それゆけ!愛山高校ソフトボール部!

浅井夏終

第1話 時代は卓球でしょ!

 ……俺が部室に入って来て数分。


 このソフトボール部の部室には無言の空気が流れていた。

 狭い部室の中央に置かれた長机。

 その左奥には部長である秋野もみじ先輩が頬杖をつき、栗色のショートカットの頭をポリポリと掻きながら窓の外に顔を向けて物思いに耽っている。


 その向かいに副部長の夏山みどり先輩。

 黒いセミロングの髪を耳にかけて何やら英語の勉強をしているようだ。

 カッカッカと小気味良い音を立ててペンを走らせている。


 そしてその隣、つまり俺の真向かいに座る春丘さくらは肘を机につき、両手で顔を受け止めてスースーと寝息をたてている。

 完全な居眠り。愛らしいポニーテールがだらんと逆さにはだけている。

 

 そして最後に俺、冬木雪太朗。

 以上のメンバーからなる学校公認ギリギリの人数で活動している愛山高校ソフトボール部は、今から俺が口にする言葉であえなく消滅する運命にある。

 その事を考えると心苦しいが、もう前から決めていた事、仕方がないのだ。


「――――うーん……卓球でもしましょうか」


「……え?」


 俺が口を開く前に部長が発言してしまう。

 しかも、いつもの思いつき発言。

 そう、これのせいで俺は頭を悩まし、遂には決断したのだ。


 このソフトボール部は俺が部長にスカウトされて(未だに理由はわからない)入部して以来、まだ一度もソフトボールをしていない。

 ……もう半年経つというのに。

 来る日も来る日も、何もしないか別の遊びをしながら過ごし、ダラダラと時間が過ぎるのを待つ毎日。

 それでも「今日こそは!」と信じて毎日部活に顔を出していたが、もう限界だ。俺はここを辞めさせてもらう。今日はそれを言いに来たのに、俺より先に部長の発言が部室に響いてしまった。


「いいわね。楽しそう」


 夏山先輩がノートを閉じてニッコリと笑う。

 去年、一年生ながらにして大差で学校のミスコンを取ってしまった美貌はこんな近くで見る事も恐れ多いくらいだが、この人は人格者でありながら、何故か部長の言う事だけはどんな事でも賛同してしまう危険人物だった。


「さんせーさんせーさんせー!」


 春丘がガバっと顔を起こし、手を挙げる。

 その口元にはよだれの後がついていた。

 こいつは俺と同じクラスの女子。そしてその女子の中で一番活発で誰よりも笑い、周りを明るくさせるムードメーカーのような存在だが、果てしなく楽観的で少しバカだった。


「決まり。じゃあ着替えて体育館に行きましょう」

 パンと手を叩いて部長が立ち上がる。

「ちょ! ちょっと!」

「どうしたの? チョメ太朗」

「だからその呼び方はやめて下さい! 雪太朗です!」

「どうでもいいわ。それより何? 早くして頂戴。こうしている間にもあの小さくて可愛いピンポン球がラケットでシバかれながら天板に叩き付けられ続けていると言うのに」

「卓球を変な言い方しないで下さい! じゃなくて、その……」

「どうしたの冬木君? 何かあった?」

「もー、雪ちゃん。早く卓球しよーよー!」

 俺は立ち上がったまま固まってしまう。

 俺の口が開くのを待っている三人の顔を順々に見てグッと唾を飲み込んだ。


 ……い、言えない。


 これは言える雰囲気じゃない。

 こうじゃなくて、もっと注目度の低い時にサラッと言ってしまいたかったのに、これじゃプレッシャーが半端じゃない。

 俺がこれを口にしたら卓球にワクワクしている三人の顔は瞬く間に曇ってしまうだろう。そしてそのままソフトボール部は解散。

 ……ダメだ。

 こんな注目を集めながら面と向かって言える訳がない。


「……もういいわ。とりあえず体育館に集合ね。話は後で聞くわ。じゃ」


 部長は固まる俺の肩を叩いて、部室を出て行く。

 それに続いて夏山先輩も「何か悩みがあるなら何でも相談してね」と笑顔で去って行き、春丘は「よーし! 雪ちゃん卓球でしょーぶだー!」と背中をバシンと叩いて出て行った。


