第4話 東アジアの少子化が速いのは権利が肥大したから

 自然権を初めとした人権ってなんでしょうか?平等権、自由権、社会権などの基本的人権のことなんでしょう。

 これって人間に生まれながらに備わっている権利とかいう思考停止の考えがありますが、正直たわごとだと思います。なぜかといえば、人間が1人だけぽつんとそこにいれば、人権などないからです。


 人間社会があって初めて、社会の中で「与えられる」ものであって、生まれながらに持っているというフレーズは、単に理屈が付かないからそう言っているだけです。あるいは神をイメージしているのかもしれません。つまり、宗教的な道徳規範を守れる人には権利という対価を上げるよ、ということです。


 他人がいて、あるいは社会があってこそ初めて機能するのが基本的人権であって、これは社会的な機能でしかありません。そもそも貴族や資本家などの力が持つ人々に対する兵力=大衆が沢山あつまると権力に対抗できるよ。沢山集まって権力に対抗してもらう代わりに権利という社会保障・安全保障を上げるよ、というのが「自然権」なるものの正体です。


 公共の福祉とは自分と他人の権利のコンフリクトを調整するための制限という説がまことしやかに流布されていますが、違うと考えています。社会の機能として振舞うことを前提として、その機能を果たす対価として、あるいは対価ですらなく社会の駒として機能する最低限の保護として、権利というものが設定されているのです。


 もちろん生物の機能として同族と助け合い、戦いを回避する本能もあるでしょう。その生物としての本能の延長にあるのが、相互扶助であり集団防衛、集団の維持です。その集団に属することを前提として「権利」という生存するための保証あるいは配分が与えられるのです。


 人類が滅びる原因があるとすれば、この公共の福祉=人間社会を維持するための機能に「権利」という個人の配分が優越するときです。そうなると個々の振る舞いが種の維持、社会の維持のための構成員としての「人間」であることから逸脱することになります。つまり権利が公共を越えるという振舞いは、人間であることを止め、あるいは動物・生物としてのヒトからも離れた存在になります。

 それを理想とするか、堕落とみるか…ですね。カントによれば全員が同じ振舞いをすると社会が機能しなくなる行動はやってはいけない振舞いと定義しています。


 東アジアにおいて少子化が進んでいる原因に、キリスト教的な道徳規範がないことが裏目に出ている気がします。もともと地縁血縁という宗教とは違う規範の中で社会を維持していた民族です。その規範が資本主義による個人主義によって簡単に「欲望」と言う名の権利の別名の何かにとってかわられました。だから、東アジアの少子化のスピードは速いのです。


 要するに現在は「権利」とは「良き消費者」でしかなくなったと言う事です。




追加 この話には別の仮説もあります。東アジアの少子化が進んだのは、マンション、賃貸住宅の比率です。

 韓国はソウル周辺に人口が集中し、多くの人がマンションに住んでいます。マンションというのは子供を育てるには、狭く部屋数が足りません。マンション価格が上昇し広い家に住めません。


 これは日本も同様ですが、ソウルよりはましなのでしょう。が、似たような状況にはあるでしょう。日本はマンションも多いですが、賃貸比率が高いです。そして日本の賃貸住宅の狭さは40平米程度とかなり狭くなっています。中国の都市部も同様でしょう。


 東南アジア各国も同じではないでしょうか。都市部にすむ富裕層が狭いマンションに住む。高額なローン・家賃に苦しむ。そしてそこに学費が追い打ちをかける。


 宗教観もですが、こちらの住環境も大きな要因な気がします。ということは東京を分解すれば人口は増えるのではないでしょうか。






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