【第一章:田畑太一郎(3)】

「あ、そういえば・・・」と、田畑太一郎がつづけて渡邉哲郎に話しかける。


「ついこの前も真中さんに会ったんですけど、れいの話にはとても乗り気でした。」

「例の話って、日本からアメリカに来て研究をしている女性研究者の座談会ざだんかいのことかな?」

「ええ、それです。真中さん、ぜひ自分も参加さんかしたいって言ってました。でも、彼女、あと三週間くらいで日本にもどってしまうんですよね。今月中に開催かいさいできるといいんですけど・・・」

「今月中か・・・。ちょっと急だね。座談会の参加者もまだ一人も決まってないよね。仮に真中さんが参加してくれるとしても、今月中にやるのは少しきびしいかな。」

「そうですよね・・・。ちなみに、参加者が何人くらい集まれば座談会って出来ますか?」

「うーん、ケースバイケースかな。まあ、三人いれば何とかって感じだけど。」

「え、3人でいいんですか?真中さん、参加してくれる人はあと二人は見つけられそうって言ってましたけど。」

「え、そうなの?じゃあ、彼女と彼女の知り合い2人でやろうか。」

司会しかいはどうしましょうか。女性の座談会なら司会も女性の方がいいですか?」

「いや、司会は男性でもいいと思うよ。あ、そうだ。せっかくだから田畑君やってみてよ。編集長へんしゅうちょうには僕から言っとくから。日程にっていとか場所も君が決めていいよ。」

「え、いいんですか?」

「うん、大丈夫だと思うよ。」


田畑太一郎は、思いがけずに大きな役割やくわりまかされたということで少しおどろいたが、これまでの自分のはたらきをきちんと渡邉哲郎が評価ひょうかしてくれていたということを素直すなおよろこんだ。


「ありがとうございます!頑張がんばります。」

「よろしくね。何かこまったことがあったらいつでも相談そうだんしてくれていいから。じゃあ、今日はこんな感じで終わりかな。」


「あの・・・。」


立ちあがろうとした渡邉哲郎に、田畑太一郎はここ最近さいきんずっと気になっていたことを質問しつもんすることにした。


いつもなら、渡邉哲郎が話をめくくりにかかろうとしたら、他に聞きたいことがあっても口をつぐんでいた。渡邉哲郎に対して、敬意けいいの他にも畏怖いふねんいだいていたからだった。しかし、この日は、座談会を任されたということで、いつもよりも少しだけ勇気ゆうきがあった。


「どうしたの?何かわすれてることあったっけ?」と、せきを立つことを邪魔じゃまされたことを特に不愉快ふゆかいに感じたという様子もなく、渡邉哲郎はそう返事をして立ち上がる動作どうさをやめた。


ここ数年、インターネットの一部でまことしやかにささやかれているうわさがあった。日本のどこかに秘密ひみつ研究機関けんきゅうきかんがあり、そこでは医学いがく工学こうがく生物学せいぶつがく数学すうがく化学かがく薬学やくがくなど、あらゆる分野のエキスパートたちが日々研究にいそしんでいるとされている。


その研究機関の通称つうしょうは『ガーベラ』。「希望きぼう」や「つね前進ぜんしん」という花言葉はなことばを持つ花の名前だ。


そこでは研究を進めることが何よりも優先ゆうせんされており、世界中のどこの大学や企業きぎょうよりもはるかに進んだ内容の研究をしているとされている。たとえば、医学生物学の研究分野では、遺伝子いでんし改変かいへんにより通常つうじょうではありえない能力のうりょくを身につけた人間が生み出されているとも言われていた。


よくある陰謀論いんぼうろんのようなもので、研究機関「ガーベラ」を本気で信じている人はほとんどいない。しかし、それでも田畑太一郎は「ガーベラ」のうわさは全くの作り話とは言えないのではないかと思っていた。


「ガーベラ」に関する内容をインターネットで検索けんさくすると、確かにそのほとんどはでたらめな話ばかりである。しかし、そんな中にごくごくまれに、到底とうていうそだとは思えないようなくわしい解説かいせつ証拠しょうこ掲載けいさいされているサイトががあるのだ。


渡邉哲郎たちが運営うんえいしているWebサイトは、「ガーベラ」につながっているかもしれない。事実じじつ、そのWebサイトで編集作業へんしゅうさぎょう担当たんとうしている渡邉哲郎はかしこ優秀ゆうしゅうで、そこが全く見えないなぞの多い人物である。仮に渡邉哲郎が「ガーベラ」と全く関係がなくても、彼なら「ガーベラ」について何かを知っているのではないか。田畑太一郎は最近そう思うようになってきていた。


「えっと・・・」と、田畑太一郎は何から説明しようか少しなやんだ。しかし、このときの田畑太一郎は、渡邉哲郎にみとめられたということで少し気持ちが大きくなっており、若さゆえの無鉄砲むてっぽうさが増大ぞうだいしていた。そのため、単刀直入たんとうちょくにゅうに自分の疑問ぎもんをぶつけられることができた。


「『ガーベラ』ってご存知ぞんじですか?」


「ガーベラ?えっと、花のことかな。名前は知ってるけど、どんな花かとかは全然知らないんだ、ごめんね。僕はあんまり園芸えんげいにはくわしくないんだよね。見ての通り、そういう優雅ゆうが趣味しゅみとは無縁むえんでね」と言って、苦笑にがわらいをした。


本当に知らないのか、それとも単に誤魔化ごまかしただけなのか、田畑太一郎には判断はんだんがつかなかった。だから、彼はもう一歩いっぽんで質問しつもんをした。


「いえ、花のことではなく、インターネットでうわさされている秘密ひみつの研究機関の通称つうしょうである『ガーベラ』のことです。」


ピロリロリロリン、ピロリロリロリン・・・


そのとき突然とつぜん、あまり聞いたことのない電子音でんしおんのメロディーがひびいた。携帯電話けいたいでんわ着信音ちゃくしんおんだった。


「ハァロォー」


不思議ふしぎなテンションで、渡邉哲郎がズボンのポケットから携帯電話けいたいでんわをとりだして電話に出た。だが、その直後に「あ、ちょっと待ってください」と少しかしこまった口調でそう言いなおし、席を立ってドーナツ屋の外に出た。


渡邉哲郎は1分もたないでもどってきたが、「ごめんごめん。ちょっと急用きゅうようが入っちゃったから今日は失礼しつれいさせてもらうね。ごめんね。じゃあ、座談会ざだんかいのことは君に任せるよ。何かあったらメールしてくれればいいけど、基本的には君の好きにやっていいから。じゃあ、また」と言って、自分のせきすわることもなくドーナツ屋を出ていった。


残された田畑太一郎は、突然とつぜん展開てんかいにしばし呆然ぼうぜんとしたが、とりあえず自分が一目いちもくいている渡邉哲郎から、『座談会ざだんかい』の企画きかく開催かいさい運営うんえいまかされたということで、次第しだいにワクワクする気持ちがき上がってきた。


「ま、『ガーベラ』のことはまた別の機会に聞くことにしよう。とりあえず座談会を頑張がんばってみるか。」


ドーナツ屋から留学先りゅうがくさき研究室けんきゅうしつに歩いて帰る途中とちゅう、そんな言葉が思わず口を出た。空はどこまでも青かった。


(「第一章:田畑太一郎」終わり)

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