 ガラッと閉められた引き戸。

 部室に残された俺は、とりあえず体操着に着替えて体育館に向かった――――。




 卓球部が使用しているのは第一体育館。

 この愛山高校は体育系の部活が有名で、体育館は第三体育館まであり、校庭も二つ、そしてかなり広い。

 ただ、その分、文科系の部活にはあまり力を入れておらず、文化部員達は例外なく小さな部室で細々と活動していた。

 しかし、我がソフトボール部は体育系のはずなのだが、何故か校庭は割り振られておらず、それどころか文科系とまとめて旧校舎の狭い部室を割り当てられていた。

「あら。早いじゃない。そんなに卓球したかったの?」

「いや……そう言う訳じゃ」

 俺が体育館に入って五分後に部長達はやって来た。

「わー! 精が出ますねぇー!」

 春丘は目の前でひたすらラリーを続けている卓球部に歓喜する。

 目の前には卓球台が十二台。シングルスやダブルスの面々はカコンカコンとリズミカルな音を立ててピンポン球を打ち返し続けていた。

「もみじ見て。向こうはバドミントン部がやっているわよ」

「みどりは昔からバドミントン強いからなぁ」

「あら。もみじも強いじゃない。謙遜しちゃってー! もー!」

「おーおーおー」

 夏山先輩は部長の肩を何度も小突く。

 部長は表情も変えずにゆらゆら揺れて止まる。


「さて。用具一式と台を借りて来ますか」

 部長は卓球部の隙間をスタスタと歩いていく。

 俺達はとりあえず邪魔になりそうなので入り口の前で帰りを待つことにした。

 うちの部長は一応「部長」なので毎月行われる部長会に出席している。

 そのため、各部の部長とはみんな知り合いで、こんな時は顧問をすっ飛ばしてその部長同士の繋がりの力をいかんなく使い、そしてその類い稀なる話術でいつだって断られる事はなかった。

 更に凄いのはこの部長、なんと文科系の部長会にも出席しており、繋がりは全部活に及んでいるのだ。

 一体ソフトボール部は何系に分類されているのだろうか。


「オーケー。試合もまだ先だし、面白そうだから是非やりましょうってさ」

「わーいわーい!」

 春丘が飛び跳ねて喜ぶ横で夏山先輩はパチパチと優しく拍手をする。

 その横で首を傾げていた俺は部長に質問してみた。

「……やりましょうって何をですか?」

「だから卓球よ」

「じゃなくて……卓球部と何かやるんですか?」

「だから試合よ」

「じゃなくて……って。えぇ!」

 卓球って、俺達だけで遊ぶって意味じゃなかったのか?

 何でいきなり卓球部と試合する事になっているんだ?

 何よりさっき台と用具借りて来るって交渉しに行った筈なのに、何でこんな事になっているんだ?

「何か、話の流れでこんな事になっちゃったけど。安心して頂戴、負けた際の罰ゲームは全てチョメ太朗が担う事になっているし、その後は台を一台借りて遊べるようにしてもらったから」

「わーい! 試合なんて燃えるなー! 勝ちましょうね!」

「卓球はそんなに得意じゃないんだけど、もみじが言うなら」

 固まる俺を差し置いて女子部員達は勝手に盛り上がり始める。


 おかしいぞ……?


 大体、向こうから一試合してくれたら卓球台貸してあげるなんて言うはずがない。

 勝ったら貸すじゃなくて試合したら貸すなんてありえないだろ普通。

 そんな流れは考えられない。

 絶対、話の流れじゃなくて部長から言い出したに違いない。

 部長はいつだってそうだ。

 この人は自分が面白ければそれでいいのだから。

 人生にスパイスを求め続けるどうしようもない女と変わらない、ちょっと可愛くて栗色のショートカットが似合ってて少しだけコアなファンが居てしかもそんな事全然気にも止めてなくてそれで……それで……


