出会う
……思い切り足を捻った。「くそダセぇ」とぼやきつつ、草の上で仰向けに寝転んだままに少年は眉間に皺を寄せる。
流石に調子に乗りすぎたと反省しつつ痛む足を摩ってみるが、着地の際にうまく力が逃げたのか思ったほど酷いことにはなっていないようだ。己の体の強かさに感心しつつ、浮かれていた頭から熱を逃がすよう瞳を閉じる。
(俺の冒険はこっからが本番なんだ。んな所でつまんねー怪我なんてしてられっかよ)
目の前には『星の井戸』。焦る事など何一つない、ゆっくりじっくりと探索してやろうじゃないか。
そう考え、長く息を吐きながらゆっくりと瞼を上げる。
(…………?)
寝転がる頭の上に見えるのは、天に向かって伸びる二本の白い棒――いやこれは、足……足⁉
(つかそんなもん、さっきまでなかったよな⁉)
混乱する頭でその足らしきものを辿るように視線を這わせればそれははためく薄布の中へと消え、その奥、上方では鮮やかな薄桃色の髪、らしきものが揺れる。
目が合った。
二つの眼は新緑を思わせる透き通った若草色。くりりと大きなその瞳が細められ、その下に見える薄い唇がくいと持ち上がる。
「女神……?」
それが少年の率直な感想だった。
華奢な白い体躯に幼さの残る相貌、ひらひらと心許なく体を包む衣服を見ればどう考えても旅人の類ではない。なんと言っても美しい――神々しさすら感じさせる可憐な少女。それが今、少年を見下ろすように立っている。
「ほう、私が女神か。なかなか悪くない見立てじゃあないか。お前は見どころがある」
外見に見合った美しく澄み渡る声が頭の上から落ちてくる。が、その内容はお世辞にも美しいとは言えない。
随分と尊大な口をきく。いや神様なら偉いんだろうから問題ないのか。ないのか?
現実を感じさせないその光景を前にぼんやり考えていれば、その間にも女神の口は軽やかに囀り続けている。
「しかし随分と薄汚いサマだ、これが俗に言うぼろ雑巾というヤツか。加えてこの鼻を衝く刺激、肉と魚を混ぜ捏ねて放置した様な、ああ腐臭というのも生温い。最早汚物そのものだな!」
……いやいくら神様ったって限度があんだろ。つーか口悪ぃな!
そんな抗議の意味を込めきつく睨みつければ、若草色の瞳がこちらを見据えたままに口の端がにぃっと引き上げられ、少年の心臓がどくりと跳ねる。
(かわいい……なら、まあ。女神サマの言ってる事は間違っちゃいねーわけだし、多少の物言いくらい許容――)
ぐにっ。
冷たい感触が少年の弛んだ眉間の皺に押し付けられる。それは少女の白い足で、つまりは。
「ぅおおおい! 女神だか何様だか知らねーけど人の顔踏んづけるとか何考えてんだ⁉ いい加減にしやがれぇ!」
叫ぶと同時にごろりと体を横に捻り踏みつけた足から抜け出すと、素早く立ち上がり体勢を整える。向き合った少女は思った以上に小柄でしかしその体にははっきりと曲線が見て取れ、さらに相反するような無邪気な表情を浮かべこちらに向けている。
「生きていたか。いい加減起きんから躯かと思ったぞ」
「生きてるよ! つか喋ったし目も合ったろうが!」
「あっはっは、そうだったな。存外元気なようで結構だ」
欠片も悪びれる様子もなく言い放つ少女にどっと肩の力が抜ける。目が笑ってないあたり本気でどうでもいいと思っているようだ。ほんとに一体、何なんだコイツは。
「しかしそこまで怒るとは、顔を踏むのはそれほど気に障る行為だったか」
どうでもいいどころか「敢えてしてやった」くらいの言い草だった。これは酷い。少女に向ける己の視線がじっとりと半眼になっていくのが分かる。
「当然だろ。常識どうなってんだよ」
「以前来たヒトの子は大層悦んで催促までしてきたものだが、ふむ。考えを改める必要があるか」
ただの変態じゃねーか。まあソイツの気持ちが全く分からないわけでもないが――いやいやいやそんな趣味俺には一切ないぞ。
煩悩を払うかのようにかぶりを振っていれば、その様子を少女が楽しそうに眺めている。
(くそう、ムカつく。けどかわいい)
最果てに在るはずがない幻想のような光景の中で出会ったその少女はあまりにも異質だった。しかしその屈託のない表情が言葉が、少年の心に燻る影を晴らしていく。
切迫していた意識も浮かされていた熱もすっかり剥がれ落ちた頃、少年は改めて少女を見る。
「お前は何者なんだよ」
問う少年に対し変わらず楽しげな表情を向けたまま、少女は素直に言葉を返す。
「私か? 私はこの井戸を守るモノ、お前たちが星守りと呼ぶモノだ」
「星守り? それを言うんなら井戸守りじゃないのか?」
「同じことだろう」
同じ、なのか? いやそれはどうでもいい。浮かんだ疑問をすぐに払い、今一番に確かめたかったことを恐る恐る口にする。
「だったら、やっぱりここは――」
「お前たちヒトの子が星の井戸と呼ぶ場所だな」
聞きたかった言葉はあっさりと、少年の言葉を引き継いだ少女の口から放たれる。
「マジで、おとぎ話じゃないんだよな。本当にここが……!」
「これは太古よりずっとここに在り続ける。お前たちが大げさに語り継いでいるだけだろう」
ごくりと息を呑み再び高揚に襲われる少年に対し、淡々と語る少女が物語っている。嘘じゃない、これは現実なのだと。
「では行こうか」
少年の熱の上昇に合わせるかのようにしかしそれに気付く様子もなく、少女はくるりと背を向け一方向へと歩き出す。その先に見えるのは暗き虚。
「え?」
「用があって訪れたのだろう? 案内するぞ、私は星守りだからな」
歩みを止めぬままに顔だけを向け、それが己の役割だと告げる。
「あ、ああ! 俺は、ジャコだ」
「そうかジャコ、歓迎しよう。ようこそ星の井戸へ」
背を押す昂りを抑え込むように、しっかりと大地を踏みしめながら少女の背を追った。
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