骨が刺さって取れないような、何とも苦々しい顔をしてた。

「あぁ、私もそんな時あるよ。夢って起きてすぐは覚えているけど、だいたいすぐ忘れちゃうんだよね。瞳みたいな悪夢なら良いけど、なんか良い夢見たなって時は思い出せないと悔しいんだよねぇ」

「へぇ、そういうものなんだ」

 早紀の言う事は、普段夢を見ない瞳としては初耳であった。

「そりゃ、瞳はいつも三時間くらいしか寝ないから、夢何て見ている暇がないんでしょうけどね。普通は寝ている間に何回か夢を見ているっていうよ」

「ほぉ」

 早紀のいう事が事実であれば、皆毎朝今瞳が感じている何とも言えないモヤモヤした感じを味わっているという事になる。

「……無駄に早く寝るもんじゃないね」

「いや、何でそうなるかな」

 瞳の呟きに早紀は『もぉ』と呆れた声を出した。

 その後、電車の心地よい揺れに撃沈した瞳は早紀に起こされるまで意識を手放すこととなった。


 そして放課後。

「さっ、行くよ」

 何故かやる気満々な早紀に今日も捕まった。

「行くってどこへ?」

「日向先輩のところに決まってるでしょ」

「えーまたー?」

「当たり前でしょ。先輩も好きにしていいって言ってたんだし、まずは目標の人となりを知らなくっちゃ」


「アナタ達また来たの?」

 呆れたと迷惑を足して二で掛けたような顔をされた。

「はい。好きにしていいって言われたので」


 早紀と瞳は昇降口で日向先輩を待ち伏せしていた。

「あっそ。後悔しても知らないから。……あと、気持ち悪いからあんまりこっち見ないでくれる」

 相変わらずの酷い言いぐさだ。

「特にアナタよ」

 早紀のお付の人宜しく後ろに控えていただけの瞳に辛辣な言葉が飛んできた。

「おっと。コレは失礼」

 苦笑する。

 大人な私は軽くスルー出来るのだ。

「何なのアナタその顔? 笑っていても、怒っていても感情が乗ってるのはその口調にだけ。。アナタと話していると聴覚と視覚の乖離で可笑しくなりそうだわ」


「……」

 

 ザァ


 世界に静寂が降りた。

「あれ? オカシイな? 笑えてないですか?」

 瞳は不思議そうに自分の顔を触りながら口角を持ち上げた。――その目は伽藍洞のままで。

「ひっ」

 日向先輩が小さく悲鳴をあげた。

「瞳止めなよ。その顔じゃ私だって怖いよ」

「そうか〜。分かった」

 早紀に言われてようやく納得し、顔から手を話した。


「先輩コレからお茶しませんか?」

「え? 急に何?」

 早紀のいきなりの誘いに、日向先輩が怪訝な視線向けた。

 一瞬早紀が瞳を一瞥する。

 こうなっては仕方がない。

 瞳は無言で軽く頷いた。


「先輩に秘密があるように、私達にも秘密があるんです」

 


 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瞬きの向こう側 菅原 高知 @inging20230930

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