「――――って、罰ゲーム俺だけってどう言う事ですかー!」


 俺はすごく重要な部分に今更気付き絶叫する。

 体育館中に鳴り響いた声に卓球部員とバドミントン部員は、一瞬止まるが、俺達を確認してまたラリーを続けた。

「ちょっと大きな声出さないで」

 部長は俺の両肩に手を置いて優しく微笑んだ。

「大丈夫よ。そんなに心配しないで。たかがスキンヘッドになるくらいで男の子が騒いじゃダメよ」

 言い終わりのウインクで俺の心はトロトロに溶けて……いくわけない。


「ス、スキンヘッドーーー!?」


 部長は俺の絶叫に耳を塞ぐが表情は特に驚いている感じもない。

 その少し後ろで人差し指を耳に入れながら夏山先輩が困ったように笑って、その横で春丘は腹を抱えて笑っていた。

「大丈夫。きっと似合うわ」

「似合うわけないでしょ! ってか何でもう負ける前提で話してんですか!」

 スキンヘッド。そんな頭が許される高校生はとてつもないワルか、とてつもない強さを持っているスポーツマンだけだ。

 こんな体育系か文科系かもわからぬソフトボール部に在籍している俺がいきなりスキンヘッドになったらきっとクラスの奴らが俺を中心にしてサークル上に広がり、お前聞いて来いよ。いや、お前が行けよ。って小競り合いをしている中、俺は黙って俯きながら机の木目を眺めて「あ、ここ顔みたいに見えるなぁ」とか考えて聞こえないフリしながら現実逃避に必死になっているんだ。


 ……ダメだ。今直ぐ辞めよう。

 こんな部活とはオサラバだ。ってかこんなの部活じゃない!


「あの! さっきのはな……し……」

「その通りね。やるからには勝たなきゃ。チョメ太朗にしては良い発言だったわ」

「そうですよー! 絶対勝ちましょう!」

「そうね。冬木君の為にも頑張らなきゃ」

 俺が口を開いた時にはもう遅かった。

 既に三人は少し離れた所に居て、しかも何だか妙に燃えていた。

「あ、あのー……」

「大丈夫よ! 勝ちましょう! でも負けたらゴメン!」

 そーっと呼びかけるも、振り向いた部長は既にやる気満々で親指を立てる。

 でも、やっぱり負けた時の事は意識しているみたいだ。

「雪ちゃん! だいじょーぶ! 私こう見えて卓球ちょー得意だから!」

 白無地の半袖を腕まくりする春丘の横で夏山先輩も強く頷いた。

「私も全力で勝ちにいくわ。冬木君に罰ゲームなんかさせない!」

 おー! と拳を上げて声を揃える三人。

 そんな人たちに最早「退部します」なんて言える訳もなかった。


 俺、スキンヘッド似合うかな……?




「―――よろしくお願いします!」

 卓球台を挟んで並び、礼をする。

 相手は女子卓球部員で、しかもメンバーはその中からくじ引きで選抜した為、学年も強さもバラけているようだった。

「とりあえず、順番は先鋒にさくら。次鋒にみどり。副将はチョメ。そして大将は私でいきましょう。あっちには部長の大山さんがいるけど。彼女はきっと大将をやるはずだから私が迎え撃つ。いい? 勝つわよ!」

 円陣の中央に手を重ねて、おー! と気合いを入れる。

 俺はもう名前に何ら関係のない「チョメ」としか呼ばれていない事に対してツッコミを入れている余裕もなかった。


「それでは先鋒! 前へ!」


「はーい!」


 春丘が元気良く手を挙げてニコニコしながら前へ出る。

 向こうのオーダーは同じく一年。

 しかし、卓球の特待生で入って来た小野さんだった。


「うーん……これはいきなり旗色悪いわねぇ」

 椅子に座り腕を組みながら悠長にそんな事を言っている部長の横で俺は声がかれるくらいに檄を飛ばす。

「春丘ー! 行けるぞー! いい流れだ!」

「ちょっ、ちょっと冬木君! まだ始まってないわよ!」

 夏山先輩の宥めも俺にはもう通用しない。

 俺は叫び続けた。

 負けたらスキン、負けたらスキン。


 ……絶対に嫌だ!


 春丘はこちらに手を振ってサーブの構えに入る。

 試合開始!


「いっくよー! それ!」


「お! 王子サーブ!?」


 春丘はいきなりかつて日本卓球界でブームを起こした技を使い、素人では絶対に出せないプロ顔負けのスピードと回転をかけたサーブを放つ。

 いきなりの本格的なサーブに小野さんは虚をつかれて球を弾いてしまった。


「よっしゃー!」


 女子卓球部員側がどよめく。

 無理もない。だってめちゃすごいんだもん。

 いや、何でこいつソフトボール部なの?

「春丘ってほんとスポーツ好きよね」

「うんうん。素直で明るくて可愛らしいし。ホントに素敵!」

 そして何でこの人達こんなにのほほんとしてるの?

 ……い、いや、まぁいい。そんな事より試合だ。

 これはもしかしたら勝てるかも知れないぞ。いい流れだ!


