旅路

 『星の井戸』を目指すにあたって、ガイドに求められる役割は非常に重要なものだ。

 ここ最果ての環境は日ごと時間ごとに目まぐるしく動き、その対応を間違えれば死に直結する事すらある。


 日の出前のまだ薄闇の残る時間。ジャコは包まっていた毛布から抜け出るとぐいと体を伸ばす。

 夜半に見張りに立ちその後は少しの休息を取りはしたが、冷たい空気に晒された固い板の上だ。薄い毛布を巻いた程度では碌に体も休まらずあちこちに痛みを感じる。

 ジャコが立つその場所は馬車の御者台だった。後ろを振り返れば荷台は分厚い幌でしっかりと覆われ、中は随分と快適そうに思える。しかしながらガイドという身分では馬車内で休むことなど到底許されるはずもなく、申し訳程度の毛布一枚を与えられ背面だけには風よけの在るこの場で体を丸めていた。


(ま、そのうち慣れんだろ)


 これからずっとこの生活が続くのかと思うと多少なりとも気は滅入るが、今までだって大分粗末なあばら家で暮らしていたのだ。元より繊細さなど持ち合わせていないことを自覚しているジャコは、早々に気持ちを切り替える事とする。

 御者台から地面へと降り立つとぐるりと視線を巡らせる。未だ寝静まる辺りはとても静かだ。

 白み始める空に流れる雲を目で追いながらしっとりと露を纏う草を踏み、立ったまま眠る砂牛たちの脇を通り抜けたところで……ふと気が付く。

 ジャコが寝ていたのとは別のもう一台の馬車。その御者台では同じガイドの男、リアンデが夜明けまでの見張りを担当していたはずだが――確認できるのは毛布にくるまり横たわる体と、すぅすぅと聞こえてくる規則正しい呼吸音だ。


(マジかコイツ……)


 思わず崩れ落ちそうになる膝を咄嗟に抑える。

 ジャコは旅の先行きに立ち込める暗雲を振り払うかのよう首を振り、大きく溜息を吐いた。

 

 ◇ ◇ ◇


「き、今日はあのっ、天気もよく、予定通りっ第二クシソ丘陵を目指そうかと……」

「おいテメェ何出しゃばってやがんだ。ガイド風情がリーダー差し置いて行き先決めてんじゃねーぞ!」

「はひっ! いや、そんなつもりじゃ……っ」

「口答えすんじゃねえ!」

「すすす、いまっせ、ん……! へへ……っ」


 朝の支度の最中に口論の声が鳴り響く。

 いや、口論ではなく一方的な面罵か。怒声を放つのは先日案内屋ともやり合っていたヴォーグという探索者で、その正面で身体を小さくしぺこぺこと頭を垂れているのはガイドのリアンデだ。

 ガイドの仕事の一つとして、その日の天候を予測し安全な行路を示すという役割がある。リアンデはその職務を全うしようとしただけなのだろうが物言いがヴォーグの気に障ったようで、朝っぱらから騒々しいことこの上ない。

 短気な男の尾を踏んだリアンデを一瞬気の毒に思うも、地面を擦るその顔に浮かぶ表情――媚びへつらうような卑屈な笑みを見ればそんな気もあっさりと吹き飛ぶ。何よりこの男は夜間の見張りすらまともにできていない。

 指導と称し振るわれる力は単なる暴力に他ならないが、因果応報だとジャコは冷めた一瞥を向けるだけだった。


「ったく身の程を弁えやがれ!」


 ようやく溜飲が下がったのか、リアンデの体を派手に蹴とばしたところでヴォーグはようやく言葉を切る。

 と思えば。今度は目についたジャコへとずかずかと歩み寄ってくる。


「おいテメェはどうなんだ? とかいうガキが。ガイドの立場ってモンをちゃんと理解してんだろうな?」


 新たな標的を見下ろすように男が立てば、線の細いリアンデよりさらに小柄なジャコとの体格差は歴然だ。

 しかし荒くれるヴォーグに対してジャコが怯む様子は微塵もない。いくらガイドが奴隷同然の身分とはいえ、その扱いを甘んじて受け入れる筋合いはないのだ。

 ザコ呼ばわりに腹立たしさはあったが自分は自分のすべきことをすればいい。そう思いジャコは口を開く。


「……今日は南からの風が穏やかだから今のところ天気の急変は感じられない。リアンデの言う通り真っ直ぐ第二クシソを目指して問題ないだろう。ただし東の丘の上辺りに黒い雲が見えだしたらそれは砂嵐の前兆だ。すぐに天幕を降ろせるよう準備はしといた方がいい」

「あん? なんだその口の利き方は」


 ジャコは努めて冷静に言葉を選んだつもりだが、それすらも気に入らないのだろう。「澄ましやがって」とヴォーグが眉をしかめジャコの襟元を乱暴に引き寄せる。

 まさに一触即発、今しがたの光景が再び繰り返されると思いきや――そうはならない。


「ヴォーグ、この最果てを生き残るにゃガイドの知見は必須なモンだ。忘れず上着を用意しとけよ。他の奴らもだ!」


 アガドスがそう言葉を挟んだところで場の熱は引き、周囲で見ていた男たちもあっさり己の持ち場へと散っていく。


(助けた? まさか。そう言う表情カオじゃねぇ)


