あぶくたった、にえたった
桐谷
零
人形は皆,自らの力で輝くことはできない。陽の光を浴びてようやく自身の形に気付いても,永遠に喉が渇いていることや,悲恋を知って涙を流すこともない。殴られても,蹴られても心が痛むことはない。あらゆる人間の愚行が,その精神が壊れることに結びつくことはない。悪口を言われることはあっても,その言葉の真意を読み取って傷つき,振り回されることはない。人形が恐れるのは,その身体に教えられた最低限の道徳が破られ,身体が壊されることのみである。
決して楽な身体ではない。人間に比べて遥かに痛む速度の早く,日々を繰り返す度に褪せていき,意識が滲んでいく身体。桐の木箱の中,防腐剤に包まれながらひっそりと糸が切れるのを待っている。
僕は確かにこの身体は人間である,と断言できる力を少しずつ失っていった。今着ているこの服はいつから着ていたかとか,前回の食事が昨日だったか一昨日だったかも分からなくなる。まるで,僕の体から僕の魂だけが消えていっていると感じさせるかのように。
この星の誕生,終末,僕らが生まれた意味,生きていく意味,宇宙規模の大きなことから小さな小さな僕の悩みまで。その全てを何から何まで話せるものなど,どこにもいない。
だから,僕を諭せるものもこの世にはいない。僕を僕として話せる人物は,たった一人も存在しない。
僕にとって不必要な動物と「共存」なんて,僕には到底できない。
こんな小さな星の上で何を悩む必要がある。不要なのであれば,捨てればいいだけだ。
人間がどんな生き物よりも複雑であることは,きっと誰もが分かっている。だからこそ僕は,そんな複雑な構造を受け入れず,思うままに生きていこうと思う。
そして僕は,一体の人形との「共存」を選んだ。
小さな星の上の小さな家で,僕は彼女を愛する。
必要なのであれば,作ればいい。
そして,僕は人形を作った。彼女「百合」は,僕の永遠の恋人だ。
彼女は僕が望んだことを思ったように行動してくれる。僕の全てを肯定し,静かに笑うただの人形だ。
『もう今更思い出すなよ。』
暫く星の下にいて気付かなかったけど,あの鈍い光は僕の皮膚には強すぎたみたいだった。触れる度に,頭痛がして,身体中のあらゆる場所がギシギシと痛む。その痛みから得たものもあったけれど,僕はそれが耐えられなかった。
もう分かったよ。約束する,君たちの前には現れない。
『やっぱり避けるんだね。』
僕の孤独と君の孤独は,パズルのピースのように単純な構造ではなかった。僕はすっかり嵌まったものだと思っていたら,君は段違いになっていたピースを隠して黙っていたんだから。
僕は,ただ君の拒否を受け入れただけだ。
『ずっといらいらしてた。』
雫が落ちるよりも速く,星の割れ目は僕の直ぐ側まで来ていた。それを避ける時間などなく,焦った僕は君を突き飛ばした。
『誰も悪くない,私が悪い。』
くたびれた星の地中に眠る宝なんかに誰も興味はない。水も植物も生えていない星に,手にする価値のある宝など無いことは誰もが予想できることだろう。
その星の宝の価値は,その星の住民にしか見出だせない。他の星の住民にとっては価値がないように思えても,誰かにとっては何より大切な物だったりする。
僕はもしかしたら,君にとっての宝をいつの間にか酷く扱っていたのかも知れないね。
『大好き。』
君を抱き締めた時の匂いや,君の手の感触をそう簡単に忘れることはできない。ずっと側にあったんだ。消したくはない。君の中の僕はすっかり化け物になってしまったかも知れないけれど,僕の中の君の形は暫く変わることはなかった。
でも,少しずつ僕の中でも君が壊れ始めている。今では,いっそ死んでくれないかと考えることも少なくない。
僕が悪いんじゃない。僕の周りにいる人間がすべて僕に合わなかっただけだ。君のことも含めて,僕は人に恵まれていなかった。
でも,もう今更君は必要ない。僕は美しい人形を手に入れたんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます