ジャコ
ジャコ。それが最果ての町に身を置く少年の名だ。
年のころは十代半ばと言った所か。大人とも子供とも言えない半端な形には、不釣り合いなギラつく瞳が揺れる。
ジャコ自身はいっぱしの大人であるとの認識であるが、やや小柄なその体躯せいか子供扱いされることが多く日々不満を募らせていた。もっとも、そう粋がること自体が子供なのだと周囲の大人は口にするのだが。
その体をすっぽり覆うフード付きマントは息絶えた前の持ち主から拝借したものだ。土色をした革のごわごわと硬い質感はお世辞にも心地よいとは言えないが、この地に吹き荒れる肌を削るような風を防ぐのには十分な代物と言える。
腰には己が打ち倒した魔獣から剝いだ毛皮がぐるりと巻かれ、長さの余ったそれが歩くたびにモフモフと尻尾のように揺れている。
フードの隙間から突き出したざんばらな黒髪からは少年の粗野な性質が、携える使い倒した短剣からは苦難に抗おうとする強さと意思が見て取れる。
そんな少年の姿はある日、荒野の果てへと消えていった。
◇ ◇ ◇
地に横たわる土色の塊がもぞりとその向きを変える。
「……っ痛てぇ、ちっくしょう」
再びごろりと転がるとごわつくマントがばさりと広がり、仰向けに寝転がる少年の体が露わとなる。
「どこだ、ここ」
誰にともなく呟いた声がぽつりと静寂の中に落ち消えていく。返ってくるのは風の音ばかりだ。
空を見上げた視界は一面の白。これは……霧か? 明るさを考えれば夜ではない、そんなことを考えながら少年は上体を起こす。
恐らく高い場所から転がり落ちたのだろう。その推論を裏付けるように身体のあちこちに痛みが走る。幸いにも骨が折れたといった大怪我もなく、ゆっくりと手足を動かしてみるが大きな問題はなさそうだ。
立ち上がったところで、足元の違和感に気付く。
「草だ。草が生えてる」
踏みしめた地面からは丈の低い草がひょこりと顔を覗かせている。それは一つ二つではない。急激に覚醒する意識を周囲へと向ければ五感も引っ張られるように働きだし、その感じ得た情報を瞬時に少年の脳へと伝える。
地面に茂る草木の緑が、風が揺らす葉の音が、湿度の在る空気の中に混じる花の香が体中へと広がる。空だけでなく周辺全域を覆う白い霧、その内に在るのは大地の恵みが溢れる光景であり、少年にとってにわかには信じがたいものだった。
「嘘だろ、ここは最果ての地だぞ⁉」
荒れ果て乾いた大地、さらにその先を目指していたはずだ。そこは屍が多く転がる死の大地であるはずだ。なのにこれではまるで――。
思考を止め、目を閉じ深く深呼吸。後にパン! と乾いた音が辺りに響く。
「……痛ぇ。つまり、現実ってことでいんだよな」
赤く腫れあがった己の両頬をざらざらとした手袋越しの手で摩りながら確認をする。元より体中に落下による痛みが残っているのだから改めて頬を張る必要などなかったのが、それでもせずにはいられなかった。
そして確信する、ここは天国でも地獄でもない。……だとすれば。
己の出した結論の答え合わせを求めるべく霧の中へとゆっくりと歩を進める。方向なんて知ったこっちゃない――ただ直感の赴くまま、ひたすら前へ。
視界は狭く、確認できるのはせいぜい周囲50歩程度の距離だ。足元の草は次第に深さを増し、いつの間に鬱蒼と広がるそれらを割り入る足が揺らしていく。不規則な木立を抜け緩やかに下る坂を進み続ければ、やがて目の前には大きな空間が開ける。
行く道を横切るように走る段差、その先に広がる低地はかかる霧がやや薄くずいぶん遠くまで見渡せた。しかし彼の目は一点に釘付けとなり周囲を観察する余裕などない。
彼の視線を奪うそれは、巨大な穴だ。
ぐるりと回り込む段差によって切り取られ窪地となったその中央に在るのは、およそ30~40歩分の広さはあろう大穴。その内は暗く陰り、どれ程の深さがあるのかこの場所から窺い知ることはできない。
異世界のように緑が溢れる地に現れた巨大な縦穴。これはもう間違いない。
「これが『星の井戸』……!」
緊張のせいか自然と唇が震える。目の前にあるそれは多くの旅人が目指しそして辿り着くことのできなかった幻の地だ。それが今、己の目の前に。
「う、おお……おおおおおお!」
震える口からは自然と声が漏れ、やがてそれは雄たけびのように響き渡る。その震えが全身に伝播したところで勢いよく体が弾ける。地を蹴り段差を飛び越え、少年はその場所めがけて一直線に宙を駆けた。その表情は頬を引きつらせ、開いた口の端を持ち上げ弧を作りだし、溢れ出る雄たけびを歓喜の色に染めていく。
「ふはっははは! ははははは――ああっ⁉」
地に触れた瞬間。ぐきり、と足首を襲う嫌な感触と共に高笑いのような声もぐにゃりと歪む。「ああああ」と間の抜けた悲鳴とも言えない音と共に小柄な体が無抵抗のままにごろごろと転がっていく。一直線に、目指す場所へと。
次第に勢いが衰え、目的地の手前で草地に寝転ぶその姿を――きらりと光る二つの眼が捉える。
後方から静かに見下ろすのは一つの影。先程まで少年がいたその段差の上で、佇む人影を温い空気がふわりと撫でている。
風に遊ばれ軽やかに翻るその姿は、やがてゆっくりと動き出した。
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