 しかし、そんな俺の期待も束の間。

 さすがに小野さんも卓球特待生だけあって春丘に一歩も引かない。

 壮絶なラリーの応酬に、春丘が一点リードしては直ぐに小野さんが返して同点に並ぶという手に汗握る大接戦になっていた。

 思わぬ一年ホープの苦戦に卓球部員の応援にも自然と熱が入る。

 もう一度言う。


 春丘、何でお前はソフトボール部にいるんだ!




「――――ゲームセット! 勝者! 春丘!」


「やったー!」


 大接戦を制し、飛び跳ねて喜ぶ春丘は負けたのに清々しく笑う小野さんと何か話した後、固い握手を交わし戻って来た。

「良くやったわ。お疲れさま。ところで最後何話してたの?」

「いやー! また勝負しましょうって! ライバルが出来て嬉しいわって言われちゃいました!」

 春丘は照れながら頭を掻く。

 夏山先輩が「すごい! とってもかっこ良かった!」と拍手をする横で俺は大事な一勝を噛み締めていた。

「良くやったぞ春丘!」

「へへーん! 言った通りでしょ!」

 春丘とハイタッチを交わす。すると夏山先輩がスッと立ち上がった。

「次は私ね」

「みどり。ふぁいと」

「ん」

 二人はコツンと拳を合わせる。

 その姿に何だか絆を感じてしまった。


「続いて次鋒戦始めます!」

 真剣な表情で、はい、と返事をして歩き出す夏山先輩の姿は百合の花のように美しく、凛としていた。

「よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる夏山先輩に相手は慌てて頭を下げる。

 その美しさは女子までも見蕩れさせてしまう程だった。

 相手は先輩と同じく二年部員。

 どうやら昨年の新人戦三位の実力者のようだ。

「みどりーふぁいとー」

 向こうの熱の入っている応援とは裏腹に、部長はもう少し腹から声出るでしょうと突っ込みたくなるくらいのんびりとした声援を送っている。

 でも、夏山先輩はこの体育館に響き渡る声援の中でもしっかりと部長の声を聞き分けて手を振って答えた。

 これも絆か。

 だが、そんな部長は放っておいて俺はまたしても声が枯れんばかりに声援を送る。

 春丘も楽しそうに横で声を張り上げる。

 ……春丘、別に大声大会している訳じゃないって事は流石にわかってるよな?


「いきます!」

 夏山先輩が声を上げて構える。

 先ほどの春丘の件もある為、卓球部員も息を呑んで初球を見守った。


「そーれ!」


 先輩が打った球はポーンポーンと大きくバウンドしてゆっくり相手コートに入る。まさかのサーブに身構えていた相手はタイミングを外されて空振りしてしまう。


 卓球部員にどよめきが走った。


 あれは本気? それとも何かの作戦? 一体どっちなの?

 春丘の時より明らかに動揺している卓球部員。

 もちろん俺にもどっちかわからなかった。

 夏山先輩は頭が良いから頭脳的な作戦をしている可能性も大いにある。

 それにこの部長ののんびりっぷり。明らかに心配要らないといった様子だ。

 周りのどよめきが止まらない中、夏山先輩はニッコリ笑ってまたサーブを放った。


 ……ポーン、ポーン。


 違う! この人とんでもない素人だ!


 卓球部員達も俺も同時に察する。

 もちろん相手はすかさずスマッシュを打ち放って点を取り返した。

「やっぱりみどりは卓球苦手ねー」

「私、最初作戦かなって思っちゃいましたよー!」

「みどりってなんかこう、何でも出来るってイメージあるわよね」

「わかります! でも私からしたら部長もそんな感じですけど」

「そう? 意外ね」

 相変わらずほのぼのと会話をしているこちらサイド。

 こいつら、負けたら俺がスキンヘッドになるって事を忘れてんじゃないのか? 


