紅葉狩り

洞貝 渉

「紅葉狩りって知ってる?」

「……ああ、鹿は旨いよな。今度狩ってこようか?」

 私の言葉に、琥珀は心の底から失望したような顔をして、いやいいと返事をする。

 琥珀は頭がいい。でも、琥珀はまだ鹿肉を食べたことが無かったはずだ。きっと紅葉鍋がどれほど美味なのか知らないのだろう。

 次の獲物は鹿だ。

 そう胸の内で決めて、私は丸く切り取られた外の世界に目を向ける。

 今日も天気がいい。空は青く澄み渡り、ずっと眺めていたら吸い込まれてしまいそうだ。


「なんで鹿肉を紅葉って呼ぶか知ってる?」

「……さあ?」

 そもそもモミジが何なのか、私は知らない。

 琥珀は頭がいいが、私はあまり頭がよくない。

 私は生きるために日々を生きてきた。今日を生き延びたら、明日が来て、また明日もなんとか生き延びるために生き続ける。それだけだ。それ以上のこともそれ以下のこともよくわからないが、別に困ることもないので、問題ないだろう。

「『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 聲きく時ぞ 秋はかなしき』」

「……?」

 琥珀が妙に間延びした言い方で、おかしな言葉を吐き出した。

 言葉の意味が分からず首をかしげると琥珀が得意そうに笑う。

「古典芸術のひとつ、百人一首だよ。この句から鹿肉が紅葉と呼ばれるようになったっていう説と、札を使った遊戯の花札の絵柄に鹿と紅葉が描かれていたことから鹿肉が紅葉と呼ばれるようになったっていう二つの説があるんだ」

「……そうか、琥珀は頭がいいな」

「本ばかり読んでいるからね。電脳化が進んだ地下ではあまりお目にかかれない珍しい知識ばかりが蓄積されて、これはこれで結構おもしろいよ」

 丸く切り取られた外の世界に、さっと影が走る。

 鳥が飛んでいる。いつもこの時間になると琥珀の家の上を通過する鳥だ。

 大きな風が起こり、かつては宇宙を渡る船だった琥珀の家を小さく揺さぶる。


 コテンゲイジュツもヒャクニンイッシュも、フダもユウギもハナフダも、私は知らない。

 琥珀は私の知らないことばかり知っている。私の知っていることは何一つ知らないのに。例えば紅葉鍋のおいしさとか。

 琥珀から繰り出される知らない言葉の乱立に、初めの頃はいちいち眩暈がしていた。が、最近では流石に慣れ、聞き流すすべが付いた。

 琥珀が満足するならそれでいい。琥珀が望んでいるのは知識に対する理解や共感ではなく、単純な話し相手だから。

「琥珀、私はそろそろ行く」

「うん、行ってらっしゃい、獅子」

「外には出るな。獲物が取れても取れなくても、いつもと同じころに戻る」

「僕は平気だよ。獅子こそ、気を付けてね」

 どの口が、とは思ったが私は黙ってうなずくにとどめた。

 丸く切り取られた世界に視線を走らせる。周囲には何も異常は見えない。鳥も飛び去った。今出ても問題ないだろう。


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