第18話 ゲームにおける女性性の表現と半裸のセレブ
これは現実の話なので企業名を出してもいいでしょう。Microsoftは「誇張された体のプロポーション」の女キャラを作成しないようにゲーム開発者に注意しているそうです。
その内容は「ジェンダーについての否定的な固定観念を強化」についてです。以下、かなり要約しています。
①女性はスキル、アビリティにおいて男性と同等かどうか。
②女性は仕事に適した衣装かどうか。
③彼らは誇張された体のプロポーションではないか。
④男性キャラクターに感情表現があるか。
まあ、要するに主人公のサポートキャラとしてビキニアーマーの巨乳戦士を作るな、ホスピタリティの高い聖女はNGだよ、女性はちゃんと戦闘服を着こんで戦士になりなさい、と言う事です。
これは本当に多様性を推進することになるのでしょうか?普通の感覚だとキャラ描写にNGを入れれば入れるほど多様性は失われてゆく気がするのですが。
その一方で、最近セレブがシースルーの衣装を着て、ほぼ乳房丸出しのファッションをしていることをご存じでしょうか。どうも自分は特殊だ、自由な精神の持ち主だというカッコつけみたいです。そして男はそれをエロい目で見ていないフリをしなければなりません。というか見せすぎて本当に不感症になっているみたいです。
そして、私の動画視聴の加減かしりませんが「ブラック・テープ・プロジェクト」というのがお勧め画面に出てきました。ほぼ全裸の女性のどうしても隠さなければいけない部分だけビニールテープで隠す感じです。ファッションというだけあって、なかなかカッコイイ…ウルトラマンとかそういうカッコよさは確かにありますけど。
日本の女性はこういう露出系には飛びつかないですよね。フェミニズム推進なら全裸で街を歩く権利を主張すればいいのに…と思わなくはないですが、ミルハラとか言われちゃう…が、言いたいのはそこじゃないです。
これって、なにかおかしいと思いませんか?要するに巨乳で半裸のゲームキャラはジェンダー論の立場からNGです、と言っておきながら、セレブは半裸で乳房丸出しで女性性丸出しで、フォーマルなパーティーに出ています。そのくせスポーツイベント(スーパーボール)で歌い手の乳首が見えたと大騒ぎする…もうよくわかりません。
ブラックテープ…パリコレとかもそうですが、女性はほぼ裸の格好でファッションと称して舞台に立って世界に中継されています。
そういえばドイツで市民プールで乳房を出す権利を主張した女性がいて、支持されていましたね。この両極端はなんでしょう?
もちろん、見せることと女性性をゲームキャラにおいて定義することの意味の差はわかります。ただ、現実では見せまくっているのにゲームや2次元の露出になぜそれほどこだわるのでしょうか。
女性はゲームにおいて、男みたいに筋肉をつけて分厚い戦闘服を着こんで戦士にならないと駄目みたいです。これって資本主義の価値観そのものですよね。もうこれ自体が男性性が優れていて、女性性が劣っていると言っているようなものです。
女性の良さとして、肉体美、包容力、柔軟性などを放棄せよといいう強制でしかありません。
この違和感って「自分の考えていることが正しい」という思想の包容力の無さ、許容範囲の狭さ、つまり価値観の単一化の気がするんですけど…多様性を語る人の多様性が一番遅れている気がします。
それと、仮説として、実は欧米…特に欧州では労働者階級が勉強し思想性を持つことを好みません。明確にセレブリティ、貴族と線引きをしたがります。ファッションの露出も貴族意識、特権意識の表れでしょう。ファッションのほうはそれである程度理解できます。
あるいは創作物が現実を超えるのが権利の侵害=つまり自分の美が目立たなくなるという我儘なのかなあ、という気もしますが…うーん。やっぱり勝手な人たちだななと思いますが、この辺が今後のフェミニズム、多様性云々の深層にある思惑を探るキーワードになる気がします。
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