 なんて、そんな事を考えているうちに点差はどんどん開いていく。

 それでも俺は声援を止める事はない。

 「もしかしたら……」その一縷の希望に縋るようにただただ声を張り上げた。



「ゲームセット! 勝者! 立川!」


 ……ですよねー。

 夏山先輩は相手と握手を交わしてこちらに戻って来た。


「ごめんなさい! 負けちゃった!」

「いやいや! 良いんです良いんです! 一生懸命なお姿、素敵でした!」

 戻って来るなり深々と頭を下げる夏山先輩に俺は慌てて声をかける。

「そうよ。苦手なのに良くやったわ」

「かっこよかったです! 夏山先輩の真剣な顔にもうときめいちゃいましたー!」

「ふふ。ありがとう」

 汗を拭きながら顔を上げて笑う夏山先輩。

 清々しいその顔は全力を出し切った後の表情だ。

 とても爽やかで美しく、スポーツのポスターにしたいくらいフレッシュさで溢れている。


 ……しかし、夏山先輩は最初の一点以降一回もポイントを取っていなかった。


「惜しかったわね。ほら、あの場面とか」

「あれも惜しかったですよ! ほらあそこ!」

「もう二人とも! 恥ずかしいからやめてよー!」

 からかう二人も、からかわれている夏山先輩も楽しそうに笑っている。

 その横で俺はいよいよ来てしまった出番に心臓が飛び出しそうになっていた。


 ポイントは1対1。


 これで俺が負ければスキンヘッドに王手がかかってしまう。

 そして大将は部長戦。

 ……あまりにも分が悪すぎる。

 しかし、俺が勝てば部長が負けても引き分けで終わる。

 最初から四人の団体戦だ。延長戦は恐らくないだろう。

 つまりこれが俺にとって運命を決める事実上決勝戦になる訳だ。

 自分の運命は自分で掴み取れってか。神様も手厳しいぜ!」


「次。副将! 前へ!」


「はい!」


 俺は声を張り上げ、威嚇するように胸を張ってノシノシと台へ向かう。

 だが相手はそんな俺の威嚇にも全く怯まず、堂々としていた。

 この余裕、恐らく二年生だろう。

 しかし残念だったな。

 俺は中学時代マルチプレーヤーとして色んな部活から重宝されて来た存在。

 惜しくも結果には繋がらなかったが、その悔しさから技術を磨く為にわざわざ愛山高校に入ったんだ。たとえ一学年上でも一介の部員が敵う相手ではないのだよ。


「副部長の吉川です。よろしく」


「あ……よろしくお願いします……え?」


 えーーーー! 嘘でしょ?


 先鋒が一年のホープで、次鋒が去年の新人戦三位で、副将が副部長で大将が部長って……もう本気じゃん! 公式戦じゃん!


「あ、あのー……ちなみに新人戦て……」


「あぁ去年の? 私が二位で部長が一位だよ」


 そ、総ナメじゃないっすか……今更だけど、これ本当にくじ引きで決めたの?

 何だかみんなして俺をスキンヘッドにしたがっているような悪意しか感じられないんだけど。


「それでは冬木君のサーブから」


「え? あっはい!」


 しかし、ここまで来てしまった以上、今更選抜方法に異議を唱えても仕方がない。


 勝て。勝つんだ雪太朗!


 それしかもう道はない!


「いきます!」


 運命の一戦が始まった。


 飛び交う声援(主に卓球部員の)の中、俺はフルパワーで副部長に牙を剥く。

 俺の実力を測っているのだろうか、彼女は何やら力を温存しているように見えた。

 これはチャンス! 一気に畳み掛けて流れを頂くぜ!


「せや!」


 最高のスマッシュが決まる。これは流石に彼女も返せない。


「おー」

「冬木君すごい!」

「雪ちゃんやるー!」

 団欒とした声援とパチパチとまばらな拍手が俺の横から届く。

 その雰囲気に思わず気が抜けてしまいそうになる。

 いかんいかん。集中!

 俺の一球でようやく相手も本気を出したのか、球の勢いが変わった。

 しかし、流れはこちらにある。

 俺は一本一本集中して打ち返していく。


 どんどん声援が遠ざかって聞こえ、球を打ち返す音だけが響く。


 全てがスローモーションで小さなコートと俺と相手以外は何もない世界。


 こ、これがゾーンか。


 どうやら俺は向こう側へ行ってしまったみたいだ。



「――――はっ!」

 相手のスマッシュが決まり、俺の頬を掠める。

 途端に時間の流れは元に戻り、声援が鳴り響いた。

「……流石、ですね」

「君もね。卓球部に入れば良かったのに」

 お互いニヤリと笑う。相手を認め合った瞬間だ。

 久しぶりの高揚感に俺はついつい罰ゲームの事も忘れて試合に没頭した。

 少しずつ点差は開いていくが、射程圏内に留めている。

 あともう一度流れを取り戻せば……逆転出来る! いけ俺! いけーー!