 放置される形となったジャコが立ち去るアガドスの顔をちらりと覗けば、何やら含みのある笑みを浮かべている。……相変わらず考えの読めない、油断ならない男だ。

 結果的には救われたとはいえジャコの心境は複雑だ。


「お、おれだって、おれだって……っ」


 地べたから聞こえるぶつぶつと呟く声に背を向け、眉を寄せたままに己の仕事にとりかかった。



 進む道は穏やかではあるが厳しくもある。

 馬車の外に流れゆく景色のなか、状況の変化を示す先触れを見逃さぬようジャコは注意深く目を凝らす。油断をすれば良くて負傷、運が悪けりゃあっさり全滅もあり得るのがこの旅路であり、ガイドの責任は重大だ。


「あの辺りは草の背丈が低い。新芽を食い荒らす獣が湧いててそれを狙う魔獣が潜んでる可能性がある。迂回した方がいい」


「風の向きが変わった! 突風に備えろ!」


 荒野に響くジャコの声に合わせ馬車は幾度となく進路を取り直し、危なげなく男たちを運んでいく。

 始めのうちはジャコの不躾な言葉に反感を示す探索者たちであったが、一日二日と過ぎてみればその指示が的確かつ細やかである事を理解し次第に信用を見せるようになる。


「はっ! 最果ては地獄みてぇなとこだなんて、散々嘯いてたわりにゃなんて事ねぇな!」


 小高く突き出た岩山に馬車を付けた小休止の折り。探索者の一人がそんなことを言いつつ、不遜な笑みを浮かべ馬車からふらりと地に降り立つ。

 水を呷りながら無警戒に日陰となる岩へともたれかかるのを見れば、すかさずジャコが声をかける。


「大岩の影は毒百足が好む住処だ。あまり寄らない方がいい」

「お、おう! そうか、助かるぜジャコ!」


 探索者がジャコに礼を言うのも最近は珍しくない光景だ。


(どうなる事かと思ったけどな、案外話の分かる探索者隊でこっちこそ助かるぜ)


 認められていると、そう実感すればジャコとしても満更でもない。

 思わず口の端が綻び、空気が弛緩していくのを感じていると。――まるで落雷のように、不意に怒気をはらんだ声が頭に落ち、気の緩んだ男たちが一斉にびくりと肩を揺らす。


「おいお前ら、ガイドと慣れ合ってんじゃねーぞ」


 こんな時に決まって口を挟むアガドスの声だった。その目は鋭く、唸るような声は周囲の圧を急激に下げる。

 こうなれば空気は一変し、それまで砕けた態度であった他の探索者たちも声を荒げジャコとリアンデに冷たい目を向ける。


「も、勿論だともリーダー! おらガイド共サボってんじゃねぇ!」

「おうよ、調子に乗るんじゃねーぞ!」


 どかりと一発蹴りを食らい、すっかり冷めた空気の中に雑用と共に打ち捨てられるのだった。

 いつもの事だ。そう気持ちを切り替え己が仕事に取り掛かるジャコだが、それでもやはり腑に落ちない。


(ちっ、何だってんだ。擁護したかと思えば煽ったり……訳が分からねぇ)


 この男だけは分からない。そう猜疑の目をジャコはアガドスへと向ける。

 ジャコから見たアガドスは有能な主導者だ。飄々としながらも冷静さを持ち、慎重ではあるが臆病ではない。隊員たちからの信頼も篤く統率力にも優れている。

 だからこそこの隊のガイドになれたことは幸運であり選ばれたことに内心歓喜したのだが――その真意は未だに図りきれないでいる。


(まあいいさ、別にコイツらに認められたくてガイドをやってるわけじゃねぇ)


 自分には自分の目的がある。そう気を取り直し、目下の雑用へと手を伸ばした。

 一方、もう一人のガイドはといえば。


「あっあの! 皆さんの外套の手入れをしておきました!」

「ああん? 何勝手に触ってやがんだ。……おい、ここにあった道具嚢はどこへやった」

「え⁉ いや、その……さあ?」

「テメェは余計な事ばかりしやがって!」

「お、おれは皆さんの為に、良かれと思って……っ」

「うるせぇ!」


 相変わらずの様子だ。

 指示されてもいない雑用に手を出しては下手をやらかし、余計な仕事を増やしてくれる。物の配置を勝手に弄り失くしたともなれば短気のヴォーグでなくともそりゃあ怒る。

 専門であるのガイド業務ならば。


「あ……この先の地面は危ないので、靴底を二重に……あれ? いや中和薬を塗るんだったっけ……」

「何だって!? はっきりしやがれ!」

「ひっ」


 不明瞭かつ指示が遅い。その度に叱責と拳を見舞われるのだが、殴られながらもへらへらと薄ら笑いを浮かべる様が探索者たちの神経を一層逆なでていく。


「こんなはずじゃ……こんな……っ!」


 邪魔だと荷台の奥に押し込められ、ぎゅうぎゅうと固く小さく丸めた背からそんな声が漏れ聞こえるが、ジャコからすればこちらの台詞であると言いたい。

 勘弁してくれ。それがジャコの心中だ。憐れむ気にすらならず溜息だけが漏れ出る。

 そんなリアンデに背を向け、走る馬車の後塵を眺めながらジャコは周囲への警戒を続ける。

 が、衝撃と共にその視線が突然くるりと傾く。


「あ?」


 反転したジャコの視界に映るのは、口元を歪に引き上げ仄暗い笑みを浮かべるやつれた男だ。

 骨ばった両腕を目一杯前へと突き出し馬車の縁に立つその姿は、ジャコからどんどんと遠ざかっていく。


(突き落とされ……⁉)


 宙に投げ出された体はゆっくりと回転をしながら高度を下げていく。

 コマ送りのように流れる時間の中で、ジャコは自分を置き去りに進む馬車の後姿をなす術もなく見つめていた。

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