「……ゲームセット! 勝者! 吉川!」


 残念ながらそれは叶わず、俺はその点差を詰める事なく負けてしまった。

 卓球部員が盛大に声を上げる中、俺は副部長と握手を交わした。

「これで王手ね」

 その一言に俺は絶句した。

 しまった。もう後がない。って言うか既に九割がたスキンが決定したも同然ではないか。俺は勝利に沸く部員の元へと戻る吉川さんの反対に顔を向ける。

「ようやく出番ね。どっちにしようかな」

 部長はラケットをペンハンドとシェイクハンドどちらにするか迷っていた。

「前にやった時はペンハンドじゃなかった?」

「そっか。じゃあ今回はシェイクハンドでやってみようかな」

「部長。弘法筆を選ばずってやつですね!」

「いいえ。ただ興味がないだけよ。そんなに真剣にやった事ないし」

 よし、んじゃこれでいこう。とシェイクハンドのラケットをペンハンドの持ち方で持つ部長に俺は絶望した。


 スキンスキンスキンスキンスキンスキンスキンスキン……


 頭の中をリフレインする言葉。

 そして俺のスキンヘッド姿。

 終わった……俺の高校生活はもう終わった。

「もみじ違う違う。これはそういう持ち方じゃないわ」

「え? そうなの? もうめんどくさいからいいわよこれで」

「あははは! 部長斬新だなー!」

 そんな俺の気持ちも知らずに三人は楽しそうに会話を弾ませる。

 それを眺めながら俺は固まったまま動けない。

 部長はラケットを間違った持ち方で素振りをしながら俺の元へやって来た。

「ちょっとどきなさいよ。負け太朗」

 グイッと体を押されて俺は項垂れたままトボトボと自陣へと歩き出す。


「まったく……もう。こら、こっち向きなさいチョメ」


 俺は背中にかけられた言葉にゆっくりと振り向いた。

 部長は腰に手を当ててラケットを向ける。


「そんな顔してるんじゃないの。安心しなさい。秘策があるから。絶対勝てるわ」


 部長はそう言うとプイッと相手に向き直ってしまった。

 その姿は堂々としていて、頼りがいがあり、まさしく部長と言える姿だった。

 かつて、こんなに頼もしい姿を見せてくれた事があっただろうか。

 いつだって部長は突拍子もない発言をしては周りを巻き込み、部活動なんて一切真面目にしてこなかった。

 それがどうだ。今はこんなにも俺の為に戦おうとしてくれている。

 守ろうとしてくれている。


 ――――信じてみよう。その背中に託してみよう俺の運命を。


 俺はそう覚悟を決めて自分の席に戻る。

 すると春丘と夏山先輩も一生懸命に励ましてくれるので、感傷的になっていた俺はついつい涙を零しそうになってしまった。

 両部長が向かい合い、ついに大将戦が始まろうとしていた。

 ……果たして秘策とは。

 俺達もさっきまで騒いでいた卓球部員達も息を呑んで見守る。



「それでは大将せ……」



「――――おらー! 何やってんだお前ら!」


 審判のコールを遮って勢い良く開いた入り口から怒声が響く。

 瞬間に全卓球部員がそこに集い「しゃす!」と頭を下げた。

「なーに遊んでんだお前ら! たるんでんじゃないぞ! 練習しろ練習!」


「「「「「はい!」」」」」


 会議から戻って来た顧問の一声で場の空気が一瞬にして引き締まる。


 こうして、あえなく冬木スキンヘッドデスマッチは没収試合となった――――。






 ……カコン、カコン。


「うーん。やっぱ卓球って難しいわねぇ」

「もみじも苦手だもんね」

「しっかし、雪ちゃんの情熱には驚いたなぁ!」

「春丘の強さも謎過ぎるぞ」


 俺達は部長の話術で顧問の許可を得て、用具一式と台を借りられた。

 一年対二年のダブルスはさっきとは打って変わって平和なラリーが続く。

 結局、部長の秘策は分からずじまいだった。


「そういえば……チョメ太朗。部室で言いかけてた話って何?」


「え? あー……いや。うーん……あのー……卓球って楽しいですよね……」


 カコンカコン。


 こうして俺達ソフトボール部は今日もソフトボールをしないで一日を終えた。

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それゆけ!愛山高校ソフトボール部! 浅井夏終 @nozarasi

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